見えない宝物
知的財産って蔑ろにされて、がっかりすることが多い。自分の積み上げてきたものが根掘り葉掘り荒らされた挙句、その知識の土が養分となってきれいな花の芽が芽吹くわけでもなく、凝りもせず新しい種を蒔いても蒔いても、あちこちほじくり返された土で厚く覆いかぶされせっかく蒔いても足で踏みつけられ、荒らされて同じことの繰り返し。何も芽吹かない。
あるいは私の見てる目の前で私の家の中を家探しした挙句、持ち出したものをこれいいでしょ~と私の鼻先で披露する。これは最初から自分の家にあったのよ~!
みたいに、嘘みたいな現象が本当のことのように起きるのだからそれはもうびっくりするし、茫洋としている私でもさすがにがっかりする。それが嫌ならあなたの持つ言葉の刃で関係をバッサリ切ればいいと言われるのだけれど、そんなことのために、言葉って前もって研いで用意しとくものじゃないし。
そもそもの根源は自分の持ってるもので、よければ活用してもらいたい気持ちがベースにあるものだから、いつも、両開きの扉全開で挑む故になかなか一度開けたドアを閉じるのにも時間と勇気がいるのです。それで、そういうときって、分かっててやってるように見えるからか…笑笑愚痴すら受け取ってもらえないことが多い。。
ということは、最初の時点から私の白昼夢でそもそも知的財産の存在などない。そっちが本当の世界なのかもしれないな~~(笑)それとも、実は私の本質は見返りを求めているのか?(笑)
なんか凄く小さな棘に引っかかってるようで、つまらなくて笑える。
だけど、やっぱり、きっとおんなじこと懲りずに何度でも繰り返してがっかりし続けると思う。
10年以上、こういう現象に直面してきて、ちょっとわかったことは、私が求めているのは見返りではなくて、打てば響きお互いが楽しめるような生きたコミュニケーションなのだと気づきました。
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