価値観の共存
怒りを覚えること自体がいけないと
押さえつけていたときがあった。
徐々に行き場を失くしていく心があまりにも窮屈で
わたしの中に燻る何かは、日に日に大きく激しく心を揺らし続けるばかり。
やがて抱えきれなくなった時、それはひとおもいに心を突き破り
結果的には多くの人たちを傷つけることになる。
忘れもしない、20代前半頃の話だ。
叶わないと知りつつも望んでしまうことがある。
「わたしの言動で誰をも傷つけたくない」
という想い。
おそらく、いまも昔も、変わることなく願い続けている。
そして
単なるエゴでしかないことも承知している。
自分が傷つきたくないだけなのだ。
駄々を捏ねているこの瞬間も
わたしの言動や文面に傷ついている人がいるかもしれない。
わたし自身が、過去をおもい返してはひっそりと傷を舐めるときがあるように
同じことを味わう人がいるかもしれない。
価値観の違いが共存している以上は
避けようがない。
傷ついても 傷をつけても
結局1番の味方は自分でしかない。
充分過ぎるほど傷つけ合ったようにおもえても
この先だって終わりはない。
だから 本当の望みは
他者の考えを受け止める強さ
自らの考えを貫く強さ
双方の共存なのかもしれない。
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