「母」について
「あるべき母親像」みたいな話が出ると、黙っていられない。
女性が結婚して子供を産み、産んだ母親が愛情をもってしっかり育てるのが理想であり、そうでない場合には何か問題がある、話がそういう方向に向かう気配があるとついむきになる。
私の個人的な背景が大きくかかわっている。おおっぴらに話すのははばかられる内容なのだが、書きたい。
1937年生まれの私の母は何不自由なく育った地方のお嬢様で、今になってみると恐らくADHDだろうという特徴が多分に見受けられる人である。意識としてはほぼ子供のまま親や教師の勧める通りに三重県の高校から東京の女子大に進学し、4年間寄宿舎で過ごして卒業する前にお見合いをし、卒業してすぐ結婚。訳も分からぬまま1年後には最初の子である私が生まれた。
私が若い母親だった頃母が言った。「あなたがね、3か月くらいのころにパパが昼間急に電話してきて今日はお客様を連れて帰るからって言ったのよ。だからあなたが寝てる間に髪をセットしてもらうのにそーっと美容院に行ったの。だってしかたないじゃない?で、帰ってきたら近所の奥さんが入口の近くに立っててね『あら、お宅の赤ちゃんなの?きれいになさって。赤ちゃんおいて行ってらしたの?泣いてたわよ。可哀そうに。声をかけてあげるとちょっと泣き止むの。』って嫌味ったらしくいうの。ひどいと思わない?」
あまりのことに黙ってしまった。その赤ん坊だった、そして自分の赤ん坊を置いていくなんてこと考えられない母親になっている私・・・どう反応できるっていうんだ?
私が6か月にもならないうちに母は妹を妊娠した。そうしたら「お腹が大きいのに赤ちゃんは育てられない」と私は母の実家に預けられたのである。その時のことについては「おばあちゃまがね、あなたがひどく下痢するって言ってたんだけど、うちにいるときはそうじゃなかったのよ。可哀そうにストレスだったんでしょうねぇ。」「戻ってきたときあなたはMちゃん(年子の妹)を見て自分だって小さいのに『あ、赤ちゃん』って言ったのよ。色々我慢してたんでしょうねぇ」
私には妹が二人、弟が二人いる。その調子の母だから、我々が子供の頃も近所の方と話し込んで長い時間帰って来ないなんてことも結構あった。おかげで私はかなり早くに一通りの家事ができるようになっていった。その結果、私が大学卒業と同時に結婚して家を離れた時については「私あなたに頼ってたから少し鬱みたいになったのよ」と後で言われた。(私は実家を離れたくて結婚したきらいがある。)
母はほめてもらうのが大好きでおだてられるとすぐその気になってしまう。一方で自分が賢くないとは思っておらず、一種演劇的才能があってそれらしく見える。でも中身は父曰く「天真爛漫」でだまされるかもしれないという想定がほぼない。だから我々から見ると詐欺すれすれの人/組織に次々引っかかってきた。
その中で私が我慢がならないのが未だに抜けられない「立派な家庭婦人になるための自己啓発グループ」的なやつ。専業主婦となって家族に尽くすのが女性の品格ってなことをお金を取ってお説教して聞かせ、それをさらに多くの女性に話させるために自費で各地に行かせるんである、家族を置きざりにして。お金は持ち出す、家族は放置するで「家族に尽くす品格ある家庭婦人」って噴飯ものなんだが、完全にマインドコントロールされてて「私のお葬式にもそのグループの人達は必ず呼んで」という始末となっている。(もちろん、家族は何度もそこから引き離そうとしたが結局ダメ)
先日子育てについての話になり、母親だけが頑張るのでなく色々な人が関わって子育てをするのがよいと思うって話をしてしまったら「だって母親の愛情ってそんなものじゃないでしょ?とても強いもので子供とは離れられないのにそれを引き引き離すっていうの?」と言われた。つい「は?私を平気で預けたのに?」と言ってしまったら、「平気じゃないわよ」と非常に機嫌が悪くなった。
やってられない。こんな非現実的でばからしいイデオロギーを教え込まないで欲しい。私は母親がちゃんと育てなかったからダメな可哀そうな人間なのか?そうは思いたくない。そして母は家事をまともにやってきたふりをしないと認められないのか?それもおかしい。私を含め周囲が何とかカバーして5人の子供が誰も死なずに育ったことをよかったというべきだと思う。そして、私はそういう育ち方をしたおかげで若くして見知らぬ土地で働く主婦/やがて母になったけれどなんとかなったこと、むしろそれをありがたいと思うべきだと思っている。
母の子育て、あれはあれでよかったのだ、そこから学ぼう、それが私の見方だ。
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