夫婦別姓についての日経の記事から

明治初期は生まれた時の姓を使い続ける想定で結婚しても姓を変える規定ではなかったのだ。でも勝手に夫の姓を名乗るケースが多すぎたから法律の方が後追いし『1898年の民法(旧法)成立で、夫婦ともに「家」の姓を称することを通じて「夫婦同姓」になるという考え方が採用された』という流れだったようだ。非常に興味深い。

そして夫婦同姓強制は他の国では例がない。まぁそうだろう。日本ではなりゆきでたまたまこういう形になっているというのが実際のところではないか。

じゃぁなんで別姓を選べるようにしないのか?その疑問に対してこの記事の後半の国士舘大学の百地章特任教授が答えている。

「戸籍は行政の基礎だ。明治以来、日本が運用してきた戸籍のあり方を見直すとなれば、行政システムの大がかりな改修を強いられ、膨大な国費が必要だ」

「血縁関係が一目で分かる戸籍の仕組みは、成年後見人や母子家庭の児童手当など自治体サービスの根幹を支えている。戸籍システムを変更すれば、現場は大混乱するだろう。選択的夫婦別姓を望む声は承知しているが、別姓賛成者でも自ら別姓を希望する人は少数派だ。企業の労務管理コストも、国全体のシステム改修に比べればわずかな金額と言わざるを得ない。一部の人の恩恵のために、過大な国費を使うのは疑問だ」

早い話が、これまでずっと使ってきたシステムを変えるのにはとんでもなく行政コストがかかるじゃないかって話だ。

「家族の一体感が失われる」という主張に対しては「同じ姓でないと家族がまとまっていられないと思うのならお宅ではご自由に同姓になさってください。誰もやめろと言ってません。でも選択の余地なく国民全員にその価値観を押し付けるのはいかがなもんでしょう?」と思うので、全然説得力を感じていなかった。

私からすると、システム変更のコストが膨大になるって話なら、そのコストをかけてもやる価値があるか、どういう形なら実現可能性があるかという議論ができるからそう言ってくれた方がずっといい。

「国」のお墨付きのある「家」ベースの家族になっていないと色々な恩恵が受けられないシステム。120年前にできた基盤の上に色々載せてきてこうなっている。確かにシステムを変えるには大きなコストがかかるだろう。だからって現実の方をそれに合わせるという選択をし続けるべきか、そこには十分議論の余地があると思う。

衆院選に関しては「この話題を出すと票が取れそう」というノリで扱われているのではないかと感じることもあり、居心地の悪さがある。勢いで乗り切ろうとするのでなく、腰を据えて議論していきたい。

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