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ナムジャアイドルになりたかった女の子になりたかった女の子

今回はKPOP男性アイドルにはまってクエスチョニングであることを自認した私の話をしよう。

クエスチョニングとは、自身のセクシャリティまたはジェンダーが分からない、または意図的に決めていない人々のことを指す。今回は特にジェンダーの話をしていく。

私自身ジェンダーが迷子になってかれこれ数年、今だに自身のことがよく分からない。社会的地位は女性として暮らしているが、それが嫌と言えば嫌だが、支障がないと言ってしまえばそうなのだ。それまで、シスジェンダーとして生きてきて、今でも実はシスジェンダーなのでは?となることもあれば、いや絶対違うと感じることもある。波のように行き来する自分のジェンダーの中で彷徨いながら自分とは一体何者なのかと、一体どこのグループに所属できるのか仲間はいるのだろうかと悶々とする日々である。

そんな、自分のジェンダーを探す旅に出るきっかけになったのがKPOPの男性アイドルを知ってからなのだ。


GOT7との出会い

2019年秋、もともと韓国ドラマが好きだった私は、とあるきっかけで韓国のバラエティ番組「ホグたちの刑務所生活」を観ていた。それにゲスト出演したGOT7のマークを見た瞬間私は彼にクラッシュした。そこからGOT7をリサーチしまくる日々が始まる。初めて観た彼らのMVが”Lullaby”

真っ赤なリップ、濃いアイシャドウ、ヒラヒラでカラフルな衣装。一発で私の中にあった見た目に対するジェンダー規範のようなものを完全にぶっ壊した。

マークを含めGOT7メンバーに対する思いは、強すぎる憧れだった。彼らのようになりたい。そういう気持ちが大きかった。

GOT7のマークみたいになりたい!

しかし私の見た目は華奢な方で、しかも当時は髪がかなり長かった。まさに年相応の「女子」と言う感じだっただろう。それまで自分が女とか男と自覚する以前にただ女の肉体を持った人はこういう格好をするのが普通。みんながしているから、「普通」な格好をしていた。自分の見た目、ファッションや髪型が、「女性」を表現しているのだと初めて意識させられる瞬間だった。


SEVENTEENに憧れて、変わる表現性

さてそんなナムジャアイドルになりたい女の子は、ついに行動に出る。そのきっかけを作ってくれたのがSEVENTEENだった。SEVENTEENを知ったきっかけもまた例のバラエティ番組だ。この番組にレギュラー出演していたスングァンはSEVENTEENのメンバーだ。番組を見るうちに番組を面白く盛り上げるスングァンを見れば、誰でも彼にハマること間違いないだろう。今度はSEVENTEENをリサーチしまくる毎日。彼らのより中性的で可愛らしいスタイルに、私はより強く惹きつけられた。


衣装やスタイルが中性的だったり、SEVENTEENのメンバーで一番低身長である、ウジは私とほぼ同じ身長であることなど、彼らのスタイルだったら参考にしやすいのではないかと思うようになった。それが自分の表現性を変える勇気をくれた。もちろんその当時は「表現性」という言葉さえ知らなかったから、ただSEVENTEENみたいになりたいという思いでいっぱいだった。

ついに私は長かった髪をバッサリ切った。SEVENTEENのホシを見せてこういう感じにして欲しいと美容師さんに言ったのを今でも覚えている。出来上がりは予想以上に最高だった!最高に男の子ぽかった。鏡の中の自分を見た瞬間ものすごく嬉しくなったのを覚えている。似合っているとか似合っていないとかそういうこと以前にあまりにもしっくりきた。

もちろんSEVENTEENにもGOT7にも遠くおよぼないが、ただ鏡に写る女でも男でもない見た目の自分が本当に好きだと思えた。

私は何者?

髪型が変わると服も変わった、スカートをやめたりヒールを履かなくなったり、高身長に見せたくて厚底のごつい靴を履くようになったり。もちろんお金のない学生である私にできることなんて限られてたが、少しずつしかし確実に自分を表現するファッションという分野で私は変化していた。

より見た目が男の子になっていく私は、あることにぶち当たった。「私は男になりたいのか?」

生まれてこのかた、一度も男になりたいなんて考えたこともなかった。女性である自分の身体に違和感を感じたことも、女友達に囲まれていることに違和感を感じたこともなかった。彼女たちと共有するものがあることが嫌だと思うこともそこに違和感を感じたことは一度もなかった。しかしkpopの男の子たちに憧れ、そうなりたいと強く思うようになり、いわゆる「女らしく」あること、「女」であることを意識させられることがひどく窮屈で居心地の悪いものになった。

私は一体何者だ?

唐突に私のジェンダーは迷子になった。その当時、LGBTQ +に対する知識がなかったわけではない。

しかし自分のジェンダーを知るための知識が十分でなかった。「いろんなジェンダーがあってその名前と意味を知っている」だけでは足りないのだ。

現実は言葉ほど単純じゃなかった。言葉は各セクシャリティ、ジェンダーごとに、一つ一つ名前がついて区切ること、分けることができる。だからまるで現実の世界でも人間ごとに簡単に区別してラベリングできるかのように錯覚させてしまう。でも現実はそうではない。セクシャリティーもジェンダーもグラデーション的で、一人一人違うのだ。だからこそ物凄くたくさんのセクシャリティーやジェンダーを表す言葉がこの世には存在している。そしてそれはとても重要なことだ。「名前が付いていない」ということはセクシャリティーやジェンダーの話に限らず、社会や制度の中で認知されない、ないものとされるにことが多いから。名前がつくということはとても重要なことだ。

しかし一方で先ほど述べたように、現実はそう簡単にラベリングできない。そもそもシスジェンダーでヘテロセクシャルを前提としてできている社会では、正しく自分のセクシャリティーやジェンダーを認知すること自体難しい。自分のセクシャリティやジェンダーを探すうちにいろいろなところに漂ったり、迷い込むこともあるだろう。その間に自分にいろんな「名前」をラベリングすることになるかもしれない。最終的に自分にぴったりの「名前」を見つけるかもしれないけど、二つの「名前」の中間にいたり、複数の「名前」を持つことになったり、自分に合う「名前」を見つけられない人もいるかもしれない。しかしそれは少しも問題でも変でもない。現実は言葉ほど単純でも簡単ではない。私は自分自身のジェンダーを探すうちに、そう感じるようなった。

そして散々漂った結果、私は自分にクエスチョニングという名前をつけることにした。


ファッションはジェンダーフリー、自分を表現するために

ナムジャアイドルたちがネイルをしたり濃いアイシャドウや真っ赤なリップをしたり、スカートを履いたり、ハイカットのトップスを着たり、ジェンダーに囚われないスタイルを見せてくれることが私にとって勇気になり、自分自身を知るきっかけになった。

だからこそ服装や化粧が性別や年齢で規範されることは決してあってはいけないと思う。もし私が「女らしい見た目」を続けていたら今の私に出会うことはなかっただろう。本来は見た目に女らしいも男らしいもないはず。ファッションはその人が感じる自分自身を表現するツールの一つだ。誰かに制限されるべきではない。

好きな服を着て自分自身に出会う。

そんな機会をくれたのがナムジャアイドルたちだった。


最後に

普段はKPOPのMVに関することを書いているが、ふと初心に返りなぜ私がKPOPを愛し続けているのか、記事にしてみることにした。

この記事自体少し前に書いたもので、当時と今の自分自身のジェンダー観などが変わって、記事を書き直したり、付け加えたり、削ったり。そんなことをしながらまた自分と対話していた。

LGBTQ +に関する記事を読んだり、本を読んだりしてみてもいまだに自分のことがわからないと思いながらクエスチョニングを自認している。このグチャグチャした内面をどう言葉にし、KPOPがどれほど自分と向き合う機会を与えてくれたかをどう文章にしてまとめるか、という問題は時間が経ってもうまく解決しなかったように思う。そんなぎこちない文章を最後まで読んでくれてありがとう。


追伸、

最後に一つだけどうしても書いておかなければならないことがある。それはまだまだファッションの制限が強い女性アイドルの話である。少しずつ変わってきてはいるがまだまだ男性アイドルに比べて女性アイドルの方が女性はこうであるべきという姿が強いように思う。それは現実世界でも同じだ。そのことを少しだけでも心の隅に留めてくれると嬉しい。

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