謎SF施設の謎端末に辿り着けなかった日
親というものは、とかく子供の一挙一動を写真に残そうとする傾向がありますが、
私の父親も例に漏れず、何かあっちゃ仰々しいカメラを持ち出してバシャバシャと、構図も何もあったもんじゃないような、まさに「記録」としか言いようのない私の写真を何枚も何枚も撮っていたものです。
当時の私は引っ込み思案で、その大人しさからしばしばクラスメイトにからかわれるような立ち位置だったこともあり、
そんな自分のキャラクターを無視してばかでかいカメラを携えながら、
やれ「ここに立て」だの「もっと笑え」だの指図してくる父のことをただただ鬱陶しいと思っていました。
そんなのももう何年も前の話で、最後にカメラを持った父と遠出をしたのがいつのことだったかも思い出せないほど私は大人になりました。
独り立ちして、頻繁に連絡する必要のある間柄ではなくなったとはいえ、30分も電車に揺られればすぐに実家に帰ることのできる程度の距離に住んでいる私の元には、
時折思い出したように、そうして残された幼少期の写真のいくつかが送られてきます。
すくすくと成長して出て行った娘本人よりも、
ちびちびとしてかわいらしかった頃の思い出を眺めている方が楽しいということなのでしょう。
この写真も、いつものようにおもむろに共有された何枚かのうちの一枚でした。
資料館か博物館か、何かの施設の謎の端末の前に立つ私と妹。
週末のお出かけのついでに撮影された、ほのぼのとした一枚です。
いや、ちょっと待ってください。
この変なパソコンみたいなやつはなんですか????
仰々しい四角い台座の上に載せられた、マッキントッシュを彷彿とさせるこれまた四角い端末。
わざとらしい橙色に塗装された外殻に埋め込まれた奥行きのあるモニターには、ノベルゲームのモノローグのような長方形の何かが映し出されています。
偶然似たような色をしていた子供服や、窓の外に見えるUFOにも似た形のオブジェクトと相まって、なんだかSFアニメのワンシーンのような雰囲気。
例えて言うなら、mattのコラ画像でおなじみの人形劇、サンダーバードのようなイメージでしょうか。
これまで送られてきた、なんでもない風景を写したものとはどうにも雰囲気の異なるこの一枚は、私の頭から離れなくなりました。
なんか・・・夏だし。
こいつの前にもう一度立ってみよう
ひと夏の冒険が始まりました。
この場所は一体どこなのか
映り込んでいる自分の背格好からして、おそらく20年近く前に撮影された写真ですから、
捜索にはかなりの時間を要するでしょう。
もしかしたら、撮影した張本人である父ですらこの場所の記憶がない・・・などという、探偵ナイトスクープめいた展開もあり得るかもしれません。
即答かい。
しかしなるほど。我が家は一族郎党揃いも揃って川崎市に血税のすべてを納めているのですから、川崎市のいずれかの施設であることはわざわざ聞かずとも分かったのかもしれませんね。
さらに深堀りして聞き出すと、東急目黒線元住吉駅から歩いて10分ほどの場所にある「川崎市国際交流センター」という施設が該当の場所であることが分かりました。
ここまで所要時間5分です。
さっきまであんなにも「未知との遭遇」のような神秘性を纏って見えていた写真が、こうもあっさり出所が割れてしまうとチープ感が否めませんね。
いざ元住吉へ
川崎駅から元住吉駅までは、南武線と東急線を乗り継いで40分ほど。
大学生の頃、初日に電話対応でしくじった後そのままフェードアウトしたバイト先があるこの駅に降り立ったのはじつに5年ぶりです。
激長いエスカレータを下り、
やたらと手広いフルーツ屋のある商店街を抜けると、
ありました。川崎市国際交流センターです。
8月真っ只中の日曜の14時だったせいか、待っても待っても短パンのおじさんが次から次へと出現したので遠巻きの写真になってしまいました。
矢印に従って、どこか懐かしさを感じる遊歩道を歩きます。
あまりその目的を果たしていない門扉の向こうに、広い中庭と、大きなガラス窓を発見しました。
この中庭の雰囲気、かすかに見覚えがあります。
ということは、やはり奥に見えるガラス窓の向こうに、あの思い出のSF端末が存在しているのでしょうか。
はやる気持ちを抑えながら、遊歩道をぐるりと回って正面玄関に向かいます。
このまま中庭をダッシュで突っ切り、両腕を顔の前でクロスしながらガラスを突き破る選択肢もあるにはありましたが、
川崎市職員である父の余生を思うと、そのような捨て身の行動に出ることは許されません。
あっ!精養軒ソレイユだ!
いざ運命のあの機械へ
自動ドアをくぐって何メートルか歩を進めたところで、すぐに先ほどのガラス窓の裏側へ到着しました。
これがその眺めです。
広々とした空間を贅沢に使い、中心にちょこんと設えられたモダンなソファに座れば、青々とした中庭を一望できます。
しかし、何かが足りない。
匠のセンスがキラリとひかるこの素敵空間にただ一つ足りないもの。
それは・・・
あのパソコンがない・・・・・・。
困ったときは有識者に確認しましょう。
「さらに向こうの中庭」
なるほど!確かに庭がここ一つとは限りませんね。
父の記憶が正しければ、この大きなガラス窓に背を向けた先に、件のパソコンがあるはずです。
?
すかさず振り返った先にあったのは、小ぢんまりとしたチラシスペース兼キッズスペースでした。
あのノスタルジーで最先端なオレンジ色の端末など見る影もありません。
老朽化か何かの理由でとっくに撤去されてしまったのか、それとも記憶違いか。
「幼少期のエモい写真の場所にもう一度行く」などという、自分の死期を完全に悟った老人のような行いは、若造にはまだ早いということなのでしょうか。
・・・。
・・・?
いや・・・・
なんか見覚えあるな
件の写真に写っていた、円盤のようなオブジェクトと完全に一致しています。
よく見るとガラス窓の柱のようなものも同じ形状をしていますから、やはり目指してきた場所はここで間違いないということでしょう。
しかし、問題は「このパソコンはどこに行ったのか」「このパソコンには何が映っていたのか」です。
幸いここは市が運営している公的な施設。
多少不審者が話しかけたとしても、快く応じてくれるだろう!ということで、
まずは2階の資料室へ向かいます。
すみません!!!!この写真の詳細ご存じではないでしょうか!!!!
アシタカばりの声量で司書の方に尋ねると、
若干戸惑いながらもぱらぱらといくつかの冊子をめくり、
すぐに「あ、ありました」との返事がありました。
「情報ロビー」
全10ページにも満たない薄い冊子の中の片隅に、写真が載っていました。
奥の方に、探し求めていたパソコンが映っています。
まさか色違いでもう1セット存在していたとは。
まるで藤子・F・不二雄先生の短編集に登場する、未来の図書館のようですね。
しかし、今得られている情報はあくまで「かつてこの場所にこのパソコンが存在していた」という表面的なもののみ。
当初の目的である
「このパソコン名前にもう一度立つ」ことそのものは状況からして叶いそうにないものの、せめて
「この端末からどんな情報を発信していたのか」くらいは掴んで帰りたいものです。
司書の人:「私はただの図書館職員なので分かりませんが、
1階の受付に聞いていただければ何かわかるかもしれません。」
司書の方のアドバイスを受け、トコトコと階段を下って受付に向かいます。
「例の床」の名残のある廊下を通って受付の方に経緯を話すと、
休日明けに詳しい職員の方に聞いてみてくれるとのこと。
思い立って訪問したのは日曜日のことだったので、一度帰宅して
「脂あり」シールをレジンに封入したり、
寝室のドアノブを2つに増やしたりしながら調査結果が届くのを今か今かと待ち続けました。
そして翌日の午後2時ごろ。ついに、有識者からの着信を受け取りました。
職員の人:「川崎の歴史だったり、交流のある諸外国のビデオを流していました。」
なるほど!!どうやらあの端末はSFチックな未来のパソコンではなく、国際交流センターの名に恥じない真っ当なビデオを放映するモニターだったようです。
職員の人:「15年前くらいに老朽化で撤去してしまったのと、なにぶん古いものですから具体的な内容までは分かりませんが、資料お渡ししますね。」
ありがとうございます!!
職員の人:「ちなみにこれは何か学校の宿題か何かですか?」
いえあの、個人的にちょっとこういったブログをやってまして、その記事に載せさせていただけたらいいな、と・・・。
職員の人:「ああ・・・そうですか・・・。」
お手数おかけいたしました!!!!
というわけで恥を忍んで手に入れた資料によると、
当時はこの端末で2種類のビデオを放映していたようです。
台数:2台 という表記から察するに、
2つのビデオを1端末それぞれで流していたわけではなく、
片側の2台が川崎市歴史ガイド、もう2台が姉妹・友好都市紹介と役割分担していたようです。
私と妹が立っていたあの端末には、果たしてどちらが映し出されていたのか、
そのとき私は何を感じていたのか。
今となっては分からずじまいですが、
20年越しの自由研究にはもってこいの適度な冒険でした。
なお、その日の歩数計は15,000歩を記録していたので、大人の体力面から見ても大変適度であることが分かっています。