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『守り人シリーズ』アラユタン・ヒュウゴを語らせてほしい

宇宮7号です。ここでは上橋菜穂子作品の感想考察記事ばかり書いています。今回もそれです。

今回はヒュウゴの話です。

彼は『蒼路の旅人』『天と地の守り人』に登場する、タルシュ帝国の密偵です。
本編の内容だけでもなかなか沼な男ですが、外伝『炎路を行く者』収録の「炎路の旅人」には、彼のさらなる沼が描かれています。

「炎路の旅人」は、少年時代の彼を主人公とした物語です。この話、とんでもないです。上橋作品の主人公は、凄惨な過去や辛い運命を背負った人物ばかりなのですが、アラユタン・ヒュウゴときたら、もう主人公に名を連ねても良いんじゃないかと思えるほどの重い過去を背負って生きています。

「炎路の旅人」を読んでから本編に戻ると、ヒュウゴの描写の端々に過去や人間関係が散りばめられていて、さらなる苦味と深みを味わうことができます。

本編でヒュウゴの情報にやたらと謎が多いのには、理由があります。
この外伝「炎路の旅人」は、実は『蒼路の旅人』よりも前に制作されたものだからです。作者が巻を超えた長い伏線を描くことは稀なのですが、ヒュウゴに関しては、『蒼路』以前から設定が決まっていたこともあり、本編でも彼の情報は少しずつ出されていたわけです。
外伝刊行によってヒュウゴの過去がついにあきらかになったとき、『蒼路』や『天と地』で意味ありげに描かれていた数々の伏線が全て回収されたというわけです。

今回は、外伝を中心にヒュウゴの生い立ちを語り、それを読んだ後に注目すべき本編の箇所を引用で紹介します。
アラユタン・ヒュウゴの沼をご覧ください。

注:
①各巻タイトルについて「の守り人」「の旅人」「を行く者」を省略して書く場合がある
②『炎路を行く者』は『炎路』、そこに収録される短編「炎路の旅人」は「炎路」と書き分ける。


⒈本編におけるヒュウゴ(復習)

まず、ヒュウゴを覚えていない人のために軽く説明しておく。

彼は『蒼路の旅人』に初登場する。
タルシュ帝国の密偵で、チャグムをさらって南の大陸に連れていった人物である。
帝国に滅ぼされたヨゴ王国の出身で、今はタルシュ帝国の第二王子ラウル配下である「北翼」に所属し、彼が皇帝となれるよう力を尽くしている。

彼はチャグムにどこか肩入れしていて、タルシュ帝国の帝都に連れて行く道中、寄り道してヨゴ枝国を見せようとしたり、さりげなくチャグムの利になるようアドバイスをしたりする。

その後、『天と地の守り人』第一部では、利害の一致したバルサを、南翼(第一王子ハザールの配下)の手から救う。その際にチャグム宛の助言をつたえたことで、チャグムはカンバル王国やロタ王国との同盟を成功させることができるのである。

本編では、彼は二十七、八歳くらいと描写されている。頭の切れる男で、かつ優れた反射神経を持つ様子から、戦いの場でもそれなりの動きができるのだろうことが伺える。よく、刃物を思わせる顔と形容されている。なんだそれ、格好いいな。

彼はタルシュの密偵だが、彼の動機はタルシュ自体でなく、ヨゴ枝国にあるようだ。
タルシュ帝国を“伸びきった革袋”に例え、帝国の未来を憂えているが、それは、下手な滅び方をすれば大惨事になるから、らしい。枝国民の命運と繋がっている帝国を滅ぼさないよう動いているのである。

実際、枝国出身の官僚からの信頼は厚く、不穏分子を把握しつつ上手く調整している様子が伺える。
ヨゴ枝国出身者として同郷の者たちを気にかけているのも当然と言えば当然だ。しかし外伝を読むと、どうやらそれだけではないらしい。

外伝でヒュウゴの過去を知ってから、是非とも本編を読み返してほしい。


⒉外伝 ヒュウゴの過去

『炎路を行く者』収録「炎路の旅人」は、ヒュウゴが家族を失ってから、タルシュ帝国軍に入るまでの4、5年間を描いた物語である。

第一章 盾の滅び

まず開始早々、都の陥落シーンである。

ここで、彼の苗字に関する重い事実が明らかになる。
そういえば、新ヨゴ皇国で苗字を持つ者は、貴族や老舗商家(例:サマド衣装店)など、皆それなりの立場を持っていた。ヨゴの場合も同じらしい。ただのヒュウゴでなく「アラユタン・ヒュウゴ」である彼は、少なくとも何らかの由緒ある家出身だというわけだ。
しかしその「アラユタン」の名が何を意味するか、本編ではついぞ語られなかった。
ここで明らかになる。

アラユタン家は、代々「帝の盾」を輩出してきた上流武人家系である。
そして、ヒュウゴはその嫡子だった。

おいおいおい。
重すぎるだろ。

ここで本編を思い返して欲しい。
新ヨゴ皇国の帝の盾であったジン(アムスラン)の言動から容易に察せられるが、帝の盾は、もしも都が落ちるなら、最後まで宮で戦う役目を追う。最後の最後まで帝をお守りし、共に果てる。そういう武人たちである。
ヨゴの都が落ちたということは、帝の盾であったヒュウゴの父も、その運命を辿ったということだ。

さらに、本編では取り上げられなかったが、タルシュ軍は、その国の長に忠誠を誓う武人に対しては、敵討ちや国の再興の可能性を潰すため、親族もろとも皆殺しにするらしい。
(本当よかったな新ヨゴ皇国……。勝てて……。)
ヒュウゴたち家族の命も危ういというわけだ。

だから都にタルシュ兵が攻めてきた際、帝の盾の家族は、各地の隠れ家に避難していた。
ヒュウゴが母と妹と共に隠れていたのは、大運河の岸辺に立つ倉庫である。
もう一度言っておく。大運河の岸辺に立つ倉庫である。あとでここ蒸し返します。

ここをタルシュ軍が急襲するところから、物語ははじまる。
運河の出口は抑えられ、火をかけられて、多くの帝の盾の家族が逃げ惑い、殺されていく。
父の別れ際の「母と妹を守れ」という言葉に従い、ヒュウゴは母と妹を逃がそうとするが、混乱の中で二人は殺され、自分一人だけが倉庫から脱出する。

そうして焼け跡で、一人の少女に助けられるところから、彼の新たな人生は始まるのである。


しかしこの、ヨゴの都が炎上してヒュウゴが家族を失う章の章題が「盾の滅び」って本当しんどい。

(やつらが、子どもまで皆殺しにしたのは、ヨゴの武人の芽が生き残るのを恐れたからだ。)
 ならば、どんなに苦しくとも、生きつづけねばならない。
 ヨゴの武人は滅びてはいない。たったひとりでも、自分が生きのびているかぎり、滅びたことにはならない。

第一章4 焼け跡

ヒュウゴという存在は、南の大陸で消えてしまった帝の盾の残滓なのだ。

第二章 下町暮らし

ヒュウゴを救ったのは、リュアンという年上の少女だった。彼女は異界を見る目を持っていた。口を聞けない少女だが、異界(ナユグ)の生き物の力を借りて、ヒュウゴには彼女の声が聞けた。

彼女とその父の口利きで、ヒュウゴは酒場の住み込み下働きの職を得る。
下町の言葉遣いや暮らしに慣れようとするヒュウゴは、『精霊』でのチャグムに通じるところがある。
例えばヒュウゴが「それでは」を「それじゃあ」と言い直させられたり、客の残飯を食べ、頭を叩かれるのに慣れていったりする様子があるが、『精霊』にもチャグムが「それでは、間に合わぬではないか」を「それじゃあ、間に合わないよ」と訂正されるシーンがある。
チャグムとヒュウゴの境遇の一致を知ってから読み返す『蒼路』はだいぶん味が違うことだろう……。

ヒュウゴはその後、たまにリュアンとその父の家に戻って食事をしたりしながら、いつしか二人を家族のように思い始めるが、一方で、先を思い描くことのできない下町の暮らしに閉塞感を抱くようにもなる。

そりゃあそうだ。彼は武人に……それも帝の盾になるために生きてきたのだ。何もかもを失って、酒場の下働きをしながらどこに向かえば良いのか、見失うのも無理はない。

この閉塞感から、彼はまあ一言でいえば不良少年になってしまうわけだ。
はじまりは、同じ酒場の仲間が、他所の酒場の少年に襲撃されたことだった。
相手は、近辺で名を馳せる喧嘩慣れした少年だが、所詮はごろつき。かたやヒュウゴは、武人になるための体系的な訓練をずっと受け続けてきたのだ。相手にならない。
よってヒュウゴは、修練場で培った体術で彼を叩きのめしてしまう。

その後、噂を聞きつけた別の不良に目をつけられ、さらなる小競り合いを続けていくこととなる。

ここで酒場の頭を気取った相手に対する、ヒュウゴの評価を見てみたい。これは本編での彼の生き方に通じているように思う。

「……カシラってのは、仲間を守って、ナンボだろ。仲間から金をむしりとるようなやつは、カシラでもなんでもねぇ。ただの、ダニだ。」

第二章4 狂気

彼は『天と地』第三部で、帝国における枝国の意味をラウル王子に説いた。そして、枝国から湧き上がる不満を解決するため、北の大陸から手を引いて枝国兵を家に帰すよう進言した。

彼が枝国のために心を砕き、自分の身の危険を顧みずラウルを諌めた理由が、ここからわかる。
彼は“カシラが仲間を守ること”に価値を置いているのだ。
そしてまた、帝の盾(の一族)の生き残りとして、ヨゴ枝国のために動いていたからだろう。

第三章 ならず者のカシラ

その後もヒュウゴは喧嘩を買い続け、十七になった頃には、下街の西半分をまとめるならず者となっている。
そんなとき、ひとりのタルシュ兵と出会う。彼との出会いが、ヒュウゴの人生を大きく変える。

彼はオウル=ザンという名前のトーラム枝国民だった。命を狙われた彼を助けたとき、ヒュウゴは支配者たちの裏側の世界を垣間見る。
そしてオウル=ザンから軍に入ることを勧められ、この先の生き方を考え始める。

作中では、行先に悩むヒュウゴが“どうありたかった”のか、何度も示されている。

 白い鎧をまとって立っていた父の姿は、心の深いところに、いまも在る。死を目前にしながらも、父は、帝への忠誠にわずかの揺らぎもおぼえていなかった。
 胸苦しさをおぼえて、ヒュウゴは浅く息を吸った。
(おれも……。)
 ヒュウゴはぎゅっと目をつぶった。
(父上のように生きたかった。)
 一点のくもりもない清廉な武人でありたかった。おのれの欲のためでなく、天ノ神の光を守り、民を助ける者でありたかった。ヨゴを幸せにする者でありたかったのだ……。

第三章5 白い夢

当たり前だが全て過去形で書いてある。
その事実がもう悲しい。
新ヨゴ皇国と同じように、皆が帝の神聖さを信じ、帝に忠誠を誓う国だったのだろう。新ヨゴとヨゴとの類似性が明らかになればなるほど、滅びの道を辿ったヨゴの過酷な運命が浮き彫りになって大変辛い。

国が滅ばなければ、ヒュウゴは父のような(読者に身近な存在で言えばジンのような)帝の盾として気高く生きたのだろう。
すでにその道は失われてしまったが、それでも彼はその生き方を諦められないでいる。以下は、リュアンに語った言葉である。

「……近衛士でなくても、いいんだ。
 口からその言葉が出てみると、自分が、ほんとうにそう思っていることがわかった。
 父のような近衛士になりたかった。けれど、なりたかったのは〈近衛士〉という身分や役目ではなくて、それが体現している何かだった。
「ヨゴを──国も民もみんな──幸せにするために生きている、と思える仕事なら。」

第三章6 夕暮れ

ちょっとしんどすぎる。
彼は帝の盾になるべく育ち、そんな役割が無くなってもなお、何かを諦めきれずに、今の下街ぐらしを持て余している。帝の盾そのものにこだわっているのではない。それに似た生きがいを求めている。
でもそれって、今の彼の視座では、決して見つからぬ生き方なのだ。



最終的に、ヒュウゴは軍に入ることを決める。
彼の心を動かしたオウル=ザンの言葉をあげておく。

「おれは、自分に忠誠を誓っている。──それは決してゆらがぬ。殺されてもな。」

第三章3 夜明けの運河

帝への忠誠から、自分への忠誠へ。
そう変わると決めて、彼は軍に入る。
このとき、ヒュウゴはようやく、“帝の盾が体現する何か”を見出し始めたのだろう。

その後彼は、軍に入ってからの十年ほどのあいだに、ラウル王子配下の北翼で頭角を表していく。

そうして、ついに北の海でチャグムに出会う。
本編におけるヒュウゴの、ともすれば不可解な行動は、自分に忠誠を誓い、枝国の為に国を導こうとする、あの日決めたあり方そのものなのだ。


⒊外伝読了後は、本編のここを読み返してほしい

ここからは、本編の振り返りをおこなう。
「炎路」を知る前とあとでは、本編の見方が大きく変わるだろう。

そもそもこの話が一度お蔵入りになったのは、先にこちらが出版されてしまうと、皆がヒュウゴに感情移入し、『蒼路』で読者がチャグム視点で読みづらくなることを危惧されたからだという。

これは本当にそうだと思う。
二周目の「守り人」は、どうしたってヒュウゴのことを考えずにはいられないからだ。心してかかってほしい。

というわけでこの項では、各巻のヒュウゴの台詞を確認し、答え合わせをしたり解釈したり感慨に耽ったりしたい。

『蒼路の旅人』

 かすかにかすれた声で、男がいった。
「国が滅びるとき、なにがおきるか、思いえがくことができますか。
 敗戦につぐ、敗戦。しだいに都に近づいてくる敵の足音。わたしは、はっきりとおぼえております。夜空の底を赤黒くそめる炎と、守る者のいなくなった都の大門の外で、整列したタルシュ軍が打ちならす、海鳴りのような軍鼓の響きを……。」
 チャグムは目をあけて、男を見た。
 表情は平静だったが、彼の額には、わずかに汗が浮いていた。「その光景を、これほど経った今も、夢にみることがあります。──わたしは、タルシュ帝国に滅ぼされた、ヨゴ皇国の出身ですから。」

『蒼路の旅人』 第三章1 出会い

うわあ。
外伝を読んだ後の、このシーンの禍々しさよ。

これは、出会ったばかりのチャグムに語った話である。ここでチャグムは、タルシュ帝国の手先であるはずのヒュウゴが、帝国に滅ぼされたヨゴ人だと知るわけだ。

そして、外伝を読んだ者はもう知っている。
彼は自分が体験した絶望の百分の一だって語ってはいないのだと。
あの軍鼓のなか、赤黒い炎のなかで、彼は父を失い、母と妹を救えず生き残ってしまったのだし、そんな目にあってしまったのは、彼が平民でなく、帝に忠誠を誓う「帝の盾」の家系の者だったからなのだ。
そんな苦しみを抱えて彼は生き、今、北の大陸の海で、まさに滅びの危機に直面している新ヨゴ皇国皇太子に対して、国の滅びる瞬間を語っているのだ。

しんどいんですけど。
とんでもない因果だな。

さらに複雑な因果はこれだけでない。
次は、ナユグにひかれるチャグムを目にしたときのヒュウゴの語りだ。

(あの少年は……。)
 ほんとうに異界を見る目をもっている。歌語りや、民の噂で、さかんに伝えられていたチャグム皇太子のふしぎな力は、ただのお話ではなかったのだ。
 いまは遠くなった、なつかしい人の面影が、心に浮かんできた。
 その人は、よく、今日のチャグム皇太子とおなじような目で、異界を見つめていた。異界に心ひかれ、あちら側に行ってしまいたいという切望をたたえて。

『蒼路の旅人』 第三章5 鷹の爪の下に

これももう、意味がわかる。
リュアンだ。
ヒュウゴを救った少女であり、姉のような存在である(ちなみに外伝でのヒュウゴは彼女のことを「リュアン姉ちゃん」と呼んでいる。かわいい)。

「炎路」には、リュアンが「シグ・サラ」という名前を口にするシーンがある。おそらく『精霊』に出てきた、水源に咲く花「シグ・サルア」と同じものであろう。ナユグという名前こそ出てこないが、リュアンが別の世界の流れを読み取って水脈を見つけているのをヒュウゴは知っている。
「炎路」の最後には、異界の流れが変わって北に向かっていることに、彼女が気づいている様子もある。
ナユグにひかれるチャグムを見て、「いまは遠くなった、なつかしい人」を思い出すヒュウゴ……。

こう見ると、ヒュウゴにとってチャグムは、なんと色々な要素を凝縮した存在なのだろう。
滅んだ自国と対をなす北の大陸の新ヨゴ皇国。そんな海の向こうで、ほんとうなら自分が仕えていたはずの「帝」となる存在。高貴な身分でありながら市井で暮らした経験を持ち、雑巾を上手に絞る皇子。そして、恩人と同じ、異界を見る目を持つ少年……。

もう一度言うが、とんでもない因果である。

なんというか、ヒュウゴにとってこの旅は、もしかすると古傷に触れるような旅だったのではないか?と、心配になる。
かつての自分とその周りの世界を映し出すような、あらゆる共通因子を持った人間の前で、この男、よく平気でいられたものだ。

ちなみにチャグムを象徴する色は「ナユグの水の色」すなわち「瑠璃色」であり、この話も『蒼路の旅人』である。
対してヒュウゴの歩く道は「炎路」である。それはあの都の陥落から、彼の道が始まっているからなのだろう。
どこまでも“対をなす”存在である……。

『天と地の守り人』第一部

続いて、『天と地』でのバルサとのシーンを読み直して欲しい。
バルサが南翼配下の者に毒を盛られたところを、ヒュウゴたち北翼が助け出し、川沿いの小麦倉庫に匿っていた。そこを南翼の密偵が襲う。彼らは倉庫に火をかけ、毒で体が動かないバルサはあわや死にそうになる。
ヒュウゴがかけつけ、二人して倉庫を脱出する。
その後のシーンである。

 どのくらい眠ったのだろう。ヒュウゴの声で、バルサは目をさました。
 あたりはもう、うっすらと明るくなっている。空はうす紫色の光をたたえていた。
 悪夢にうなされているように、顔をふりながら、ヒュウゴはだれかの名前を呼んでいる。女の名前のようだったが、よく聞きとれなかった。あまりに苦しそうなので、バルサはヒュウゴの肩をつかんで、ゆすってやった。

『天と地の守り人』第一部 第二章4 小舟の夜

ここ、未読者は、「誰だろう…恋人かなにかかな」と不審に思うところだが、外伝を読むとわかる。
これは絶対、死んだ妹のことである。
救えなかった妹の名前を呼んでいる

その後のバルサとの会話で、それは確信に変わる。

「ずいぶん、うなされていたよ。」
 バルサにいわれて、ヒュウゴは、かすかに苦笑を浮かべた。
「……火事が、いけなかったな。火事には、いやな思い出があるんだ。こんなに時が経っても、まだ悪夢をみる。」
 それだけいって、ヒュウゴは目をとじた。

『天と地の守り人』第一部 第二章4 小舟の夜

ほらやっぱりそうだ。
絶対妹のナァンだ。
読み返して欲しい。二周目ではこのシーンの深みが全然違う。

「炎路」読了後は、もはや「いやな思い出」を字面だけで受け取ることはできまい。
その「思い出」とやらが、くっきりと鮮やかに、音も匂いも伴って立ち現れてしまうこと請け合いである。
(っていうかこれ「いやな思い出」ってレベルじゃないぞ。大トラウマだろ。そりゃあ十余年経っても悪夢くらい見るわ。)

単に「火事」というだけではない。場所も悪い。
ここで、母と妹が死んだ場所を思い出して欲しい。
大運河の岸辺に立つ倉庫である。

そしてこのシーンは川縁の小麦倉庫。

あまりにも共通している。これは意図して重ねてるだろ。
(なんてひどいことをするんだ、作者……。)

……いや、或いは「今回は助けることができた」と見てもいいのかもしれない。
あの時は(母と妹を)助けられなかったが、今回は(バルサを)助けることができた。それはもしかしたら(本当にもしかしたら)ヒュウゴの救いになるかもしれない。なるといいのだけれど……。

やはり北の大陸を巡るこの任務は、ヒュウゴにとっても、かなり思い入れの強い旅になる気がする。
なんだこの男。3人目の主人公か??

『天と地の守り人』第三部

続いて第三部。ラウル王子との会話である。
それまでヒュウゴは、枝国の不穏分子の存在を伏せていたことをラウルに咎められ、牢に繋がれていた。しかし、王位継承において手詰まりになったラウルによって牢から出され、枝国の意味と今後の方策について助言する。

以下は、「なぜ手に入れた情報で、南翼(ハザール王側)の宰相ハミルに恩を売らなかったのか」というラウルの問いに対する返答である。

「……そんな、小さな利益を得るために、わたしは、父と母と妹を殺したあなたの、家臣になったわけではない。」

『天と地の守り人』第三部 第五章2 ヒュウゴの言葉

うっわ。
重すぎる。

この台詞、ラウル王子に向かって言ってます。
ヨゴ皇国を滅ぼしたラウル王子に、あのとき家族を殺された男が、面と向かって言ってます。

……っていうか、あのとき下町で生き残った帝の盾の子供が、今その時の征服軍の総大将の目の前にいるという事実だけで、もう目頭が熱くなる。随分遠いところまできたなアラユタン・ヒュウゴ……。


続いて南翼宰相ハミルについて。

「(略)ハミルは、太陽宰相になるために、二十年も、彼を信頼してきたオイラムを見捨てた。策略のために、信義を捨てたのだ。──いつ、自分を見捨てるかわからぬ男になど、自分の未来をゆだねられるものか。彼が太陽宰相になっても、枝国出身者は、アイオルさまを慕うようには、彼を慕うことはない。」

『天と地の守り人』第三部 第五章2 ヒュウゴの言葉

これも、カシラについて語っていた少年時代のヒュウゴに通じるところがある。
“カシラは仲間を守ってこそ価値がある”という彼の思いが、ここにも現れているわけだ。


そして最後にラウルについて。

「あなたは、短気で傲慢なタルシュ人だ。おのれの癇癪にふりまわされて、すべてを破壊してしまうかもしれぬ。しかし、あなたには、ハザールにはないものがある。タルシュ帝国を繁栄させたいという、強い願いと、それを実行していくだけの能力が。
 わたしは、あなたに賭けたのだ。──賭けに負ければ、生きていても、意味はない。」

『天と地の守り人』第三部 第五章2 ヒュウゴの言葉

この不遜な言い方よ……。
主君に「短気で傲慢なタルシュ人だ」とかよく言えるな……。

本編だけを読んでいたときは、この場面からは、ある種のやけくそ感……「追い詰められた鼠に強いも弱いもない(by『獣の奏者』のエリン)」感を読み取っていたのだが、外伝を読んでからは少し見方が変わった。

彼は、自分に忠誠を誓っているのだ。

ヒュウゴは、南翼にいたことがあるらしい。それは最初に軍に誘ってくれたオウル=ザンの手引きなのだろう。詳細は不明だが、外伝には「〈南翼〉にいた頃」という言葉が出てくる。

であれば、彼は自らラウルを選んだのだ。
自ら選んで、南翼から北翼へ移ったのだ。

ヨゴの近衛士のように、帝がただ帝であるという理由で、忠誠を誓うのでなく、自らの責任でもって、ラウルを選び、賭けたのだ。
これでラウルの不興を買って殺されても、それは賭けに負けただけのことなのだろう。


上橋作品には、「支配者に全てを預けて無知に甘んじるな」という主張が散見される。
ヒュウゴの物語も、まさにそれである。

(おれは……。)
 自分に忠誠を誓えるだろうか。──わが身は、忠誠に耐えうるほどのものだろうか。
 武人とは、帝のためにわが身を捨てる者だと教わって生きてきた。だがもう、そんな生き方はできない。
 帝にすべてを預け、生きるも死ぬも、帝に責任を負わせて、自分ではなにも考えぬ、そんな生き方では、だれも救えはしないのだ。
 おのれの足で立たねば、見えぬ景色がある。

『炎路を行く者』収録「炎路の旅人」第三章7 碗の中

彼の、ラウルを前に一歩も退かぬ態度も、チャグムや枝国民に関わる危ない綱渡も、全ては、支配者にすべてを預けず、自分の責任として引き受ける態度の現れなのだ。
その生き方は、チャグムやラウルらにも影響を与えずにはいられないだろう。


そりゃあ……沼な訳だよアラユタン・ヒュウゴ!
お願いだから帝国の太陽宰相になってくれ!!


まとめと所感

「炎路の旅人」は冒頭でも言ったように、一度出版を見送られた作品である。
確かにここまで見ていくと「お蔵入りにもなるわ」という感想しか出てこない。
先に出版されていたら、チャグムやバルサの旅を追いかけるどころではなかった。『蒼路』の旅のあいだじゅう、ヒュウゴの気持ちを想像するのに忙しかっただろう。

以下、外伝の要点をまとめる。
・ヒュウゴは帝の盾の息子で、祖国はラウル王子によって滅ぼされたこと
・その際、自分の無力ゆえに母と妹を死なせ、自分一人だけ生き残ったこと
・彼を救った娘はナユグを見る目を持っていたこと
・カシラは仲間を守ってこそ価値があるという信条を持つこと
・帝に忠誠を誓うのでなく、自分に忠誠を誓うと決め、自国を滅ぼしたタルシュ軍に入ったこと


ぜひとも「炎路の旅人」を読み、上記を把握したうえで本編を再読してほしい。
ヒュウゴの言葉に、新たな意味が次々と見えてきて、彼の沼に沈むはずである。


(ここから所感)
「炎路の旅人」は、本編完結後も、どこに位置付けることもできず、お蔵入りのままだったそうです。
若いバルサを主人公にした「十五の我」という物語と共に並べることで、ようやく『炎路を行く者』として刊行できたのだといいます。
『炎路』後書きでこの話を読んで、ひっくり返った記憶があります。(嘘だろ、これが永久に読めない可能性があったのか……?と。)

作者は、作品全体の流れを重視するために、本編では人物の掘り下げを意図的に行わないことが多いです。
記事冒頭で、小出しにされた彼の情報を「伏線」と述べ、ここまで解説してきましたが、この「伏線」というのはあくまで結果論。当初伏線のつもりで書いてあったのかも不明ですし、なんなら明らかにされないまま終了していた可能性すらあるということです。本当に恐ろしい。

ファンとしては、外伝が無事刊行され、「炎路の旅人」を読めたことに、大喜びと大感謝で一杯です。

アラユタン・ヒュウゴの沼がさらに底なしであると、多くの人に知ってもらいたいものです。

↑別に回し者ではない。ファンはすぐ布教する。

この記事が、皆様の「守り人シリーズ」再読のきっかけになれば幸いです。


上橋作品についての記事は以下のマガジンにまとめています。興味がある方は是非ご覧ください。

それでは。
読んでいただきありがとうございました。

宇宮7号

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