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#01 原始編/人類史の始まり【1/4】世界史(前近代)

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【原始編】人類史の始まり(旧石器・縄文) ←イマココ!

【古代編】国家の誕生(縄文・弥生・古墳)

【中世編】世界宗教の栄華(古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町)

【近世編】世界の接続(室町・戦国・安土桃山・江戸)




まえがき

人類の起源には様々な説があります。

 ユダヤ教・キリスト教の聖典『旧約聖書』の創世記では、神が自らの姿に似せて人を創ったとしています。
イスラム教の聖典『コーラン』でも、唯一神アッラーが人を創ったとしています。

 一方で、仏教では生き物の輪廻転生を説いています。
キリスト教やイスラム教が人類の優越性を唱えるのに対し、仏教は人類と動物の類似性を唱えています。


 現代科学においては、ダーウィンが提唱した進化論が最も有力な説となっています。
いわゆる、サルからヒトに進化したという論説です。

 この進化論についても、かつては
「サル→猿人→原人→旧人→新人」
という一本線の進化論が主流でした。

 けれども、近年の分子生物学の発達により、ヒト属にも多くの種類が存在したことが明らかになりました。
そして、原人や旧人は長い人類史の中で絶滅してしまい、現生人類(=新人/ホモサピエンス)のみが絶滅せずに存続したというのが真実なのではないかと考えられています。

ヒト属の枝分かれと概観


 このシリーズでは、進化論をベースとした人類の歴史をダイナミックにお話ししていきます。


 …さて、それでは長い長い人類史の旅を、どうぞお楽しみください!




世界史(前近代)時代区分

【原始編】人類史の始まり
(紀元前700万~紀元前3000)旧石器~縄文

①非現生人類時代(紀元前700万~紀元前20万)旧石器
②旧石器時代(紀元前20万~紀元前8000)旧石器~縄文
③新石器時代(紀元前8000~紀元前3000)縄文

【古代編】国家の誕生(紀元前3000~476)縄文~古墳

④国家形成時代(紀元前3000~紀元前525)縄文~弥生
⑤ペルシア時代(紀元前525~紀元前334)弥生
⑥秦・アレクサンドロス時代(紀元前334~紀元前202)弥生
⑦漢・ローマ時代(紀元前202~220)弥生
⑧帝国崩壊時代(220~476)弥生~古墳

【中世編】世界宗教の栄華(476~1368)古墳~室町

⑨南北朝・東ローマ時代(476~618)古墳~飛鳥
⑩唐・イスラーム時代(618~960)飛鳥~平安
⑪宋・神聖ローマ時代(960~1096)平安
⑫モンゴル・十字軍時代(1096~1368)平安~室町

【近世編】世界の接続(1368~1789)室町~江戸

⑬明・ティムール時代(1368~1453)室町
⑭オスマン・ハプスブルク時代(1453~1644)室町~江戸
⑮清・ウェストファリア時代(1644~1789)江戸




①非現生人類時代
(紀元前700万~紀元前20万)

 一匹のサルが突然変異を起こし、それが進化種として繁栄し、地球上に「ヒト属」として定着したのは紀元前700万年頃だと推定されています。
この初期に誕生したヒト属を猿人と呼びます。
突然変異の中で最も重要なポイントは、直立二足歩行でした。
なお、彼らはヒト属ですが私たち現生人類の先祖ではないかもしれません。

 紀元前240万年頃、一人(一匹?)の猿人が突然変異を起こし、それが進化種として繁栄し、新たな「ヒト属」として定着しました。
この新たなヒト属を原人と呼びます。
突然変異の中で最も重要なポイントは、火と言語の使用でした。

 次は紀元前60万年頃、一人(一匹?)の原人が突然変異を起こし、それが進化種として繁栄し、新たな「ヒト属」として定着しました。
この新たなヒト属を旧人と呼びます。
突然変異の中で最も重要なポイントは、埋葬の風習(精神の発達)でした。




②旧石器時代(紀元前20万~紀元前8000)

《ホモ・サピエンス》

 紀元前20万年頃、一人(一匹?)の旧人が突然変異を起こし、それが進化種として繁栄し、新たな「ヒト属」として定着しました。
この新たなヒト属を新人と呼びます。

 また、それと同時期に地球規模の寒冷化が発生しました。
それにより、原人や旧人、新人も含む多くのヒト属が絶滅します。
しかし、そんな中で種を存続させたヒト属が一種だけ存在したのです。

 それが、新人の一種であったホモ・サピエンス(現生人類)でした。
現生人類はこの後、20万年ものあいだ存続し続け、生物界の頂点に立つことになります。


《グレートジャーニーと旧石器革命》

 現生人類が誕生したのは東アフリカ地域でした。
紀元前20万年頃に進化してから10万年以上の間、彼らはアフリカで生活(生息?)していました。
現生人類が初めてアフリカの外に生息圏を広げるのは、紀元前6万年頃になります。

 現生人類がアフリカから外へ生息域を広げた出来事を「出アフリカ」と呼びます。
加えて、紀元前7万年頃から氷河期が始まっており、ユーラシア大陸から陸続きで南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸に行くことが出来ました。
そのため、現生人類は地球全体へ生息域を広げていきました。
このことを、グレートジャーニー(大いなる旅)と呼びます。

出アフリカ、グレートジャーニーのルート


 また、現生人類は紀元前5万年頃から、様々な認知的習性を始めます。
それは例えば道具の作成であったり、物々交換(交易)であったり、洞窟壁画身体装飾(顔料/宝石)のような芸術であったりです。
このような現代的行動を現生人類が行い始めた出来事を、旧石器革命ということがあります。

ラスコー洞穴壁画(フランス)


 こうして私たちの祖先は、私たちと同じような「心」を手に入れたのでした。




③新石器時代(紀元前8000~紀元前3000)

《氷河期の終わり》

 紀元前8000年頃になると氷河期が終わり、地球規模での温暖化が始まりました。
そのため氷が溶けてしまい、ユーラシア大陸と南北アメリカ大陸は切り離されました
それからの約9500年もの間、人類史の重要な出来事の多くはユーラシア大陸と北アフリカで生まれることとなります。


《旧世界と新世界》

 宇宙船という言葉があるように、宇宙というのはよく海に喩えられます。
「地球という島から、月という島へ」というようにです。

 同様に、海を宇宙に喩える考え方も存在します。
海が宇宙ならば、島や大陸は星になります。
私たちが月面旅行に憧れるのと同じように、数世紀前の人々は「もう一つの大陸」に憧れを抱きました。

 かつては氷河期で一体化していた二つの大陸は、長い年月をかけて異なる星となっていました。
二つの星の住人は同じ現生人類でしたが、互いにそれには気づけません。
ヨーロッパの人々はアメリカ大陸という星を「発見」したとき、その場所を「新世界」として認識しました
私たちが宇宙人を同じ人間だと認めづらいのと同様に、ヨーロッパの人々は「新世界」の住人を同じ人間だとは認識しなかったのです。
本当は同じ現生人類であるのに、それに気づけなかったのです。

 氷河期の終わりによって分かれた二つの世界。
ユーラシア大陸側の住人は世界をこのように定義づけました。

旧世界:ユーラシア、アフリカ
新世界:南北アメリカ、オセアニア

緑の部分が「新世界」、灰色の部分が「旧世界」


 ここからの人類史は、しばらく旧世界を中心に回っていくことになります。


《採集・遊牧・農耕》

 氷河期が終わり地球が温暖化すると、マンモスのような大型動物は絶滅し、小型で動きの速い動物が繁栄するようになります。
これまで狩猟により食料を賄っていた現生人類は、新たなライフスタイルの構築に迫られます。

 こうして発達した食糧調達方法が、採集と農耕でした。

 自然環境が豊かな地域では採集漁労が普及し、植林文化が発達します。
また、同時期から磨製石器土器も普及を始めます。
中でも、日本列島では世界最古級の磨製石器や土器が出土しており、非農耕かつ定住の縄文文明が成立しました。

三内丸山遺跡(日本)

 自然環境の厳しく食料確保が難しい地域では、農耕が発達します。
農耕に適した植物である「麦」は中央アジア、「米」は東アジアが原産地だったため、両地域の周辺においては農耕が普及を始めました。
特に、中東のメソポタミア地域や、東アジアの長江・黄河流域では大規模な農耕文明(メソポタミア文明/長江・黄河文明)が成立していきました。

 このような農耕の普及を「新石器革命(食料生産革命/農業革命)」と呼びます。

 なお、麦は米と比較すると生産効率があまり高くない作物だったため、麦を農耕の主軸に置く地域では、穀物とは別の食糧確保手段として牧畜が普及しました。
これにより、東アジアでは米、ヨーロッパでは麦プラス牧畜という構図が出来上がっていったのです。


 また、ユーラシア中央部の草原地帯(ユーラシア・ステップ)は非常に牧畜に適した気候であり、加えて「馬」の原産地でもありました。
そのため、ユーラシア・ステップ地域などの現生人類の中には、牧畜メインのライフスタイルを選択する種族もいました。
そのような種族のことを、遊牧民と呼びます。

ユーラシアステップの草原地帯


 氷河期終了後の現生人類をまとめると、以下のようになります。

①採集民(自然豊かな地域)
②遊牧民(①ほどではないが自然豊かな地域)
③農耕民(自然が厳しい地域)
※④海洋民


《オーストロネシア語族・ドラヴィダ語族》

 20万年近くの時を経て、現生人類も多くの種族に分かれていきました。
現生人類の種族の分類には、人種語族民族など、様々な分類方法があります。
その中でも、世界史において頻出するのが語族と民族です。
語族に関しては現代言語学に基づいており、民族に関しては文献史料などに基づいていることが多いです。
そのため、文献史料が少ない原始・古代においては、語族による分類がよく使用されています。

 紀元前4000年頃、東アジアに生息していた語族が、東南アジアおよびオセアニア地域に移動しました。
彼らをオーストロネシア語族と呼び、フィリピン語などに継承されています。

オーストロネシア語族の多くは海洋民族となった


 紀元前3500年頃には、西アジアに生息していた語族が、インドに移動してインダス文明を興しました。
彼らをドラヴィダ語族と呼びます。
モヘンジョ・ダロといった遺跡が現在も遺っており、言語もタミル語などに継承されています。

ドラヴィダ語族の多くは南インドに根付いている




古代編(2/4)はこちらから

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