なんでも「怖い」と片付けるひとたち
おいしいものでも「やばい」大変だなということでも「やばい」
かわいいものでも「やばい」っていう、、、笑
言葉のボキャブラリーが足りないですねっていう
お話ではなくて、、、
何かにつけて「怖い」を連発する同僚がいたので
一体何が「怖い」の?と聞いてみたことがある
私が各社員の業績を数値化していて、それを聞く事もできると知って、
会社に訪ねてみた話をしたら
「怖くてできない」というのでね
何が怖いことなの?と、問うと
回答が
「そんな熱意はどこにもない」
と、返ってきて、
え?それが怖いことなの?と聞くと
熱意がないから怖いって思ってたっていうんだけど
それってどういう意味?って聞くと
う~ん、、って考えこんでいた同僚・・・
無意識に「怖い」を使っていて、何が怖いか
まったくわかっておらずひたすら、「怖い」を使っている印象
ボキャブラがないとかじゃなくて、
私が伝えたいのは、
自分の本心がどこにあるかがわからないまま
本心とは別の言葉を多用していると、本心が自分のことなのに
わからなくなるという現象が起きている、、と
自分のことが自分でわからない現象に助長をかけていると
はたで見ていて感じたこと
怖いと感じたなら、一体何が怖いと感じているのか
それは自分を知る上で大切なこと
ただ、怖いというのは心地よくない周波数だから
即解放ワークしてしまっても良きですが
自分が自分たらしめていることは、
これは自分の望みを知る上でも同じことがいえて、
自分が発信することなら、まずは自分が何を感じているのか
明確にしても良いように感じ、
自分を知る上で必要な要素だなと、捉えています
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