情状鑑定却下と総裁選に思うこと

※なかなか文がまとまらないのでAI機能に助けてもらいました。
ちょっと言いたいことと違うところもあるけど仕方ない。

山上被告の情状鑑定が奈良地裁によって却下されたというニュースは、予感していたとはいえ、実際に現実となるとやはりショックを受けました。
この結果は、事件後の政府の動きを見る限り、いずれこうなるだろうと薄々感じていたことの一つでした。

事件直後、岸田首相が早い段階で「安倍元首相と統一教会の関係について調査しない」と明言していたことを考えれば、山上被告の成育環境を詳しく調べ、その背景を明らかにしようとしないのも、今振り返れば当然の流れだったのでしょう。

さらにショックを受けたのは、このニュースに対するメディアの取り上げ方です。「情状鑑定の詳細(情状鑑定が行われた有名な判例等)」「なぜ検察が反対し、地裁はそれを却下したのか」について、マスコミ各社がほとんど触れず、意見も書いていないことが非常に残念です。それに対する世間の反応の薄さも目立ちます。このままでは、献金の被害者たちは歴史の転換に常に生じる被害者の一部として片付けられてしまうのではないかという不安が拭えません。

被告が書いたと思われる「人は究極的には自分が経験したことしか本当に理解できない」という言葉が、今強く心に響きます。
先日、自民党の総裁選候補者たちの討論会を見ながら部屋を片付けていた際、この問題に一切触れない彼らを目の当たりにし、「あなたたちは、あの事件の果てにそこに並んで座っているという自覚があるのだろうか?」と、冷めた気持ちになりました。

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