ありのままの自分を両目でガン見〜51歳でようやく長所も短所も
ありのままで。
そのままでいい。
自分らしく。
そんな言葉は
いろんなことを捨てられずに
これまで生きてきた人たちが
これからの自分の人生を
生きてくためにとても大切なんよな。
こうあるべきって
しがらみや固定観念。
やらなきゃって
両手や肩からあふれてる
いろんな役割やモノごと。
捨てたきゃ捨てりゃいいじゃん。
今なら笑ってそう言える。
でもね
子どもの頃から
悪気なく当たり前のように
やらなきゃいけないことや
刷り込まれてきた価値観や
振り分けされた役割。
これを捨てるのには
かなりの勇気と思い切りが
必要な人もいるのよ。
私は50歳でようやく手放せた。
手放せて初めて気づいた。
手放すだけで
こんなにも人を
憎まず妬まず
手の中にある幸せを
受け止めることが出来るんやって。
手放すだけで
他の誰かの幸せそうな笑顔で
こっちまで幸せやと感じるもんやって。
離婚をきっかけに
50年間手放せずにいた
価値観や捉え方やモノなどなど
これからの私にとって
大切なもんはなんやろうって
何度も何度も吟味して
何度も何度も手放した。
ありのままの自分ってやつを
その繰り返す作業の中で
存分に感じた。
離婚してからの時間は
これからの自分の人生と
背負っていけるモノと
大切にしてくモノと
向き合った時間とも言えるよな。
息子と娘が社会人としての目処も付き
1人での生活を考えてくようになって
これまでの自分や出来事を
あたらめて振り返るようになった。
今の武器に繋がる
大切な出来事や経験。
今まではついつい
自分目線だけで振り返ってて
相手目線での振り返りは
無意識のうちに避けてたかも。
これまでを客観的に
見られるようになったらこそ
相手から見たダメダメな自分も
苦笑いしながら
分析できるようになってきた。
片目で薄目で見ても
うわっ見たくない。
それを両目で
目を見開いてガン見して。
そうできた今は
いい感じに肩の力が抜けて
自分の力量も適度に把握して
キャパの許容量での活動範囲も
自分でわかってきた。
51歳の今が
まるごと自分を理解出来て
1番いい感じなんだよな。