そんなに大事なものなのかな

「大事なもの」「大切なもの」って人それぞれきっと何かしらあるんだろうなって思う。
十人十色って言葉があるくらいだから。
言いえて妙だなと、いつもこの言葉を見るたびに思うんだよね。
こんなにわかりやすい言葉ないでしょって。

あ、やべ、話したい事脱線した。
戻すね。

「大事」「大切」は、人それぞれ持っているもので「それぞれ」だから別に何が正解とか、間違っているとかないと僕は思う。
実際、是か非かなんて判断しようとしている人の物差しでしか図っていないから始まるわけで。

んで、何が言いたいかというと、その人が「大事にしたいことやモノ」「大切にしたいことやモノ」を勝手に推し量って、採点してほしくないってこと。
はっきり言って、僕・私はこういう感情を持っていますよっていう主張だったり表現をして自分が自分を認めてあげる作業をしているわけ。
それに対して、是か非かをとやかく言う権利なんてあるのかなって。
それに、言ったところで結局のところ何がしたいのかわかんないって話。

判断することが間違ってるとかじゃないよ。
時と場合、ケースバイケースってことね。
判断しなくてはいけないもの、そういった環境であることと、自身の欲求を満たすためにすることは別の話なんじゃないかな。

僕の性に関してのことだってそう。
僕自身グレイで判断しかねることを、どこの誰かもわからないやつが勝手に決めた「普通」に押し込められてる。
生まれてきてから、あなたはどっちですよって整理する基準にするためだけに判断されて。
個々の尊重を謳われてる中で生活してきてるけど、本人の意思になんて耳を傾けてくれないのが現状でしょ。

ここに一つのリンゴがあります。
10人の人に「置いてあるリンゴは何色に視えますか」と問いかけた。
すると、9人は「赤色(レッド)です」と答え、1人は「青色(ブルー)です」と答えた。
それを知った9人は、青と答えた1人を変な奴だと問う。
「なんでそんな風に見えるのか」「どうしてお前だけ違うのか」と。

つまり、9割が本来ならば間違いである方を正しいと主張していることに対して、1割が本当に正しい方を主張したとしても、多くの面積を塗られてしまっては耳を傾けてもらうことさえしてもらえないということ。

現状の人間なんてこんな感じだよね。
伝わるかなあ。
だから、諦めてしまうよね。

その人にとっての正とまた別の人にとっての正は全く同じだと考えてしまっては、受け入れる体制も発信する体制も作れないんだ。
もし、自身の中での心地良さに沈んでいたいのなら相手に求めなければ良いと僕は思う。
自分勝手なものに返ってくるものは本当に必要なものであるのか考えてみてほしい。

ていう、だらだらした僕の主張でした。
ちょっと乱文すぎるかも。
ありがとうざいました。

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