逃げた話
少し前の話になる。アルバイトだが、仕事を辞めた。前にしていたアルバイトを辞めてから約半年間、私は大学4年生の終わりを学業もろくにせず自分のためだけに過ごしていた。それなりに楽しかった。やりたくないことはやらず、やらねばならない(やらないと卒業できない)ことを最低限して、後はたくさん寝て本を読んでYouTubeをみたり映画を見て音楽を聴いて過ごした。
今回のバイトは生きるためのリハビリのつもりだったけれど、自分を過信していたなと今は思う。私はまだそんなに強くなかった。
今まで5つほどのアルバイトをしたけれど、そのうちやり切ったと言えるものは2つだけである。コールセンターは3日で辞めたし今回の飲食店は10日で辞めた。我慢というものができないのである。なぜ生きてるだけでもともと何もなくても辛いのに、たかがお金のために私が大変な思いをしなければいけないか全くもってわからない。金がないと死ぬならそうと先に言ってから産んでくれ。働かないと生きていけないのではなく、金がないと生きていけないのだ。は?そんなのイヤだ。
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「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、
だれがシロクマを責めますか」
梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」からの言葉。私は仕事中、ずっとこの言葉が頭の中に流れていた。
「できることとできないことがある」「向き不向きがある」というのは、あまりにも粗末だがどうしても本当のことだと思う。誰にでもできることができない場合もあるし、みんながすぐにできないことをあなたはできるかもしれない。
自分が心地よく生きる場所を求めて漂うことは悪いことなのだろうか。そんなわけはないんだ。
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さて、私の脳内に住みついてる”常識的な自分”が悩んでる時に話しかけてきたいくつかについて記そう。
「やり切れば自信と達成感とお金が手に入るよ」
お金、はそうだろうけれど、今までの労働で達成感など得たことがあっただろうか?無いような気がする。大学を卒業できても達成感も自信も身についてはいない。出来たことなんかに意味は無くて、夢は叶った瞬間には現実になり下がっているのである。私は自分の心を殺して得たなにかに少しの価値も感じない。
「ここでまた逃げると逃げ癖がつくよ」
そうだと思う。辛くなったら逃げてしまうのだと思う。私はそれで良いんだ。もう、それでいいことにしたんだ。なぜサボテンが水の中で生きなければならないのか。お前を砂に沈めてやろうか。
「この程度もできないならこの先何もできないよ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。死ぬということ以外の未来はすべて不確定なので。殺すぞ。
「君の抜けた穴を補うのは誰だと思ってるんだ?」
ごめんなさい。自分が大事です。自分の心が大事です。私1人が抜けて回らない仕事場、欠陥がありますよ。
「コストを割いてくれた先方に申し訳なくないのか?」
ごめんなさい。自分が辛い思いをしてまで守りたい場所じゃなかったです。
私はこんな感じで自分を説得していろいろなことをやめてきた。
「帰りたい」と考えずに済む日々は穏やかでとても良い。労働は悪である。そう確信できた日々だった。やりたくないことはやらない方がいい。何かをやめなければ、何かを始めることはできない。時間と体力がないと心がうまく動かなくなる。心が動かないと、考えることもできなくなる。考えていない人間は社会に使われて殺されてしまう。上手くできたシステムですね。
どこまでも逃げて、逃げて、逃げて、もう逃げ場がないと思えるところまでは私は逃げ続ける。私は世界に殺されない。私を殺すのは私だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。