オタクな限界大学生の雑記帳 5.ボランティア
こんにちは。海田彩です。前回の投稿から結構時間経ちましたね。お久しぶりです。
なんか秋通り越して朝晩だけ冬に片足突っ込みかけてるような気もします。さて。今回は、大学内で有志を集めて行うボランティア活動に参加した話をします。
私が参加したボランティアは、東日本大震災から開始した活動だそうです。東日本大震災だけでなく、熊本地震のボランティア、そして今回の令和六年能登半島地震のボランティア活動を行ってきました。被災地での清掃作業や人的交流がメインのこの活動。今回は、輪島市で炊き出しと子ども縁日の運営といった、人的交流がメインでした。
25日の夕方。荷物の搬入作業を行い、盛大に見送られながら、大学を出発しました。そこから、石川県七尾市の宿泊場所へと向かいます。 到着したのは、日付が変わる少し前。この日は即就寝で、活動は26日の朝からとなります。
26日
26日。この日は、輪島市内の小学校にて、炊き出しと子供縁日の運営を行いました。
朝から炊き出しの準備を行い、おにぎり600個に豚汁、焼き鳥と焼きそばを、ボランティアに参加した全員で手分けしながら作ります。
ちなみに私はおにぎり担当でした。大量のお米をといで、炊けたお米にふりかけを混ぜて、おにぎりメーカーに詰めて成形、その後ラップで包む作業をひたすら続けました。一緒に作業していた子曰く、200個ぐらいは作ったようです。2人でそんな作ったんか。
途中、お昼休憩として、宿泊場所の近くにあったうどん山口さんに行きました。
ここのうどん屋さん、何もかも最高においしかったです。かつおといりこの2種類あって、味見させてもらったんですが、おいしすぎてびっくりしました。そして、なんと珍しい(なお私個人の感覚)じゃがいもの磯辺揚げがあったんです!ほっくほくでめっちゃおいしくて、これはハマる予感。いりこの佃煮もおいしかった。
店員さんもいい人過ぎて感動しながら昼食を終えて、残りの作業を全て済ませた後、ついに輪島市に向けて出発です。
バスに乗ってから、眠くなってしまった私はしばらく寝ていたんですが……。バスが大きく揺れたことで目が覚めました。そのとき走っていたのは、のと里山海道という高速道路。驚いて窓の外を見ると、道路の状況が悪化していることに気づきました。
能登半島の北に向かうにつれ、バスが大きく揺れることも増えていきます。そして、テレビで見た光景の一部を、目の当たりにしました。亀裂が走り、陥没した道路。斜面が崩れ、宙に浮いているガードレール。一部、高速道路の車線を新しく作り変えていたようで、本来あった道路の横に建設されていました。
そんな光景を見ながら高速道路を降り、一般道を走ります。そこでも、被災地の現状を見ました。9月の豪雨で崩れたであろう山の斜面、屋根にブルーシートがかかっている家屋や、倒壊したままの家屋。
実際に間近でその景色を見て、ショックを受けました。そして、輪島市の中心部に入り、あのビルの倒壊現場の真横を通り過ぎました。
後で調べたところ、10月7日から公費解体が始まっていたようです。
画面越しにしか見ていなかったあの景色が、目の前にある。言葉が出ませんでした。その代わり、被災地の現状が、今でも鮮明な記憶として残っています。
途中、すれ違ったトラックの荷台には、被害を受けた家屋から出されたであろう座布団や家財道具らしきものが乗せられていました。埃をかぶった状態で、どこかへと運ばれる様子を見ながら、バスは、炊き出しと子供縁日を行う小学校に到着しました。
準備をしながら呼びかけを行い、子供縁日からスタートしました。
始まる前から待ってる人たちもいて、想像以上に大盛況でした。私は、子供縁日のほうを担当していて、ストラックアウトのとこでいろいろしてたんですが、みんなすごい。めっちゃ上手。中には野球少年もいました。
そして、炊き出しの方も時間を前倒しして始まっていたようです。仮設住宅や避難所で生活する方々や、近隣に住む方々が集まり、あっという間に炊き出しも終わりました。
キッチンカーで炊き出しを行っていた方や、カメラマンの方、現地で私達のサポートをしてくださった方と豚汁を食べた後で片付けを行い、七尾市に帰りました。
帰宅途中、夕食などの買い出しを行ったコンビニの店員さんから「疲れた時は甘い物食べてね」と声をかけられました。めっちゃ優しい……。ありがとう店員さん、明日も頑張る……。と思いながら、宿泊場所に戻ります。
27日
この日は宿泊場所の掃除をすることもあり、26日よりもさらに早く起きました。(あと、もう一度うどんを食べたくて)同じ部屋だった子たちと協力して、なるべく早めに掃除機を確保(という名の拉致?)して、掃除を早めに終わらせます。
それから朝ごはんのうどんを食べてちょっとしてから出発です。
この日は、輪島市内にある「輪島マリンタウン」にて子供縁日の運営を行いました。
昨日とほぼ同じルートで輪島市内を走ります。途中、道の駅で休憩しました。そこで、北陸と長野県限定の「いろはす巨峰味」を見つけて、即座に購入する私。限定という言葉と誘惑に勝てないことはたまにあります。
地震による被害の影響か、道の駅にあるのと鉄道の駅と線路の跡地に近づけなくなってました。敷いていた木材がはがれていたので、それが原因かもしれません。
道の駅で軽く休憩した後、再びビルの倒壊現場の前を通って、輪島マリンタウンに向かいました。
マリンタウン内では、ほかにもイベントや炊き出しが行われていて、私達が到着した時点で、すでに沢山の人がいました。
昨日はワンオペで回していたストラックアウト、この日は複数人で仕事を分担しました。人手まじありがたい。
この日は京都に帰るため、昼過ぎに輪島市を出ることになりました。帰る前、偶然にも地元の方々と話す機会が何度かあったのですが。そこで、「輪島のことを忘れないでください」と、話していた方がいました。ボランティア活動が終わってなんやかんや時間が経ちましたが、未だに忘れることができません。話していた方の前で危うく泣きそうになりました。
私は、復興に必要な技術を提供することができない。かつてないほど、無力感を感じました。
被災した輪島の光景を覚えておくことしかできない。そして、見たものを誰かに伝えることしかできない。私にできることは、それだけです。
そして、輪島の朝市の火災を動画撮影した方もいて、その映像も見せてもらいました。輪島のルートインホテルの前でバスを待っていたんですが、そこからわずかに、火災の現場を見ることができました。
そして、昨日は周囲が暗くてよく分からなかったのですが、斜面が崩れている場所が、私の思っている以上に多くありました。
2枚目と3枚目は、住居が巻き込まれています。
現地を見てみないとわからないことも多いと感じました。今回のボランティア活動に参加できて、本当に良かったです。
帰りは、羽咋市にある「道の駅 のと千里浜」で昼食を食べました。ごはんを大盛りにしてくれたり、イカ刺しをごちそうになったりと、うれしい出来事がありました。後で話を聞いたところ、卒業生の方がいたそうです。なんかもうめちゃくちゃありがとうございます……。カレーもイカ刺しもめっちゃおいしかったです。
そこで各々買いたいものを買って、再びバスに乗ります。ちなみに、赤飯大福なるものを買ったんですが、それもまじでおいしかった。ジェラートも最高でした。てか石川県、うまいもん多すぎ。めっちゃ好き。(ちょろいな)
それから何事もなくバスは走っていたんですが、ここでまさかの事態。なんと、二度も渋滞に巻き込まれてしまいました。
一回目の渋滞はそこまでだったんですが、二回目の渋滞がちょっと長かったですね。その結果、大学に到着したのが9時近くという……。片づけを素早く終わらせ、帰宅しました。
これまで、被災地へ向かうボランティア活動に参加したことはなかったんですが、とてもいい経験になりました。
被災地を訪れて目にしたもの、感じたこと。これらは、絶対に忘れたくありません。
恐らく、卒業するまでにもう一度、このボランティア活動が行われるかもしれません。そのときは、再び参加したいです。
それでは、また。