『運命は踊る』
タイトル:『運命は踊る』
監督:サミュエル・マオス
いやはや、凄い映画を作るもんだ。開いた口が塞がらないほど強烈だった。『ラブレス』と『運命は踊る』に同じ年に出会えるとは。
イスラエルのテルアビブに住む裕福な夫婦、ミハイルとダフナ。彼らの元に、軍から悲しい知らせが届く。息子ヨナタンが戦死したというのだ。ダフネは気を失い、ミハイルは悲嘆にくれる。しかし、息子の死は誤報だった。軍の対応に怒るミハイルは、いますぐに息子を呼び戻せと主張するが……。
①息子の死という誤報に翻弄される夫婦②前哨基地の検問所に勤務する息子③その後の夫婦、という3部構成になっている。セリフは極限まで削られていて、すべてのシーンは明確な意図をもって計算しつくされている。"イスラエルの今"と、”普遍的な愛の形”を、運命という切り口で鮮やかすぎるほど鮮やかに切り取った傑作だ。ここまで全てを制御して映画を作ることができるものだろうか。
ミハイル夫妻のクラス部屋は、明らかに富裕層仕様だ。ミハイルはiPhoneを使っていて、こだわりぬかれた幾何学的なインテリアの中にいる。ただ、どこかおかしい。絨毯はエッシャーの絵のようで、上から見ると気が狂いそうだ。息子の死の報せという異常な状況を差し引いたとしても、違和感が拭えない。
息子の死が誤報だったと聞いて、ミハイルは激怒する。ミハイルの怒りはもっともだ。軍にいい加減な扱いを受けて、信用できなくなる気持ちも分かる。しかし、周りの人たちはミハイルに寄り添わない。「死んだのが他の人で良かった」「死んだのは別の人だったんだからいいじゃないか」何度も繰り返される「他の人が死んで良かった」の言葉。ホッとする展開のはずなのに、言いようのない不安がスクリーン全体を支配する。
そして、突然場面が切り替わり、息子ヨナタンのパートに突入する。それまでの暗く緊迫した密室劇とは全く異なる、広がりのある風景、弛緩した空気。4人の若い兵士たちが過ごす様子が淡々と描かれていく。彼らが寝泊まりするコンテナは沈みかけていて、道路はラクダが歩いている。そして、ある事件が起こる。
またシーンが切り替わる。またあの幾何学的な部屋だ。ミハイルとダフナ。しかし、どうも状況が変わっているようだ。一体何があったのか…?
ザックリと説明すると、こんな感じで物語は進んでいく。特筆すべきは、真ん中のヨナタンパートだろう。皆口を揃えて戦争中だという状況と、ヨナタンが置かれている環境との大きなギャップ。沈んでいくコンテナ、ヨナタンが描くイラスト、そしてヨナタンが語る父の話。ヨナタンパートはどこか間が抜けていて滑稽だが、非常に観念的だ。そして、ビックリする出来事が起こる。驚きすぎて、文字通りしばらく開いた口が塞がらなかった。衝撃……。この一連の流れで、イスラエルが今どのような状況にあるのか、少なくとも監督が考える"イスラエルの今"が語れているのだ。彼の目から見たイスラエルは、傾き続けていてこのままだといずれ沈んでいく。凄い。あまりに凄すぎるよ。
核心に触れない会話や、直接指し示さない表現方法など(途中のアニメーションシーンも面白い)、一見すると難解な作品に見えてしまうかもしれないが、実は非常に分かりやすい部類だと思う。最終的にある程度【答え】は示されるし、監督が表そうとしていたことも、理詰めで組み立てられている印象。映画を読み解く勉強にもなるような作品なのではないだろうか。【答え】を一歩も二歩も先送りしているので、特にパート③なんかは謎解きチックでもある。
なお、原題の『Foxtrot』とは、ダンスのステップの名前。どう踊っても、最終的には同じところに戻ってくるステップで、映画の中では、色々な人が何度かFoxtrotを披露するシーンが登場する。特にパート②でヨナタンがステップを踏むシーンは秀逸。空気感も音楽も良くて、予告編でこのシーンを見て鑑賞を決めたくらいのインパクトがある。
その他、聖書とプレイボーイ、第一子と第二子、頻出する俯瞰からのカメラワークなど、繰り返し繰り返し出てくるモチーフも周到。そして、当然のことながら戦場という場所や人の死といったテーマも。そして、できればイスラエル(特にIDF=イスラエル国防軍)については、少し頭に入れて行った方がいいかもしれない。作品の舞台は現代のイスラエルで、主人公たちはユダヤ人。 ある程度の前提知識と、この設定は押さえておくとより理解しやすいはず。とはいえ、テーマは多分に普遍的なものを含んでいるので、仮に状況がよくわかっていなくても感じるところはあるはずだ。