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不思議なモノサシの話
小学生の頃の夢は、早く大人になりたい。そう、仕事して、車も運転して、結婚もしてみたりなんかして、と落ち着いて生活できていそうな年齢を妄想し、早く早く30歳くらいになりたい。だいたいいつもそんなことを考えているもんだから、小学校の卒業式でひとりひとり将来の夢を発表せねばならないと決まった時、透明のOHPフィルムを前に頭を抱えてしまった。しかしそこは思春期の入口に立ち無難なやり過ごし方も少しは知り始めた小学6年生女子。無難に、「小説を書く人になりたい」と本棚に囲まれた眼鏡の自分を描いて提出した。
卒業式後、「あんたは小説家になりたいの?」と母に首を傾げられたのも良い記念になった気がする。
じつは卒業式の半月前に父親を癌で亡くしたばかりで、今後の生活が不安で不安で仕方なかった時期でもある。夢なんて元からないし、今からそんな“夢”なんてものに目をキラキラさせて生きてったら絶対大変!自立した生活ができて、尚且つ母を支えられる収入もあって、病気の父にしてあげられなかったモヤモヤしたものも昇華できるような仕事…これはもう医療分野を目指すしかない!とよく聞く話的な感じで看護師を目指すことにした。
人生の波に流された感も否めないけれども、学んでいく過程でやり甲斐も見つけ、たぶん私はこの仕事以外には働けない気がしている。
病気の人を助けたい、誰かの役に立ちたい、という崇高な志で目指した道ではないが、いざ学び舎に入ってみると意外とクラスメイトの半分くらいは「独りで生きていける仕事」「一生モノの資格」「再就職に有利」といった、堅実な理由でこの道を選んでいた。「月給がいいから」と正直に答えて、指導教諭にため息をつかれた子もいた。この道を選ぶ理由も人それぞれなんだなぁ、面白いなと思ったのを覚えている。
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この進路、常に気高く進んできたわけではないが、それなりに真面目に向き合ってきた。途中挫折したものの新しい居場所も見つけてやり甲斐も見出して、無くしかけた自信を取り戻し始めていたその時期、当時の彼=現・夫が両親に私を紹介したいと切り出した。
若いなりに結婚を視野に入れてのお付き合いをしていたし、私の方は既に実母に彼を紹介済みだったこともあり、初のご対面の話は驚くものでもなかった。ただ、それよりも前に彼が「お付き合いを始めた子がいる」と母親に私の存在を告白した時、「就職したばかりで女の子と付き合うなんて早すぎる」と号泣、猛反対を宣言されたとうなだれる姿を見ていたので、その“アンチ・ワタシ”な家に真正面から乗り込んでいくのはそれなりに憂鬱になってしまったのは言うまでもない。
対面当日、彼の母が好きだという黄色いガーベラの鉢植えをプレゼントに持参し、お皿いっぱいのチャーハンを頂きながらカチコチに固まっていると、彼の母=現・義母が私の印象について話し始めた。
「私の妹が看護師でね。お金があるもんだからいつもブランドのバッグや靴を買ってきては自慢してたの。忙しいからって家のこと何もしなかったのよ。買い物と旅行に明け暮れてたの。看護師って、お給料いいお仕事の代表でしょ。モノに目がくらんでろくな人間にならないのを私、見てきてるのよ」
「だから、○○(息子)が看護師の子と付き合い始めたって聞いて、怒っちゃってね。わかるでしょ?」
「でも今日、あなたを見たところ、服も地味だし、そのバッグもブランドとかじゃ無さそうだし。物腰も穏やかで、私の妹とは全然違うのね」
最初に、猛反対を喰らったという話を彼から聞いた時、それをそのまま私に伝えるのもどうなの。正直で良いけれども。泣いたなんてほんと?とツッコミを入れたかったが、実際に当人に会って、これは事前に聞いておいて良かったと痛感した。何の情報も無しにいきなりこの態度でこられるとけっこうきつい。こんなに偏見たっぷりの感想をにこにこ笑顔で述べる人に、私は会ったことがなかった。猛者が闊歩するあの急性期の戦場でも、ここまでオープンに嫌味を言ってくる人はなかなかいなかったと思う。
紹介された頃は戦場を離れ地域の小さな法人で働いていたので、ブランド物を持つお金も勇気も興味もなく、容姿も垢抜けないままの野暮ったい若者であった私は、そのお陰か彼母が初耳時に大激怒した息子の彼女の第一印象(イメージ)を実物を見てもらうことで多少払拭できた様子だった。
「看護師やってる女の子でも、あなたみたいな人もいるのね!なかなか会う勇気が出なかったんだけど、安心した」
笑顔でそう言われ、私もお会いできて嬉しいです、と残りのチャーハンを残さず頂いた。
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褒められたのかけなされたのか、どちらにしても安心してもらえたのは悪い結果ではなかったので、ひとつ前に進んだと友人に報告した。随分と正直なお母さんね、それってかなり馬鹿にしてない?と今後のお付き合いの先にある結婚についても心配されてしまったが、その頃は同居なんて選択肢は私の中では皆無で、ちょっと気難しそうなお義母さんだけど何とかなるんじゃないかなぁとお気楽に捉えていた。
結果、この友人の懸念は大当たりで、その後も私の愚痴を聞かせてしまうことになるのだった。
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義母独自のモノサシの中で、お金の浪費が激しくろくな人にならないという偏見のある職業=女性看護師は、彼女の中では男女の区別の無くなった公の呼び方「看護師」ではなく「看護婦」のままで、息子が努力して掴んだ国家資格は「看護士」。看護婦と看護士はまったくの別物らしく、「看護士」の息子は、それはそれは自慢の息子なのだそうだ。(ワタシ調べ)
(当時の会話は多少脚色していますが概ね当時の再現です)