見出し画像

塵も積もれば

確執というほど堅苦しくもないから衝突というべきか、はたまた反抗とも言うのか、巷では嫁姑問題とか嫁姑戦争とか言われている、そういうもの。

義母と私との間には小さな小さな揉め事が山積みだ。解決したかと言うと、解決したような、棚の上にあるような、見て見ぬふり、触らぬ神に祟りなし。

平穏に暮らしたい。私としてはそれだけなので無論そうしてきたつもりだったし、それでもというかそれだからこそ積み重なるストレスは、買う用事のない買い物、あての無い散歩、実家にふらりと寄ったりして溜めないように、というより“家にこもる時間=義母と同じ空間で過ごす時間”を極力減らすことで消化していた。

それならば、日中は仕事をすればいいんじゃない?と多くの人は考えると思う。確かにその通り、私も結婚当初は常勤からパートに変わり勤めを続けていた。ただ、それは扶養内で収まる時間、家事に支障のない範囲。短くても週3回各6時間だけ、義母が在宅である自宅から正々堂々離れることができていた。

住処が変わり、片道1時間かかる上に、終業も遅い時刻となると帰宅は簡単に20時を超えてしまう。単純に、これがネックでパートに変えてもらっていた。スタッフの急な欠勤時に補充される非常勤も兼任、稀に予定外の出勤も。夫婦二人暮らしなら、この働き方はとても私に合っていたと思う。

夫の出勤を見届けて朝の家事を済ませての出勤、仕事を終えて夕飯の買い出しも食事作りもその他家事も余裕な帰宅時刻、激務な夫の負担はできるだけ軽くしつつ協力して生活できていたはず、と想像した夜は数え切れないほど。

実際は、送り出したあとに洗濯や掃除をしようとしたら、まだお姉ちゃんが寝ているから洗濯も掃除もうるさいからしないでちょうだい。買い物はお昼ご飯の前に○○市場に行くのだけど、あなたは車があるのに仕事でいないから頼めないわね。夕飯の支度の前に洗濯物を取り込むんだけど、まだまだ帰ってきてないだろうから私がしておくからね。夕飯の後片付け、そんなに慌ててしなくていいのよ。○時くらいから一緒にやればすぐ終わるでしょ、それまで皆でテレビでも見てましょうよ。忙しくしてるのは嫌いなの。

という義母のお言葉でなかなか実現には至らなかった。

読んで字の如く、私は○○家に嫁に来たのだった。この家の主権は義母にあり、一日のスケジュールは彼女の手中。私という嫁が来るまでの三十数年、家庭専属を貫き、ずっと家を守り家族を導き育んできた彼女の矜持は「専業主婦の私」にあるということに疑いの余地はなく、それが誇りでもあったのだろう。その世界に息子の嫁を組み込むことは容易ではないだろうが、嫁も嫁である自覚があれば、協力協調して然り、きっとそうしてくれるはず。「嫁」なんだから。

義母の理想は、働く家族を送り出したあとは共に洗濯物を干し、分担して家を掃除し、和気あいあいと買い物へ出かけ、お昼はお喋りに花を咲かせて、午後は読書や新聞の感想を述べ合い、洗濯物を並んで畳み、肩を並べて夕飯を作り、団欒の時間を楽しんだあとはそれぞれお部屋でのんびり過ごしましょう。みたいな同居生活だったのだと思う。思うというか、ある日そう伝えられた。あなたは全部叶えてくれないけど、と付け加えられて。


初めから、新婚旅行から帰って早々「仕事は続けます」と言ったあの時から、義母はイライラして仕方なかったと思われる。

彼女の理想の同居生活も、こう書いてみるとそんなに難しいご希望でもないな、と感じる。しかし、そこに私の意思はやはり邪魔なのだな、とも思えた。

義母と私との揉め事は、起こらない方が無理な話だったのだ。


いいなと思ったら応援しよう!