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煙草(小説)



 出会いなんてないと思っていた。ゲイであることを隠して介護士として働いている僕に、理想の男性との出会いなんて。



「初めまして。上村時雨(かみむら しぐれ)です」

 いたー! 理想の男の子がいたー!

 数合わせに無理矢理参加させられた合コンだが、今僕は心の中で主催者を抱きしめている。ありがとう。僕を誘ってくれて。

 名前が神々しい彼は、見た目も美しかった。墨色のサラサラの髪に、白皙の美貌がよく映える。すっと通った高い鼻筋に、切れ長の一重が涼しげだ。かと言って冷ややかなのではなく、穏やかに瞳が微笑んでいる。

 生まれ持った天然美。隣の彼だけが光り輝いて見える。

「超かっこいいんですけど」

 僕の目の前の女の子が、隣の女の子と囁きあっている。同じ男性であるのが悔しい。目の前の女の子と、今すぐ体を入れ替えたい。

 嫉妬に燃えるかたわら、合コンは、つつがなく進行していった。

 話が進むうちに、参加者全員が福祉系の仕事をしていることが発覚した。主催者が今まで勤務していた職場の同僚や後輩に声を掛けたものだから、必然的に介護士が多い。十人中七人が介護士だった。彼も介護士だそうだ。入居型施設とデイサービスという違いはあるものの、同じ介護士であることは揺るぎない事実である。心の中で拳を突き上げた。

「すみません。ちょっと、お手洗い行ってきます」

 ひとりの女の子がポーチを手に、立ち上がる。すると他の四人の女の子たちもポーチやリップを手に、私も、と席を立つ。

 残った男性陣はあの子が良い、と狙っている女の子について話し始めた。

「なあ、上村。お前は誰狙い?」

 主催者が彼に話を振った。ハイボールのジョッキを傾けていた彼は、んー、と少し迷ってから、ひとりの女の子の名前を挙げた。端の席に座っていた、特別老人ホームの事務員の女の子だ。

「やべ! オレとかぶった!」

「はは」

「うわー! イケメンの余裕! 腹が立つ!」

 彼の顔に、少し疲れが見える。気がした。

「ただいまー」

 女の子たちが戻って来ると、男性陣も続々と席を立った。特に用は無かったのだが、ひとりにされるのが気まずくて、みんなに合わせた。

 酔いが回っているし、数分だけ夜風にあたろう。そう思って、みんなに背を向けて店外に出た。目の前は交通量の多い国道だ。集客を見込んでか、この付近には様々な居酒屋が立ち並ぶ。店先でぼうっとするわけにはいかず、店の奥に回る。すると。

「あ」

 彼がいた。スマホ片手に、煙草を吸っている。

 目と目が合った瞬間、思わず声を上げてしまった。なにか続けないと。なにか。

「煙草……なら、中でも吸えるみたいですよ」

 外に出る途中、いくつかのテーブルで煙草を吸っている客を見かけた。

「らしいですね。無理矢理連れてこられた合コンですけど、煙草の煙が苦手だっていう女の子も多いですし、参加するからには気を遣いますよ」

 だからわざわざ外に出て、排気口もある店の奥でタバコを吸っているのか。行動が格好良すぎる。僕が近付いたことで、スマホをズボンのポケットに入れたのも好印象だ。

 細くしなやかな指が、挟んだ煙草を唇に近づける。口に含み、煙を吐き出す。一連の動作がスマートだ。

 やばい。完全に落ちた。僕の心の中の乙女が、完全に恋に、落ちた。

「無理矢理? ということは、来たくなかったんですか?」

「ん、ああ。余計なことを口走ってしまいましたね。すみません」

 彼は困ったように眉尻を下げて、内緒ですよ、と言葉を続けた。

「こういう騒がしい場所、苦手なんです。ごめんなさい。あなたが好き好んで参加してるなら、気を悪くさせるようなこと言って」

「いえ。僕も無理矢理連れてこられたんですよ。ぶっちゃけ僕も騒がしい集まりは、苦手で……。それに、お酒も苦手なんです」

 ゲイだから殊更苦手なのだが、初対面で言うことではない。

「良かった。僕だけじゃなかったんだ」

 笑うと、意外に幼く見える。

 安心したように煙草を吸う。吐き出した紫煙でさえも、彼の美貌を引き立たせる装飾品のようだ。

「ところであなたは……すみません、名前を覚えるのが苦手で。川上さん、でしたか? もう一度、名前を教えてくれませんか?」

 苗字だけでも覚えてくれていたことに、舞い上がりそうな気分だ。

「もちろんです。僕は、川上龍之介といいます」

「ああ。古風で、かっこいい名前だ」

 しみじみと褒めてくれるから、胸が弾んだ。

「か、上村さんこそ、和の美しい響きの名前じゃないですか。それに名前だけじゃなく、見た目も美し、くって……」

 つられて、小っ恥ずかしいことを口走ってしまった。瞬時に耳まで熱くなる。穴があったら入って閉じ篭りたい。

「あははっ。ありがとうございます」

 照れ笑いを浮かべる彼の耳も、ほんのり赤みがさしている。暑いですねえ、と、手で顔を仰いでいる。

「川上さんが良ければ、下の名前で呼んでもいいですか? 僕のことも時雨と呼んでください」

「駄目どころか、こんな古くさい名前、いくらでも呼び捨ててください!」

 やばい。心がとっちらかって、何を口走っているのか自分でも分かっていない。名前を褒められた。下の名前で呼び合える。脳の処理が追いつかなくて、爆発しそう。

「響きが好きなんですよ。龍之介さん」

 おじいちゃんみたいだと昔から言われていた嫌いな自分の名前が、好きな人に好きだと言われた! 恨めしく思っていた名付け親に、今初めて心の底から感謝した。

 不意に風向きが変わり、彼が吐き出した紫煙が初めてこちらに流れてきた。煙の残骸が顔にかかる。

「龍之介さんは、どうしてここに?」

 彼がポケット灰皿を取り出した。エチケットがしっかりしている。

「酔い醒ましに、夜風にあたろうかと思いまして。そんなに飲んでないんですけどね」

「そうですか」

 冷えた風がふたりの間を流れる。不意に訪れた沈黙が重く感じる。

「そろそろ戻りましょうか?」

 ポケット灰皿に短くなった煙草が入れられる。それで、密会もどきの終了が告げられた。

「煙草、なんていう銘柄なんですか?」

「これはね」

 彼は白い箱を掲げた。コンビニでよく見かける物だ。

「興味があるんですか?」

「ええ、まあ、少しだけ」

「吸いたいなら、初心者向けの優しいものをおすすめしますよ」

 彼が優しく微笑む。

「いつでも連絡してください。せっかく合コン参加メンバーだけのライングループもあるんですし」

「ありがとうございます」

 行きましょうか、嫌ですけど、と悪戯っけな笑顔を見せる。

 まだここにいたい。二人きりで話していたい。もっと色んなことを話していたい。

 そんなこと、出来ないけれど。

 薄汚い店裏に未練を残したまま、僕らは店内に戻った。

「お。やっと戻ってきた」

「ごめん。ちょっと一服してた」

「川上も吸うんだっけ?」

「いや、僕は酔い醒ましに外にいました」

 男性は全員戻っていた。僕らがいなかった間に席替えをしていたそうで、主催者に上村はそこ、川上はそこ、と指定される。斜め向かいの席になれたけれど、話すことはなかった。

 僕と時雨は二次会にも参加しなかったから、それっきり。帰る方向は見事に真逆だった。まだまだ盛り上がっていく夜の街をひとり、駅に向かって歩いて行く。途中でコンビニを見つけ、ふらりと入った。

「あった。えっと、その煙草ください」

 眠そうな店員に番号を告げ、白い煙草を購入した。

 家に着いてすぐ、灰皿替わりの空き缶を手に、ベランダに出てタバコに火をつける。

 煙は、風に合わせてくゆらせながら、空に消えていく。

 甘い、スイーツのような匂いがした。

 タバコを咥え、息を吸う。

 理想的すぎる見目麗しい彼。優雅な名前の彼。性格も完璧な彼。

合コンのグループラインから、個人アカウントを追加してくれた彼。二人で飲みに行こうと、誘ってくれた彼。だけど。

「……あー、きっつ」

 肺に煙を入れた途端、盛大に噎せた。

 甘くて吐きそう。

 彼は、どんな気分で煙草を吸っているのだろう。

「甘い煙草を吸うのは……なしだったなあ」

 口内に苦味が広がった。

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