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遠野物語は実話怪談たりえるか?
こんにちは。うみのまぐろです。
岩手県遠野市、遠野市立博物館で、企画展『遠野物語と異界』が、2024年7月19日(金)~9月23日(月・祝)の間開催されています。(もう一週間だからまだ行ってない人は必ず行くべし)
去年、夏季特別展として、『遠野物語と呪術』が開催されていたのですが、仕事が忙しくて行けなかったため、今年こそはと意気込んでいたのでした。
結果は、絶対に行くべし。
呪符、呪詛返し、人魚の爪、人魚のミイラなど、館蔵の品も多いですが、市立博物館でよくぞここまで…というコレクションを見ることができます。
それはそれとして、弾丸ツアーのわりに遠野の夕暮れでぼんやりする時間もあったので、遠野物語がなぜ現代でも愛されるのか考えてみたのでした。
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前提として遠野物語とは
遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家の佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記・編纂する形で1910年に出版されたものです。遠野に伝わる不思議なお話や怪談が収録されており、現代における民俗学のバイブルみたいに扱われる本です。
実話怪談と都市伝説について
まぐろはたまに、「怪談や都市伝説が好きな魚」と紹介されることがあります。それで、まぐろの話に「知ってます。都市伝説ですよね」とコメントいただくことがあるのですが、「いえ? 今のは実話怪談で」と言いたいこともありつつ厄介オタクと思われるのは嫌なのでわりと黙っています。
一応ここらで、実話怪談と都市伝説について、解説したいと思います。
実話怪談と都市伝説の大きな違いは、『実際に体験した人が存在すること』です。本当に存在するかどうかはおいておいて、まず、『実際に体験した人が存在すること』として語りが始まることが前提です。
要するに『これは私が実際に体験した話なのですが』『私の友達が体験したお話なのですが』で始まるのが実話怪談で、どこの誰が体験したかわからないのが都市伝説です。
有名な都市伝説で『死体洗いのバイト』などがありますが、『私は実際に死体洗いのバイトをしたことがあり…』で怪談を語る語り手はいないと思います。
そして実話怪談の大きな特徴として、実際に体験した人がいる、という前提で話が進むので、話を実体験として受け止めやすいというものがあります。つまり、都市伝説より実話怪談のほうが実体験に基づいているぶん怖いのです。
まぐろは、都市伝説よりも実話怪談が好きです。なのでまぐろ界隈のひとはこれから都市伝説と実話怪談を使い分けてね!
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遠野物語は実話怪談なのか
では、遠野物語は実話怪談なのかというお話に移りましょう。遠野物語の語りは概ね以下のような感じです。ここでは有名でまぐろが大好きな8段、サムトの婆で確認してみましょう。
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黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨なしの樹きの下に草履を脱きわ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留とどめず行き失うせたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。
このように、『松崎村の寒戸というところ』で実際体験した人がおり、そこには『サムトの婆』が出るということが語られています。この意味では、遠野物語は実話怪談近いと言えるでしょう。しかしながら実話怪談にはもう一つの重要なファクターがあり、体験者と聞き手の時間的、空間的距離があげられます。
実話怪談を怖いと感じる理由として、体験者との時間的、
空間的な近さがあります。『窓から首ひょこひょこ女』は、現代において、今このとき東京都八王子付近に出現しますし、『アクロバティックサラサラ』は福島県あたりに出るでしょう。『きさらぎ駅』はスレで実際体験した人がおり、静岡県浜松市、遠州鉄道沿線とされています。つまり、実話怪談は現代でもその場所に行けば体験できる可能性を秘めているのです。この意味で、いくら遠野物語といえども読んだだけでは実体験できるわけではないので、こういったものを『伝承怪談』とまとめることにしましょう。
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遠野物語は当時の実話怪談
まぐろは、結局のところ、遠野物語は実話怪談ではなく伝承怪談です。と結論づけました。では、遠野物語が書かれた当初、その当時の人たちにとっては、まぐろたちが現代で楽しんでいる実話怪談に近かったと推測されはしまいかと思うのです。遠野物語を当時読んだ人たちは、『ああ、遠野というところにはこんな怪談があって、実際に体験した人がいるんだ』と理解したと思います。そして、遠野に怪談の追体験を求めて旅をしたのだと思います。
これは、現代を生きる人々が、八王子に『窓から首ヒョコヒョコ女』が、福島に『アクロバティックサラサラ』を見るのと同じなのだと思います。
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遠野物語の解像度を上げて遠野に行こう
まぐろは先ほど、実話怪談と伝承怪談の違いに、時間的空間的距離をあげました。しかしながら遠野には、実際に河童やサムトの婆が出そうな雰囲気と場所があり、座敷わらしが出る宿があり、カッパ淵があり、デンデラ野があり、ダンノハナや早池峰神社など、数えきれないほどの不思議な場所があります。つまり遠野物語の解像度を上げたうえで遠野を訪れ、遠野の空気に触れることで、遠野物語を実話怪談として体験できると思うのです。
黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。
黄昏時の遠野を、一人歩いてみましょう。そうすればあなたも遠野で、不思議な体験をできるかもしれません。
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