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ウイルスよ鎮まりたま絵0402
幸せか不幸かの基準は、そもそも他人との比較から始まっているのではないでしょうか。
幸せも不幸も単なる相対的な他人との比較の要素が強いから、いつでも幸せも不幸もコロコロと入れ替わり、そうやって人は自分が何をしたいのかわからなくなってくるのではないのかな。
ワクワクすることをしていこう。も単なる欲や感情だけの判断で求めていくととても移ろいやすいから、「これ自分がやりたかったことなのかなあ…?」にぶつかる。
だから自分にとって何が価値があるのだろう。そう考えると嫌なことがあっても頑張れるし、辛くても迷わず泥力できる。ワクワクとか情熱とか幸せってあくまで結果だと思うし、後からついてくるもの。そうやってそれぞれの人の道は真っ直ぐになるんじゃないかな。って自分はそう思うのです。
自分は絵をやめる苦しい。って思った時も、自分が絵を描くという価値というものを考えてはいなかった。
自分の場合は、絵を描くことは苦しいことでもあるけれど、幸せなこともたくさんある。でも自分が絵を描くことは価値があるんだ。自分の絵は苦しい気持ちを癒す価値がある。そう先日のdocomoのペインティングの仕事で気がつけた。
自分のすることの価値。を基準に考え出してから迷いもなくなった。
ある人が言っていた。人間は生まれながらにMAXに幸せなのだと。だから誰でも今この瞬間に幸せになれる。幸せな出来事があるから幸せ。なのではなくて、幸せだと自分が決めたから、何があっても幸せなのだ。出来事はあと。なのだ。
ナチスがアウシュビッツ強制収容所で行ったユダヤ人の大量虐殺。その中で生き残った人々に共通したことは、生きることの価値について考えていた人。と言われている。自分の価値に目を向ける人は、とても強く生きていかれるのです。
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