【#才の祭小説 参加作品】
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最後の聖夜
街中に、クリスマスソングが流れていた。
百貨店のショーウィンドウにも、ショッピングモールの広場にも、金銀に輝く大きなツリーが飾られていて、色とりどりの光を放っていた。
いつものターミナル駅が、ひときわ華やいだ空気に包まれている。行き交う人々は皆、大きな荷物を抱え、誰かを想って急ぎ足に過ぎて行く。
家族や恋人と体を寄せ合い、笑顔で見つめ合う人々と逆行するように、私たち二人は電車へと急いだ。
街の喧騒を背にして滑り込んだ車内は、思ったよりも空いていた。私たちは、横長のシートに並んで腰かけた。
私は、心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほど動悸がしている。座っているのに酷い目眩を感じて、今にも吐きそうなほどに気分が悪い。
彼の降りる駅が、段々と近付いてくる。
今すぐ次の約束をしなければ、このまま彼が電車を降りてしまえば、たぶんもう、二度と会うことはできないだろう。
さっき、問い詰める私に向かって彼は、
「⋯⋯もう会わない」と、絞り出すような声で告げた。
そんな言葉を口にしなければならないところまで、彼を問い詰めて、追い込んだのは私だ。
彼は、私が思うほどには、私のことを大切だと思っていなかった。
そしてそのことを、私は最初から知っていた。
ちゃんと、わかっていたはずだった。
彼の左胸には、古い傷跡があった。
「手術したの?」と私が問うと、彼は、「いや、刺された」と簡単に言った。
私は驚いて、半身を起こして顔を近づける。言われてみればちょうど、ナイフくらいの幅の、皮膚の盛り上がりだ。
無意識に私は、その傷跡を、そっと指で触れていた。それは、彼の心臓のすぐ近くで、指先にトクントクンと鼓動が伝わった。
いつ? 誰に? どうして?
私は彼に、何も尋ねなかった。
とてもとても古い傷に見えた。
私は、彼と、彼のこの古い傷痕が好きだった。
一つ目の駅に着いた。
ドアの近くに立っていた、二人の女子高生が降りて行った。色違いのマフラーをして、通学カバンには、お揃いのキャラクターが揺れている。きっととても仲良しなのだろう。
私は一人で、一生懸命しゃべっている。
彼が好きだと言っていた俳優の、新しい映画について。だけど、一緒に見に行こうとは言い出せない。
学生時代の、クリスマスパーティーの思い出について。だけど、わざわざ話題にするほどの興味深いエピソードなんかない。
話しながら私は、どんどん混乱して焦っていく。何か、何か、何でもいいから、彼が興味を持ちそうな話題はないのか。
二つ目の駅に着いた。
隣に座っていた年配のご婦人が降りて行く。手にはたくさんの買い物袋。誰かのための、温かい贈り物が詰まっているのだろうか。
次から次へと話し過ぎて、途中からもう何を言っているのか、まとまりがつかなくなってしまった。それでも、話が途切れたら地獄に落ちるかの勢いで、私は一人、話すことを止められない。
以前、彼が薦めてくれた作家の最新作について。だけど私は正直、前の作品の方が好きだったな。
もう、息が止まりそうだ。
頬が上気して、真冬だというのに変な汗が滲み出す。並んで座っている彼の表情が、どうにか視界に入らないように、私は注意深く正面を向いている。
見なくても、うんざりしていることなど、私にはよくわかっていた。
三つ目の駅に着いた。
私の真っ白になった頭の中に、不意に、彼の左胸の傷跡にちょうどいいサイズのナイフが思い浮かぶ。
高校時代の英語の先生の鉄板ネタを話しながら、頭の片隅で、ナイフがきらっと光る。
次に会う約束なんて、私には、どうしたって言い出せない。
「もう会わない」と言っている彼に向かって、何食わぬ顔で「じゃ、次は来週の⋯⋯」なんて、切り出す勇気が出ない。
勇気を出したところで、彼を困らせるだけなのだ。
もう、世界なんて、今すぐ終わってしまえ! 私は咄嗟に、そう思った。
彼にはもう会えない。左胸の傷跡を指でなぞることもできない。私一人が、この車両に、この世界に、取り残されていく。
終わってしまえばいい。全部、全部、終わってしまえ!
頭の中に何度も、アヴェマリアが響き渡る。
聖なる夜。
そうだ、聖夜の今、この瞬間に、この車両が爆発してしまえばいい。
ドッカーン! と物凄い衝撃で、彼も私も皆、一瞬で、吹っ飛んでしまえばいい。
私の手には、きらっと光るナイフがある。
その刃先は、彼の傷跡にぴったりだ。
私はたった一度だけ、そのナイフを彼の左胸の傷跡目がけて突き刺す。
それを合図に、
ドッカーン!!!
電車はあっけなく、彼の降りる駅に着いた。
駅に着いた途端、「じゃあな」と、一度も私を見ずに、彼は降りて行った。小走りにホームを進んで、階段を駆け上がって行く後ろ姿を、私はバカみたいにぼんやりと眺めていた。
私はただ放心して、電車のシートに小さくなって座っていた。
後から後から、訳のわからない感情が押し寄せてくる。
私は一人、俯いたまま、クククとこみ上げる笑いを、必死で嚙み殺した。大声でアハハと、笑い出したい気分だった。お腹を抱えて、転げまわって、大笑いしたかった。
⋯⋯自分が泣いていることに気付いたのは、電車を降りて、ホームの鏡とすれ違った時だった。