ユーモアと憤慨が人を正気にさせる
家から最寄駅までの道中、涙はとめどなく流れ続けた。電車に乗り、終点駅で降り、また別の電車に乗り継いだが、その間にも涙はとどまることを知らず、いよいよその勢いを増すばかりだった。電車の中でなければ軽い過呼吸になっていただろう。涙を止めようと読みかけの本を開くも、集中できず、すぐに伏せてしまった。私にできることは、間断なくやってくる苦痛に耐えることだけだった。1時間は泣き続けたのではなかろうか。とある駅で、隣の座席に髪の薄くなりかけた中年の男性がどっかりと座り込んだ。私の革ジャンパーの裾を威勢よく尻の下に敷きながら。「オイ、オッサン!」と私は心の中で叫ぶ。一所懸命、ジャンパーを引っ張る。オッサンは一心不乱にスマホでニュースの動画を見ている。それ程までにスマホに熱中できることにいささか感心する。早くどいてくれ。
ようやく腰を浮かせたオッサンから私のジャンパーが解放された。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を心に思い描く。BGMにフランス国家のラ・マルセイエーズが鳴り響く。オッサンの尻から解放されたジャンパーは心なしかエッヘンと大きくなったようである。
気が付けば、私は泣き止んでいた。再び行き場のない悲しみが訪れることもない。ありがとうオッサン、助かったよ。オッサンはいつまでもニュース動画に夢中であった。