輪郭をかきだすための白墨手に痣を数えて冥い夜を待つ
いつも購読ありがとうございます。日々、こころの支えとなっています。師走となりましたが、みなさままだまだ時間はあるので、仕事納めがんばってください。
おれは……おれも……おれもやります!来年は!……いや、今年!やります!
■形を取り戻すための部屋。
女性が小説なり詩なり書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある――ヴァージニア・ウルフとぼくはあまりにもちがいすぎるが、それでも、この話には同意できる。自分だけの部屋、自分だけの仕事、自分だけの作品。「自分だけの」は、ひとの輪郭をはっきりとさせる。それは裏を返せば人の輪郭はうつろいやすくぼやけているということだ。去年まで住んでいた部屋の写真をみかえすと信じられないくらい自分がなかった。
『ディスコミュニケーション』の主人公である松笛くんはエキセントリックな人物だ。狐面をかぶり密教に通じ、部屋のすべてを昭和レトロの世界で固めている――彼の祭壇はまさにカオスだが、好きなものでつくられたそれは彼自身の輪郭であるとともに、作者自身のそれだ。輪郭をはっきりさせることで、自分がはっきりとする。それは自分を閉じ込めるものであり、自分を守るための鎧である。鎧がなければ危険な他者と向き合うことはむずかしい。戸川と松笛くんの関係は、だからずっと鎧のうえからデリケートなところをなぞりつづけているもどかしさのなか繰り返される。しかしそれはお互いを傷つけないからこそ安定している。
かつての僕の部屋をあらためて見返すと、松笛くんの部屋に似ていた。
好きだからそうなっているのだけど、意識せずにそうなっていたところもある。ちがうのは他者がいないことだけだ……と、いまそう書いてふと、「そうじゃない」と感じた。かつてはそうだった。でも、今は他者がいるじゃないか。そういえば、あるときから家をなくして、シェアハウスに暮らしはじめ、それからはずっと誰かと暮らしているのだ。純粋に他者がいないわけではない。
これはどういうことなのだろう。
僕は自分を守るための世界を持ちつつ、そこに他者を受け入れることができたのだろうか。それとも部屋を拡大して外にしてしまっただけなのだろうか。90年代の秋葉原の風景がよぎる、出不精でひきこもりがちな僕がたまに秋葉原にでかけて、美少女の看板が乱立するあの場所で心地よく歩くことができたのは、あれが、拡張された自分の部屋――子供部屋の拡張だったからこそ、心地よかったのだ。ネットのなかで部屋をつくることができる今、外と内側はもうわけることができなくなった。気づくとネットのなかには、僕にとって心地よい自分の部屋がない。
今は自分に形があるから、うまくつくれる気がする。
■リハビリ生活
まずはフリーライティングで書くことの障壁をさげる。
適当すぎるがこれでいい。このくらいでいい。とまらないことが大事だ。
そこから次へ。
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ひみつの日記
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