ロング(ヘアー)・グッドバイ
ハゲはヤバい。
初めてそう思ったのは、高校生の頃だった。
夏休み前のある日、同じ寮のHが部屋にやってきて言った。
「パーマをかければモテる」
「モテねえよ死ねよ」
0.5秒で言い返した私の肩に「おまえが死ねオタク野郎」とパンチして、隣に座るとHは右手に持ったヘアカタログをひろげた。
Hは16歳にしてすでに若ハゲの徴候を見せる超高校級のハゲだった。
そんな彼がパーマ……どんな悪質な冗談なんだ。自殺するつもりなのか?
彼は私を見てふっと笑い、言った。
「おまえは一生アニメでオナニーしてろ。俺はこの夏、やるぜ」
そう言って、ベッドの下に重ねた「ホットドッグ・プレス」の束にヘアカタログを突っ込むHの目は本気だった。
夏休みが終わったあと、寮に帰ってきた彼を見て、私は思わず言葉を失った。
スキンヘッドだった。
もはや超高校級のハゲという概念を貫通し「ただのハゲ」という領域に到達していた。
パーマはどうなったんだよ! そんなツッコミすら許さないほど毛がなかった。
どうしたのか聞いてみると、
「学校にバレたらまずいから切った」
などと見え見えの嘘を吐いた。
哀愁を帯びた笑いをうかべるHに向かって私は十字を切り、それ以上なにかを聞くことはしなかった。
なにが起きたのかはわからない。
ただわかるのは、ヤツが毛と同時になにかを失ったことだけだ。
とにかくハゲはヤバい。それだけは確かだ。
あれから20年。
私は今、かつてのHの如くハゲかかっていた。
動揺などしていない。むしろハゲに向かって肩を叩いて不敵な笑みを浮かべる。
「遅かったな……今頃来たのか?」
そう、私は薄毛レジスタンスの育毛エリート戦士だった。
10代でサクセスを使い、自然派シャンプーにこだわった。
20代では都市伝説に踊らされてワカメを喰い、菜食を心がけ、豆腐に唐辛子をぶっかけて食った。
30代になってからはドラッグ(育毛剤)に手を出して危険なディーラー(海外輸入)とのやりとりも重ねた。その行為はいまでは呼吸と同じくらい簡単にできる。
血気盛んだった時代は、やつら(ハゲ)を油断させるために髪を伸ばして金髪にしてみたり。アフロじみた冒険パーマをかけたことすらあった。そんな時代もあった。
どうやら酒、煙草、珈琲が体質的にダメな私は、生まれながらの育毛体質、ナチュラル・ボーン育毛だった。
そのおかげで数々の危険なミッションをこなし、ここまで生きぬいてきた。
38歳。
ずいぶんと耐えたほうだろう。
誰にも気づかれずに闘ってきたのだが、実際もはやギリギリだった。
前髪をかきあげると枯葉剤を使われたようにM字型の荒野が広がっている。まるであの頃のベトナムだ。
前面からの攻撃はかなり凌いだほうだが、おでこの生え際は戦線拡大の兆しを見せている。
それでもよくやったほうじゃないか。
ハゲとの闘いが最も激化したのは、30歳前半だった。
その頃私の生活は最低だった。金がなかった。家もなかった。やる気もなかった。
気づくと毛を抜いていた。
神経症である。居候している部屋の床にはまるで鳥の巣のように髪が散乱していた。
人の家に行くと、マーキングするがごとく大量の毛を残していくのが常であった。もはや謎の野生動物。レッドデータアニマルとして登録されてもおかしくなかった。
ある日、遺影として携帯で自分の写真を撮っていて気づいた。
ハゲてる。
私は今、かなりハゲてきている。
前髪をかきあげて写真を撮影してみた。確かにキてる。
いやまてよ……。
自覚症状があるということは私はまだ大丈夫だ!
まだいける!
そんな良く分からない逆説によって自分を騙していたある日、バーで中東から来た若者と出会った。
私はニヤニヤしながらそいつに話しかけた。なぜならそいつの前髪はかなりキていたからだ。
「お兄さん、髪キてるね」
今考えると撃ち殺されてもおかしくない超絶無礼な態度だった。
だが、私はそいつに同類の匂いを感じていた。
こいつは絶対に薄毛レジスタンスの育毛戦士だ。
期待に応えるように、彼はニヤリと笑って言った。
「ワタシの父はハゲてます。ワタシがまだこの程度で済んでいるのには秘密があるのです」
……なんだと?
思わず身を乗り出して話を聞く。私はそこで初めて「フィンペシア」という単語を聞いた。
日本でもAGA(男性型脱毛症)の治療が始まっているが、そこで処方されるプロペシアは高い。実際に私も経験済みだが、毎月病院にいかなくてはならないうえに月に5000円くらい取られるAGA外来は端的に言って面倒臭いし高い。ところがジェネリック医薬品であるフィンペシアは1/3くらいの値段なのだという。しかもネットで頼める。
調べてみると悪評もあるようだがそんなことはどうでもいい。悪い部分はプラシーボ効果で補えばいいだけの話だ(ジャングル育ちです)。
すぐに輸入して飲んだ。
ハゲの原因は食生活や生活習慣、遺伝など、いろいろな理由があると言われる。
食生活も改善した。
運動するようになった。
髪も切った。
なんとかハゲ止まってきたものの、メンタル面がどうにもならない。やはりハゲが恐ろしいのだ。PTSDのようにハゲる悪夢にうなされる。
そこで私は一計を案じた。
画像ソフトをつかって自分がハゲた写真をつくる。先制攻撃だ。ハゲる前にハゲてみる。あえて火中の栗を拾う……身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
著者作成のハゲシミュレーション写真。
これは決して無駄な精神論ではない。
たとえばアメリカの実験では老いた自分の写真を見せると、貯蓄するようになるという実験データがある(参考)。
それに、帰還兵に対する治療としてヴァーチャルな戦場に送り込む(参考)というのもある。
結果的に私は勝利した。
M字ハゲは奇跡のV字回復に転じ、ハゲの恐怖を克服した。
ハゲの恐怖を克服し、V字恢復を遂げた著者。
あの頃と比べれば今のハゲの進行具合など穏やかなものだ。
今でも私は菜食を心がけ、運動も適度におこなう。
風呂では石鹸シャンプーとモミダッシュを使って頭皮を揉む。
上がったらリアップをふりかけてフィンペシアを飲む。
ストレスを溜めないために瞑想を行い、夜は早めに眠る。
しかし、ある時不意に私は気づいてしまった。
……待てよ……私はいままで20年間育毛戦士として闘い続けてきた……けれど、そもそもこれは意味があったのだろうか?
冷静になって周りの同級生を見てみるとハゲている人間のほうが少数派じゃないか。
そもそもハゲるというオブセッションがストレスになっていたんじゃないのか?
ハゲのことなど考えずに生きていれば育毛せずにいまでもフサフサだったんじゃないか?
どうなんだ?
あまりに早く薄毛レジスタンスへ参加したため、果たして現状が育毛のおかげなのか否かを検証することができない。
だが、人生はそういうものだろう。
終わったことについてどうすることもできない。現状を肯定するしかないのだ。
その後も育毛戦線はまるで38度線のように独自の均衡を保っていた。
しかし、ある日鏡を見て、驚愕に目を見開いた。
異変が起きていた。
油断していた両サイドから新手のスタンド使い(敵)が現れた。
白髪だ。
すごい量の白髪が生えていた。
迂闊だった。
……まさかこんな伏兵が潜んでいたとは……孔明め……。
だが、この程度の奇襲ならば問題ない。坂本教授をリスペクトしているふりをして白髪を全面に出していくという手もある。
そう、ハゲなければどうということはないのだ。
鏡を見ながらふと、また奇妙なことに気づいた。
そういえばハゲとは一体どのラインからハゲなのだろうか。ハゲかかっている人とハゲの違いはどこなのだろうか? 薄毛というのは具体的に何本なのだろう? ハゲは覚醒と睡眠のように、グラデーションになっていて瞬間を認識することができない。人はハゲる瞬間というのを見ることはできないのだ。「ハゲとは永遠の過程である」と論じたハゲ本があったが……。
もしかしたら、自分はすでにハゲ済みの側にいるのではないか?
いや……むしろこの私という存在そのものがハゲだったのではないだろうか?
その瞬間、私は不毛の砂漠にほうりだされた。
よりよい生活のために役立てます。