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帰省
18年ぶりくらいに、
父方のおばあちゃん家に行った。
両親はわたしが小学生になる前に離婚したから、
いわゆる「親戚の集まり」に参加するのは、
物心ついてからは初めて。
わたし、母方の家系やと、
いとこ、はとこ、とかが1人もおらんくて、
親戚おらへん〜と思って生きてきてたんやけど、
蓋を開けて見れば、
いとこ4人、はとこ6人もおった。
おりすぎ。
そのほとんど全員とはじめまして(?)をして、
同い年の子も3人おって、
内心人見知り発動させつつ恋バナで盛り上がったり。
親戚、という概念に触れたことがないから、
この子達と血が繋がっているんか〜の実感もなく、
今も変な感覚やけど、
なんか、めちゃくちゃ嬉しい。
今奥さんが居る親戚のおっちゃんの、
前の奥さんとの間のこども、とかいう、
スーパー扱いづらい登場人物やったのに、
あたたかく接してくれたいとこはとこに感謝しかない。
今更父方の家系に関わろうと思ったのは、
3年前の夏におじいちゃんが亡くなったり、
お父さんと改めて深い話をしたことで、
「家族」のかたちを自分の中で大切に捉え始めたから。
思えば、
前、おばあちゃんの家に行ったのは、
おじいちゃんが自宅療養になって、
いよいよという時やった。
がんで弱ったおじいちゃんは、
知っている姿と変わってしまっていて、
正直、びっくりした。
かなり体調が辛そうで、お話はできなかった。
けど、帰りがけに、ベッドのそばから、
「また会いにくるね」と話しかけた時、
『がんばれよ』
と一言、わたしに届けてくれた。
おじいちゃんは、
66歳という若さにして亡くなってしまった。
もっと、やりたいことがあったはず。
もっと、見たい家族の笑顔があったはず。
おじいちゃんが一番、
もっと、がんばりたかったはず。
5文字に込められた想いを
わたしなりに受け取ったあの日から、
わたしの人生は前向きに進んでいるような気がする。
そんなことを感じた2025年2日目。