きをつけ、よーい、どん
昨日11:05に投稿したつぶやき。
近所を散歩してたら幼稚園の運動会が開かれてた。
最近、「子どもごころ」へのアンテナを強化中やったから、
ギリギリ不審者やったかもやけど、外から様子を眺めてみた。
情緒が終わっているのか、そういう年齢になったのか、
子どもたちが笑顔で走り回ってるだけで涙出そうになって、
昨日も例に漏れず、うるうる来とったんやけど。
(ここまできたらほんまに不審者やったかもしれん。)
年少さんクラスは、先生に手を引かれて入場して、
ダンスも先生たちと一緒に、見よう見まねで。
年中さんクラスになると、入場から自分たちだけで、
グループごとに、隊列移動も完璧で。
すごないか、まだ生まれて4年とかやろ。
すごないか…。(涙)
精一杯の子どもたちの姿も、もちろん心に来るものがあったけれど、
それ以上に、グラウンドのトラックの外で懸命に見守る、
お母さんお父さん、おばあちゃんおじいちゃんの姿に目が行って。
カメラを抱えて走り回る男性の姿。
年中さんの演目が終わった後に、涙を拭う女性の姿。
全力で背伸びをして、高く大きく手を振る初老の男性の姿。
あーーー、愛やなあ。
と、痛々しいほど感じたと同時に、
この、無条件の愛を、
無垢なまま、疑いもせず、
わがままに、受け取れること。
それが、子どもごころなんやなと思った。
いつから、愛を疑うようになってしまうのか。
それは、明確に、いつ、何歳になったら、ってものではなくて。
例えば、子ども時代にも、
ヤングケアラー、虐待、信じていた友からの裏切り、
思春期、大人を信じられなくなった体験。
様々な要因で、
「無条件の愛」を疑い始めたとき、
「子どもごころ」は決壊する。
でもさ、
眩しいほどに、子どもごころ溢れる大人もおるよな。
そんな人はきっと、
ずっと愛を信じ続けているか、
一度愛を深く憎んだことがあるか。
なんやないかと。
そんな気がしてやまない。
などなどと、
本日のテーマ発表者は私やったんやけど、
きっかけのお話に熱が入りすぎて、
テーマまでたどり着けなかった本日。
わたしたちは、子どもごころを
どこに置いてきてしまったんやろね。
ほんなら、また明日!
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