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あなたの世界はどんな世界ですか?

人は世界が一つだと思っている人が多いと思う。僕も少し前まではそうでした。
たしかに物理的には一つかもしれない。
でも見えてる世界は人の数だけあると思っています。この事実を知っただけで少し生きやすくなりました。
なぜあの人はあんなことするんだろう?とかなぜそんな馬鹿なことするんだろう?とか自分の価値観では理解できないようなことも人の数だけ見えている世界があるとすればなんとなくわかる気がします。
2人で同じ景色を見ても全く同じには見えなくて、その人の知識、経験、価値観とか何枚ものレンズを通して見た景色は全く別の2つの世界を創り出していると思う。
人の先入観は凄くて見えているものしか見えない。意識の外にあるものは見えない。その人には存在しないものとして意識すらできずに存在している。
ルネサンス以前と以降の芸術の話がわかりやすいけど、ルネサンス以前は写真を撮るレンズが無かった。ルネサンス以降レンズが発展してよりリアルな絵が描けるようになった。これは単純に人々の意識が変わったからと言われている。写真を通して世界はこういう風に見えているのだと物理的に提示されることで意識的にそういう風に世界が見えるようになったらしい。レンズが発展する以前は人々の目には世界がエジプトの壁画のように2Dに見えていたのかもしれない。もし違って見えていたのならわざわざ2Dにして壁画を残さないだろう。
意識の外のものは存在できないからまずは知ることをしないとその人の世界では無いものになってしまう。知らないことが多ければ狭い世界に見えるだろうし、間違った知識で知っていればそういう風に世界が見えるだろう。こんな小さなことの積み重ねが人それぞれで全く違った世界を創り出しているのだと思う。

自分にとっては当たり前の常識も人からすれば特殊なことになる時もある。互いに見える景色が違うから争いも起こる。
自分の中の常識を常識と自分だけが捉えているのであってそれを常識か特殊なことか認識できるのは他の世界と繋がった時だと思う。つまり人との交流。でも人と交流したとしても腹を割って全てを話しているわけではないから認識するのはなかなか難しい。わざわざ自分の中で当たり前だと思っていることを人と話したりはしないだろう。それはその人の世界で周りの世界でも当たり前だと思いながら当たり前として無意識レベルで存在し続ける。
だから「言わなくてもわかるだろう」とか「何となくそうだよね」という事には注意が必要だし、当たり前のことで言葉にすればちょっと馬鹿にされてしまうようなことでも言葉にして伝えることが本当に大切だと思う。

世界は人の数だけあって、同じ景色でも同じ言葉でも違うように見えてしまうから、だからたくさんの言葉を交わすことが大切だし、自分の世界を広げるためにもいろんな人たちと交流することが大切だと思います。
あなたの生きている世界はどんな世界なのかとても興味があるので機会があればぜひ聞かせてください。

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