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できそこないの歌
天気良好。感度良好。野外フェスは正午を過ぎても熱気が収まらない。
少し距離がはなれたメインステージからの、とどろきのようなものすごい歓声が聞こえてくる。
気温は四十度に迫る勢い。既に熱中症で運び出されたお客さんも見かける。水分補給をしっかりとるように運営は積極的に注意喚起しているけれど、追いつかないのだろう。気温もだけれど、アーティストのパフォーマンスに興奮して全体的に十度くらいは体感温度が上がる。汗がとびちり、息を切らしながら、みずからの、そして周囲の狂信的なまでの熱意に、一時的に暑さも疲労も忘れる瞬間がある。
ギターを下げて、あたしは手首を回す。軽く唄って喉を鳴らす。それにしても、ほんとうに暑い。歌い始めてしまえば、弾き始めてしまえば、きっと忘れられる。早く、ステージに出たい。でも、同時にまだ出たくない。
「かっき-!」
呼ばれ慣れたニックネームに振り返って、あたしは懐かしい顔に頬を緩ませた。
「えっ高島さん! 来てくださったんですか!」
高島さんはあたしたちの恩人だ。インディーズ時代からお世話になっていて、メジャーデビューした頃の最初のマネージャーで、今は独立してレコード会社を運営している。尋常でなく忙しくしていると噂に聞いていたので、この場にいてくれることは意外だった。
「もちろん。きみらの晴れ舞台だからさ」
えくぼを深くして、高島さんは朗らかに笑った。高島さんの笑顔はいつでも魅力的だ。その腕には黄色やオレンジでまとめられた華やかな花束がある。
「本当、今日よく晴れてますよね」
「そうそう。ちょっと暑すぎるけどさ」
高島さんはさりげないボケに突っ込むことなく、はははは、お互い笑う。
「つっつんは? 言うて、もう出番だろ」
「トイレって言ってたかな。でも、確かに長いかも」
つっつんとは、あたしの相方だ。あたしたちは、女性二人のダブルボーカルで、二人ともギターを弾く。高校の軽音部で出逢ったあたしたちは意気投合して、一生懸命音楽に打ち込んで「ふたりじめ」として活動を続けてきた。東京のかたすみのライブハウスで演奏を重ね、音楽会社に送ったデモ音源をこの高橋さんに拾われたのだ。
あたしはつっつんの置いていった愛用の真っ赤なギターに視線を遣る。幾度も指を走らせた跡が残る、つっつんの魂である。
かっきーもギター置いたらいいのに、と高島さんは苦笑いする。通常であればステージ準備の際にスタッフが楽器をセッティングしてくれるのは当然だ。けれど、あたしは首を振る。肩に重くのしかかるギターの重量感を、あたしは離したくなかった。そのかたくなさを高島さんは理解してくれているのだろう、それ以上は追随しなかった。
「ほんとに辞めるんだなあ」
高島さんは寂しげに言う。
「辞めます」
あたしはもう寂しさとかを乗り越えたつもりでいて、むしろ乗り越えたと思い込んでいなければ、ステージ上で強くいられない。
「ふたりじめ」は、今日の演奏を以て解散する。率直なことを言えばメジャーデビューして以降なかなか芽が出ず、売れず、先行きが見えないばかりだったからでもあるし、つっつんが結婚することになってそれを機に今後についてふたりで話して、じっくりと話し合った。そしていさぎよく解散という道を選ぶことにした。あたしはもう少し歌っていたかったけれど「ふたりじめ」をひとりじめするわけにはいかない。あたしとつっつんが一緒で「ふたりじめ」なのだ。
ずっと音楽が好きで、歌もギターも好きで、高校時代から夢を追いかけ続けてきた。メジャーデビューするというひとつの夢を叶えてからもがむしゃらに頑張ってきたけれど、うまくいかないことの方が多かった。涙が出そうになっちゃうことも、思わず作曲から逃げ出す夜もあった。逃げ出して、つっつんの部屋に飛び込んで、ふたりしてビールを片手に夜中いっぱい呑んでいくつも空き缶を転がした。そうしたらいつのまにかめちゃくちゃ笑ってた。あたしはできるだけ笑っていたかった。笑って生きていたい。それは、あたしたちの確固たる信念。
「あ、戻ってきた」
高島さんがぽやんと声をあげると、手を振った。あたしが振り向くと、トレードマークのおだんごが目立つつっつんが、やっぱり驚いた顔をして、高島さんにお辞儀をした。
前のバンドの演奏が終わって、拍手が聞こえて、蒸気した頬でプレイヤーが戻ってくる。演奏終了直後の独特の、冷めやらない熱気が溢れ出している感じ。ステージを整理して、あたしたちの出番がやってくる。それが終わったら、あたしたちは。
「いよいよだね」
つっつんが横でぽつりと言った。
「つっつん、緊張してんの?」あたしがからかうように言う。
「お腹壊すかと思ってずっと籠もってたんだけど、全然出てこないの。身体のイカサマだよ。まいるわ」
「身体のイカサマってなに」あたしは苦笑する。「だから遅かったわけ」
「そー。粘った意味なかった」
真面目な顔をして言う横顔がなんだかおかしくて、あたしは吹き出していた。
「なんであたしたち、解散するっていう大事な場面で便の話してんの」
「確かに。てか、かっきー、便って言い方やめて。せめてトイレって言って」
つっつんもつられてげらげらと笑った。涙が出てきた。寂しくて出る涙じゃない。なんだかおかしくて笑う涙。
「相変わらず仲良いな」高島さんはあたしたちの謎のテンションについてこれていないが、しみじみと言う。「俺には何がそんなに面白いんだかわからん」
「あたしらが面白いんだからいいんですよ」
つっつんが明るく言い放つ。横であたしは大きく頷く。つっつんはよく解っている。さすがはあたしの相方だ。何年も一緒にいて、なんとなく波動というか、波長というか、もちろん昔から意気が合っていたのだけど、あたしたちの間にあるリズムは大きく共鳴するようになっていた。ちょっとしたことでも笑うし、ちょっとしたことでも怒るし、喧嘩する。思い返せばいろいろと衝突したはずなのだけど、今となってはうまく思い出せない。重大な喧嘩もあった気がするけど、たぶん、どうでもいいことだったんだろう。この楽観的な部分が、もっと上へという野心を育てられなかった大きな要因だったのかもしれない。甘くて、できそこないで、でもそれがあたしたちの明るさでもある。
解散した明日からどうしていくか、全然決めていない。
だけど、あたしとつっつんの関係が悪くなったわけではないし、つっつんは、結婚しても、子供を作っても、あたしの相方だ。つっつんもあたしに対してそう考えている。だから、あたしたちは、解散を選ぶことができた。
ずっと笑っていられるように、ずっと音楽を好きでいられるように、ずっとつっつんのことを好きでいられるように。
解散には、ネガティブなイメージがつきがちだ。でも、あたしたちは、「ふたりじめ」にひとつ区切りをつけて、新しい人生に歩み出していく、それは青春が終わるような寂しさを伴いながらも、ポジティブなことだ。
ステージの準備が整うまで、つっつんとはいつも通りくだらない話を永遠としていた。そこに緊張感は感じ取られないほどだったろうけど、たぶん緊張を隠すために、ひたすら喋っていたのだ。
スタッフさんに呼ばれる。高島さんに目配りして、親指を立てられる。他のスタッフさんからも惜しみない拍手が送られた。あたしはギターを改めてかけ直し、つっつんといつもと同じようにハイタッチをする。
「いこう、つっつん」
「うん、かっきー」
相方であり、親友であり、同志であり、仲間である、つっつんと、あたしは暑い日差しの中へ飛び込んでいく。
メインステージの熱狂的な声が遠い。
あたしたちはあの巨大な場所に行くことはついにできなかった。大きな夢を叶えることはできなかった。客席は、メインステージに比べればずっとこじんまりとしているけれど、そこには想像よりたくさんのお客さんがいてくれて、つっつんに一瞬視線を移すと、つっつんも目を丸くしていた。
有難いことだ。
ここに集まってくれたお客さんのひとりひとりの顔を記憶に焼き付けよう。この灼熱の太陽が地面を焦がすように。
うっかり出そうになった涙を瞳の最奥に押し込んで、あたしたちはマイクの前に立った。
言葉がうまく出ない。
一瞬静まりかえった瞬間を、あたしは嗅ぎ取り、ギターを掻き鳴らした。特大のスピーカーから発されるあたしたちの音。あたしたちの曲、はじまりのできそこないの歌。あまりにも広い青空を一瞬仰ぎ、そしてお客さんを見た。その中には、あたしの家族も、つっつんの家族も、あたしたちの友達も、お世話になった人たちもいる。ステージ横には、高島さんを含め、裏で支えてくれたたくさんの人たちがいる。
未完成のあたしたちは、たくさんの人に支えられている。
ふたりじめしていたなにかを誰かに与えられるように、あたしたちは、最後となるステージを歌い始めた。
了
「できそこないの歌」
三題噺お題:イカサマ、逃げ出す、花束
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