
運まかせ
密室に導かれたのは五名。互いに顔も名も知らぬ完全な赤の他人同士であった。性別としては男四名、女一名。アルファベットとしてAからEと順に振られた記号でそれぞれ区別されている。
彼等に共通する事項は、金を欲している点。そして人生に頓挫している点。
Aは一般的なサラリーマンであった。四年制大学を卒業した後出版業界に就職し淡々と安定を求めて生きてきたが、つい先日不況の煽りを受けリストラされた。四十半ばにして首を切られるとは本人も想像していなかったし、家族も同様である。再就職を掴めずローン返済に切迫し眠れぬ日々を送る中、今回の件を耳にして手を挙げた。
Bは異国から就職口を求めてやってきた黒人であった。邦に留まる兄弟には幼い者も多く援助が必須だった。右も左も解らぬ日本文化に揺られながら、安い賃金で工場働きしていたが、拙い日本語を逆手に取られて汗水垂らして稼いだ金を騙し取られた上に借金をし、故郷に帰ることすら困難になった。
Cはちょうど高校生くらいの少年だった。特別いじめられていたわけではないがむしろ学校に馴染めずに不登校になり、深夜徘徊をして街のヤクザと関わるようになった。薬を買う金を繰り返し盗んでいたのを父親が咎め殴られた末に家から追い出され、ここに至る。
Dは若い女性であった。優秀な出自そのまま、大学在住中に起業し卒業後もキャリアウーマンとして必死に働いていたが、Aと同様不況の波に抗えずに倒産し、多額の借金が手元に残った。エリート街道まっしぐらと思いきや暗転、未来に絶望していたところ、僅かな希望に懸けることにした。
Eは老齢の男だった。とうに定年を迎えてゆるやかに老後を過ごしていたが、一人息子が若くして癌を患い逝ってしまい、その影響で精神を病んだ妻も追うように先立った。自暴自棄になりかつてたまに打っていたパチスロに浸って、多すぎる暇な時間と貯金を浪費し気付けば借金を返すためにギャンブルを繰り返し、額は膨れ上がって借金取りに追われていた。
そういった様々な背景を抱いていたが、お互いに詳細は知らぬ状態である。老若男女が混じり、互いに不審な視線を遣っていた。
密室の真ん中に置かれたのは一丁のリボルバー。与えられた時間は二十四時間。
装填された銃弾は四発。一発分は空砲となる。いつやってくるかは不明である。
幸運の瞬間を掴んだ者に多額の懸賞金が渡されると説明を受けていた。それぞれ、百万とも数十億とも聞いていた。具体的な内容については実地で明らかにするというあまりに有耶無耶な誘いであったにも関わらず彼等はやってきた。タイムリミットを超えれば勇気無き愚者として主催者に殺され、頭では無く足や腕など急所を外した部位や、壁に向けて打った場合もアウトである。
ゲームみたいだ、と少年Cは呟いた。眼が奇妙に揺れている。
馬鹿げた陳腐なゲームを用意した主催も馬鹿らしいが、短絡的に乗った五人は同じ穴の狢。
ものに溢れた豊かな社会は刺激を必要とする。彼等は身を張ってその刺激を与える。テロリストによる動画は大多数に嫌悪感を与えるにも関わらず世界の興味を集めて凄まじい勢いで再生される。そうして得た広告資金が彼等のふところをあたためるとしても、そうと意識せずに簡単に沸いた好奇心でふと時間と金が動くほどに社会の情報網は誰に対しても公平であり、異様な速度で発達した。
今回の企画はリセットボタンと称され、動画はやがてネットの海を流れる。彼等は人生をリセットするためにここに集まった。死んでもリセット、生き残ってもリセットである。
「拳銃なんて初めて触る……」
女性Dは恐る恐る硬質な金属体に指先で触れる。
「おっ初っぱないってみるか?」
少年Cが笑うと、慌ててDは離れる。
「冗談」
この状況で笑っていられるCの神経が理解できないとでも言いたげだった。
鎮座する拳銃を前に、素性も知らぬ互いを視線で探り合う。だが、期限は刻々と迫ってくる。白壁の遙か遠い部分に埋め込まれたパネルには、残り時間がデジタル表示されていた。
「こんなん、嘘に決まってる」
そう言って、Cが手に取った。
「ウツデス?」
恐怖で冷え切ったBが尋ねる。
「こういうのは先手を打った奴が勇気あるってことで最初が空砲だよ」
「短絡的すぎる。テレビゲームとは違うんだぞ。もっとよく考えないか」
Aがすぐに制す。ちょうどCにとっては、自分を追い出した父親と同じ年頃である。Cは苛立った。
「うぜえ。だったらどうしろっていうんだ。このまま何もせず皆殺しか?」
「冷静になれと言っているんだ」
「それが何か解決するのかよ。冷静になれば金が貰えるのか?」
「ケンカ、ヨクナイ、デス」
Bは二人の間を仲裁しようとする。心優しい青年は、工場でも従業員同士で口げんかが起こるたびに間に入ろうとしていた。
「そうよ。あんまり声を荒げると部屋に響くわ。頭痛くなる」
Dは額に指を当てている。顰めた表情で二人を睨む。拳銃を持った少年は動かない。手が僅かに震えていた。引き金を引く勇気と恐怖が鬩ぎ合っているのだった。
「わしがやる」
八方塞がりになりかけた冷たい沈黙を破ったのは、老人Eだった。
「この中じゃ一番どうなったところで構わないだろう。どうせ老い先短いんだ。死んだところで誰も哀しむやつなんかいない」
Eはそう言って、重い腰を上げて骨と肉だけの手を、拳銃を持ったままのCに向けた。
既に彼には付き添ってくれる家族は誰も居ない。身寄りの人間がいない孤独な末路は、世間からすれば邪魔なだけだと思っている。Eには、自分に空砲が回ってくる予感がまったくしなかった。
若々しいCの手から、リボルバーが手渡される。皺だらけの細い手には、金属の塊は想像より重かった。戦後生まれのEは父親から戦時中の話だけ聞いていたものだが、急にその記憶が過った。銃は人を殺す道具でしかない。
頭に銃口を当てた。何故だか四人は誰も止めなかった。それは一種の恐怖でもあり、好奇でもあり、試験でもあった。本当に銃弾は装填されているのか。おもちゃではないのか。もしかしたら、なにかの間違いではないのか。
躊躇を示すような沈黙は長かったが、Eは撃った。凄まじい音がして、血しぶきがあがった。割れた頭から崩れ落ちて無機質な音が倒れた後、凄まじい悲鳴が劈いた。
これは本物なのだと誰もが目の当たりにした瞬間だった。
「いやあ! 誰か助けて! 出して!!」
狂乱するDの黄色い声が部屋に響く。その間にもEの頭からは白に映える鮮血が広がっていた。
「オチツイテ!」
「いや! 離して!」
BがDをなだめようと手を出したが、激しく弾かれる。
誰もが激しく動揺していたが、とりわけ取り乱しているDを見ているうちに不思議と冷静にもなっていた。Aがとりわけそうであった。内心、女性特有の高い声が耳にきんきんと響いてうるさかった。
そもそも初発に挑もうとしたCはEの死体を見て腰が抜け、まじまじと広がる血を見ているうちに、嘔吐していた。
やがて叫び疲れたのだろう、Cの声も弱々しくなっていった。血の異臭が漂い、思考を奪っていく。
「あんた、なんでそんなに冷静なのよ」
脅えきったDがBに尋ねると、Bは困ったように微笑む。
「祖国、銃アッタ。見覚エアルカラ」
明らかに肌色が異なるBの祖国は治安が悪く、銃撃や誘拐に脅える日々を送っていたという。重い過去に他の三人は閉口する。平和な日本では考えられないことだが、Bの国でも考えられないようなことが今彼等には降りかかっているのだった。
「兄弟残シテル。心配。ダカラオレ、戻リタイ」
故に騙された金を取り返す必要があった。金があれば、わざわざ遠い日本で細々とこき使われなくても、兄弟達を養うことができる。
「そう……」
Dは小さく呟いたが、どうすることもできなかった。自身も現実では切羽詰まった状態であり、Bに同情こそできるが金を譲る気は起きなかった。
一秒ごとに刻まれていく時間。Eの死以降、四人の膠着は続いていた。Aは試しに壁を叩いてみるように提案した。逃げ道があるのではないかということだ。Dは静かに反抗するように座ったままだったが、BとDは賛同した。まずは、彼等がやってきた扉があった場所に立つ。扉は壁にほとんどのめり込んでいるかのようで、内側には取っ手も何も引っかかる部分が無い。ほとんど壁と同化していた。体当たりをしても、びくともしない。諦めて、あちこちを手の甲で叩き回った。手の届く限り壁を叩くが、音は変わらない。床も確認している最中、Eの死体を、成人男性であるAとBで協力して壁へ引き摺った。絶命した人間の身体は随分と重たい。死んだばかりでまだ微妙に温かかった。
「どうすればいいんだ……」
Aは呆然と呟く。
「誰かがまた撃つしかねえよ」
黙りを決め込んでいたCがぽつんと言う。
「だったらあんたがやってみたら? さっきは威勢良かったじゃない」
Dが噛み付く。脱出経路を模索する行為が無意味だとは解っていても、まったく動こうともしなかったCの協調性の無さに苛立っていた。
血走った眼がぎょろりとDに向く。四人の中で明らかに最年少だったが、若さが備える迫力は獰猛な獣のようだった。Dは比較的気の強い女性だが、Cのただならぬ雰囲気に思わずたじろいだ。異常な状況で精神が削られているためでもあっただろう。
「次が空砲であれば、そいつが金を手に入れられる」
Cがふと呟く。
悍ましい状況ではあるが、誘った主催者の言葉が正しければ一攫千金のイベントなのである。彼等は餌を垂らされ、食い付いた。それを思い出させるような言葉だった。
「そもそも、本当に空砲なんてあるかも疑わしいわ」
Cは言いながら、頭痛が止まらなかった。もし空砲という希望が無いのであれば、本当に絶望的状況だった。ここで悩んだところでそれこそ無意味なのである。
「大丈夫デスカ?」
先程から頭痛でずっと眉間に皺を寄せているためだろう、Bが慮る。
「ええ」咄嗟に言ってから、Dは口を噤む。「ううん。……あまり大丈夫じゃない」
当然だろう。優しさを垣間見せたBもまいっていた。
「頭痛持ちなの。気圧の変化にも弱くて……鞄になら、鎮痛剤があるのに」
閉鎖空間に不釣り合いな日常的な会話に、少しだけ空気が和らぐ。
「あっ」Aがふと思い出して、ズボンのポケットを探った。「もしかして……あった」
彼は透明な小袋を出した。半分に割られた錠剤が入っていた。
「ぼくも頭痛と肩こりがひどくて……医者からもらった鎮痛剤をいつも持ってるんです。良かったら、使いますか?」
「で、でも……」
Dは躊躇った。確かに頭痛がひどくて考えるのもままならなくなっていたが、赤の他人から薬を貰うには抵抗があった。
「気が向いたらで、大丈夫ですし」
Aはとりあえず渡しておいた。本心こそ計り知れないが、彼等の中で最も弱っているのはCに見えた。タイムリミットが迫り来る中で目先の頭痛を気にかけるなど滑稽でもあったが、こういう時こそ助け合い精神や連帯感は僅かな安らぎを憶えさせた。Dは小さく頭を下げた。
「……一度、休んだらどうだろうか」
Aが提案を差し込む。この中では彼が最も年齢が高いこともあってか、落ち着きがあった。Cだけは反抗的だったが、BとDは彼に少し心強さを感じていた。実際、みな疲れ果てていた。眠って、休んで、それからどうすべきか考えても遅くはないだろう。
血のにおいにも慣れてきた頃合いであり、距離をとってお互いに休む。それぞれが瞼を閉じて暫くじっとしていた。眠ってしまった方がこの現実を忘れられて楽になるとしても、簡単に眠れるはずはなかった。何故こうなったのだろう、死ぬのだろうか、と、不安や恐怖や、怒りといった様々な感情がないまぜになっていた。
だが、じっとそのまま眠気を待っていると、身体は正直なもので、だんだんとうつらうつらと夢に足半分浸かり始めていた。なにも今の異常事態にばかり疲弊していたのではない。彼等はもともと、本当に、疲れていたのだった。いっそ、先に死んだEが一種の幸福ではないだろうかと錯覚するほどだった。
やがて、凄まじい音がして、それぞれ跳び起きた。耳が忘れるはずもない強烈な銃声だ。
「ナニ!?」
半分眠っていたBがあたりを見回した。新しい血だまりができていた。長い髪が赤い液体に広がった。その横にリボルバーが転がっている。Dだ。
「こいつが殺した!!」
Cが喚いた。その指はAを示していた。
Aは顔を顰めた。
「何を言っているんだ! ぼくは今銃声で起きたところで」
「とぼけんじゃねえ! 今! こいつに向けて撃ったじゃねえか!!」
「ど、ドウイウ……?」
困惑するBに、Cは尋常ではない視線を突き刺した。
「変な音がしたから眼を覚ましたら、こいつが銃を……女を引き摺って、撃ったんだろう!? あんたのその寝ていた場所から撃てる位置まで移動させて……撃った瞬間、銃を女のもとに投げた! 見たんだ!!」
「言いがかりもいい加減にしてくれ! 幻覚を見たんじゃないか? こういう状況だ。それに、きみ、眼がおかしいぞ」
「うるさい! とにかく、こいつが殺したんだ!!」
更に充血したCと戸惑うAの間で絶叫が飛び交う。Bはおろおろとしていて言葉を出せないでいた。つい眠る前は隣にいたDが死んだことも信じられないでいた。
Cは直接彼等に伝えていないが、麻薬の禁断症状が出ていることは間違いなかった。常習犯となっていた彼は新しい麻薬を買うために金を盗もうとして、家を追い出された。そのままここにおり、薬の予備もなにも無かった。繰り返し注射を打っていた腕から全身が枯渇して、脈打っているかのようだった。幻覚もまた禁断症状の内であった。
Cの幻覚や、思い込みによる妄想なのか。それともCが本当に視た現実なのか。異常事態に脳の処理が追いつかないBには判断できなかった。
ここでは誰もがあまりに無防備だ。
「クソッ親父!!」
Cが立ち上がろうとしてAに掴みかかろうとした。Cには、Aが実の父親と重なってしまっていた。剥き出しになった暴力を奮わんとしたCを、喧嘩を止めるのに躊躇しない温厚で勇気あるBが慌てて止めようとした。CがAの顔面を殴ろうとして、辛うじてAは避けた。追ったCにBが追いつく。Bは体格が良く、Cを床に縫い付けた。その間に、AはCから慌てて離れる。
「離せよ! 人殺しを庇う気か!?」
Bは言葉を返せなかった。暴れるCの身体を抑制するので必死だった。
そのCが急に静かになったのは、強烈な銃声と引き換えだった。Bの視界に温かい赤がぱっと花咲いたかと思えば自分に弾けとんできた。
Cの頭が打ち抜かれていた。即死である。
悍ましい沈黙に、Bは顔を上げた。銃口が向けられていた。自分に。Aがリボルバーを向けていた。
Bは信じられないといった顔でAを視た。Aは無表情だった。なんの感情も読み取ることはできなかった。
「ナゼ……」
呆然と呟きながら、無意識にBは両手を挙げていた。祖国で銃を向けられそうになった時、咄嗟にしていた反応である。
「全員、馬鹿正直すぎる」Aは淡白に言った。「きみが一番よく知っているんじゃないか。これはただの武器だ。生き残るための」
広がる少年の血だまりの中心にいるBも、Aも、服や皮膚に張り付いた返り血が酷かった。
Aは引き金を引いた。Bは身を引いた。しかし空砲だった。どうやら、一発だけ空砲があるという情報は正しかったらしい。おそるおそる目を開けたBは、自分が無事であることに奇妙な笑みが浮かんでいた。それにつられるように、Aも笑った。強者の浮かべる愛想笑いだった。
次瞬、本当の一発がBの頭を貫いた。
四人分の花が咲いて、生き残ったAはだらんと腕を下ろした。
Eの死は哀れだが、Dはうるさくて堪らなくてさっさと黙ればいいと思っていた。Cが視ていたのは想定外だったが、Bが抑えてくれて助かった。Cは自分の娘と年が近いし、Bの遠い異国の家族を思い遣る優しさには胸が痛んだような感覚もあったが、BよりもCよりもAには自分の家族を含む生活が何よりも大切だった。
何がリセットボタンだ。こんなもの、冷静になれば運まかせでもなんでもない。昔流行っていたゾンビゲームと同じ。敵が大したことがない分イージーな、武器を持てた者が勝つだけのゲームである。
どこかに設置されたスピーカーから、ゲームクリアを示すような高らかで無機質な拍手喝采が沸き起こる。
Aは顔を上げた。
これで帰れる。
無事に、家に帰れる。
これまで随分と心配をかけたから、上等な肉でも買って帰って、すき焼きでもしよう。
ただいま、と微笑んで。
了
「運まかせ」
三題噺お題:リセットボタン、愛想笑い、リボルバー
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