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ドア•イン•ザ•ボックス

「箱の中にドアがあるとすれば、それはどういった状況だと思う?」
 十数年ぶりに集まった級友たちを前に、男は朗々と切り出した。
 この場にいるのは四人。男性二人に女性一人、もう一人は誰かというと、ロボットである。見た目は瑞々しい男子高校生を模しているのだが、三十路の男女に混じると違和感を抱かざるを得ない。
 このロボットは、当時で最先端のAI技術を積まれた最高傑作ともいえる頭脳を持っていたのだが、ここに集まる三人の影響を強く受けた末、周囲からしてみると自慢の頭脳は残念なほどに腑抜けた。AIの目覚ましいの発展が世界を大きく変容させた昨今では、とっくに型落ちの機体となっていた。
「何だそれ、なぞなぞ?」他方の男が苦笑しながら、群青のベースに弦を引き、指先で鳴らす。「相変わらずそういう変な問いかけをするよな」
「あほくさ」
 女が頬杖をつきながら煙草の箱を頻繁に開け閉めしている。彼女は機械に統制された現代社会において、手軽に脳を騙してハイになれてなおかつ安全な薬が蔓延るようになったが、未だにレトロな煙草を愛する重度のニコチン中毒者だ。今も吸いたげだが、彼女はこの「箱」では火をつけない。小さなプライドが自制をきかせている。
「まあまあ、普段殆ど使わなくなった頭を働かせて、想像してみたまえよ。ほら、彼を見習って」
 と、ギターを持った男は男子高校生姿のロボットを一瞥した。ロボットは棒きれにナイフを引っかけ、す、す、と鉛筆を削ぐように器用に形を整えていた。
「何やってんの?」
「スティックを作ってル」
 と言うロボットは傷だらけで無理やり寄せ集めたドラムの傍で、笑っている。彼に感情は無いが、かつてこの四人で頻繁に集まっていた頃、あまりにも人間がよく笑っていたから、人間と一緒にいる際は無条件に笑ってみせるということが記憶領域にインプットされていた。だからロボットは三人と顔を合わせた時からまるで本当に喜んでいるかのようにずっと笑っている。
「器用だな。それは、どこから学んだんだ?」
「XX年前の動画で見つけた牛蒡の皮剥きと、スティックの形が合致しタ」
「嘘つけ」
「こういう発想力が必要なんだよ、俺たちには。ロボットに負けてることが悔しくないのか?」
「勝ちとか負けじゃないだろ。面倒臭いことは任せればいいっていうのは間違ってはいないさ」
「思考を面倒臭がるのは堕落だ。人間が思考を止めれば進化は止まる」
「とっくの昔に止まってるよ」
 チューニングを終えて、ベースの男はうんざりとした溜息を吐く。
 薄い木皮が剥がれていく、慎重な音が閉鎖空間に鳴る。
「そんな話をするために集めたわけ?」
 女が不満を滲ませる。
「いいや」エレキギターとアンプを繋げるコードを伸ばし、男は顔を上げる。「忙しないな。結果だけ急ぐのもなんだからこうして話を振ったっていうのに。きみたちは再会の余韻を楽しむことすら忘れてしまったのか? 箱の中にドアがある、どういう状況なのか、いいから素直に考えてみろ。俺は何を言いたいのか、想像するんだ。難しい謎かけでもなんでもない。ドア・イン・ザ・ボックスだ」
「想像」ベース男はぼんやりと呟く。「今じゃ禁句だな」
「箱というのは、ここを指してル?」
 にこやかなロボットは問う。
「音楽脳らしい質問だ。そうだな、俺たちにとって箱といえばかつてのライブハウスだし、部活に使ってた空き部屋だ」
「そもそも、inじゃないだろ。atだとか、onだとか」
「これはライティングやスピーキングのテストじゃない。俺は箱の中に、と言ったんだ。ちゃんと聴いてたか? リスニング0点だな」
「偉そうに」ベース男は呆れる。
「ドアだけ、独立して立ってるってこと?」
 女が一本の煙草をひっきりなしに入れ挿ししながら尋ねる。無関心な表情ではあるが、話を進めないことには満足しない男だと理解しているのだった。
「イメージはそう。ドア単体が部屋に立っている。そういう光景をかつて俺たちは何度も目にしてきたはずだ」
「モデルハウスってやつ?」
「知らん。そうなのかもしれないが、知らん。そんな上流階級にだけ許されたような概念じゃない。高校時代にはまだあった。ほら、猫型ロボットの」
「どこでもドア」
 漫画に関してもよく学んだロボットである。作りたてのスティックを突き出すと、そう! とギターの男は一気に弦を弾き鳴らした。調弦を終えた耳心地の良い響きである。
 ああ、だとか、ふうん、だとか、生返事が続く。
「ドラえもんなんて久しぶりに聞いた」
「禁書だしね」
 好きだったけど、と女は僅かに懐古に浸る。
「で、実在もしない、箱にあるどこでもドアがどうしたって」
「まさに今だろう」
 男は仰々しく両腕を広げて、ゆるやかな円を作っている旧友たちに目配せした。
「俺はそれなりに感動しているんだ。楽器を隠し持って、糞食らえな規則を擦り抜け、再び音楽をするという目的のもと集った仲間達。いつかの漫画みたいじゃないか。箱はここだとすれば、どこでもいける扉だってここにある」
 ギターの男は確信めいたように頷く。
「どこでもドアはいつでも俺たちの心の中にあるんだ」
「くさいなあ」
「どこでもドアはいつでも俺たちの心の中にあル」
「なんでもかんでもディープラーニングしなくていいの」
 女が静かに指摘する。
 どことなく会話の切れ目を感じ取ったのか、四人は互いに向き合い、それぞれおもむろに構えた。ギターやベースを肩からぶらさげ、スティックをくるくると回してドラムに翳し、マイクのスイッチを入れる。刹那、ハウリングし、空気がどこか冷たくなる。
 やってきた息の詰まる沈黙をほぐすように、男はギターから離した手を打った。
「さあ、久々に一発やろう。煙草で傷ついた声は、それはそれで味が出るさ」
「馬鹿にしないでよ」
 そう言いながら、女の表情は緊張していた。
 果たしてこの音は外に聞こえるだろうか。箱を閉ざす扉は重厚で防音は完璧なはずだ。人間を発展させてきた想像力を彷彿させる娯楽は軒並み淘汰されている世の中、本もゲームも、そして勿論音楽も狙撃対象となった。もしも音が漏れれば、瞬く間に、目の前でドラムセットに腰掛けたロボットとは比較にもならない高度な能力を与えられた機械たちが正義を掲げて処分しにやってくるだろう。ポンコツロボットはドラムに関してはこの世で一番の技術を仲間たちに教え込まれたが、それだけだった。それだけだったことが、以前は何よりも心強かった。
「何をする」
 ベース男が問いかける。緊迫と高揚が奇妙に混ざり、少しだけ息がうわずった。
「そうだなあ」
 ぼんやりと発案者は呟いたまま動かない。
 機械に正され硬直した世の中で、かつての盟友とセッションするというただそれだけの抵抗を、彼は提案した。しかし先が出てこない。彼もまた世に馴染んで、麻痺した脳が想像を拒否しているのだった。
 おもむろに指を乗せ、ギターを鳴らす。和音。Cのメジャーコード。身体が記憶した指の配置。抑えた弦から指への反発、そして振動。アンプを通して音が響いた。鬱屈を払うように高らかだった。そこに乗っかるように、にこにこと笑いながらロボットがドラムを手当たり次第に、遊ぶように、しかし整然としたリズム感で叩き始めた。テンポが生まれ、指鳴らしのベースラインが乗じる。
 女は唇を噛み締め、片時も手から離さなかった煙草の箱を足下に落とした。
 ここになんの歌が適する。希望に満ちた愛を表現する甘ったるい綺麗事を並べた歌が似合うのか。陰惨で悲劇に酔った独りよがりな歌が似合うのか。
 何が正しいか解らないけれど、掻き鳴らされる音だけでも、抑圧から解放されていく音だけでも、残されていくべきだ。
 ここにたとえばどこにでも開くドアがあるとして、そこから音がどこまでも広がっていったら、どれだけ気持ちがいいだろう。開け放ったら、放っておいてもどこまでも音は突き抜けて、世界のすみずみまで叫びは届いていく。
 祈るようにマイクに両手を重ねたまま動かない姿を、機械仕立ての瞳が捉える。
「かみさマ」
 と、最も宗教観念から遠い青年が言い、音が止んだ。
 長い沈黙を経て、ベースの重低音と、ギターのメロディ、ドラムの重苦しいテンポが刻まれていく。アンプから出る音は割れていた。汚かった。しかし懐かしかった。身体が憎たらしいほどに覚えている。自らが楽器となり、音楽を奏でていた刹那の衝動を覚えている。音を合わせるということ、意識を合わせるということ、たとえ下手でも食らいつくように奏でるということ、一挙に蘇った感覚に、それぞれの顔つきが真剣になり、笑った。埃まみれの音の先で僅かな光を見すえるように静寂がやってきて、彼女は細い息を吸い込み、痛んだ肺をこすってやってきた旋律を吐き出した。

 ――かみさまは、いつだって、優しい嘘をつく。

 了


「ドア・イン・ザ・ボックス」

三題噺お題:放っておいて、ナイフ、優しい嘘


引用元
People in the box 「かみさま」


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小萩うみ / 海
たいへん喜びます!本を読んで文にします。