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旅人たちの休息
わたし、お隣のお隣のおうちの傍の路肩から風に乗ってきました。
うんうん、挨拶としてはばっちり。
ここが安住の場所かしら。もうちょっと遠くまで飛べるかと思ったけれど、意外と現実ってこんなもの? ふわふわ綿毛ちゃん、風を掴むのがちょっと下手っぴだったのかも。今はぷくぷく眠っているわ。でも、そうね、この草原も悪くない。うんと高く伸びた緑がいっぱい茂っていて、仲間がたくさんいて楽しそう。これからの発芽に向けて先輩方にアドバイスを貰いたいし、きょうだいはみーんな別々のところに行っちゃったし、知り合いが誰もいない場所だったらさみしくってどうかなっちゃいそうだもの。
「もしもし、もしもし」
ぐっすりおやすみ中の綿毛ちゃんを引っ張って、このあたりで一番背高く、まばゆい太陽に向けて花開かせている先輩に声をかけた。
「あら。新入り?」
「そうです。わたし、お隣のお隣のおうちの傍の路肩から風に乗ってきました」
「ふうん。いかにも弱っちい感じね」
あけすけな言い方に面食らった。でも、ここであからさまに機嫌を悪くしてはいけないわ。
「よく言われます。えへへ。ところで、わたし、ここで発芽しようかと思うんです。どうしたら先輩みたいに素敵なお花を咲かせられますか」
「普通にしてればいいのよ。普通に雨水をたっぷり飲み干すくらい飲んで、太陽をいっぱい浴びていたらいいの」
「普通って、どれくらいですか? どのくらい雨を浴びて、どのくらい太陽を浴びたらいいですか?」
「普通は、普通よ。そのくらい自分で考えなさいよ」
ぷん、と先輩はそっぽを向いてしまった。うーん。間違ったことを言ったつもりはなかったけれど、どうやら、機嫌を損ねてしまったらしい。普通という基準がわからなければ、自分が合ってるのかどうか、分からない。わたしは素敵なお花を咲かせたい。そしてお母さんみたいにたくさんの子供を作りたい。そのためには、立派にならなくちゃ。
先輩にぺこりと別れの挨拶したけど無視されて、少しだけしょんぼりしながら他をあたることにした。
「もしもし、もしもし」
さっきの方ほど背は高くないけれど、生き生きとした葉を幾重にも茂らせている先輩に声をかけた。
「おやおや、これはまた、小さなお客さんだ」
優しそうな雰囲気に、正直ほっとした。わたしはにこにこしながら、挨拶を続ける。
「初めまして。わたし、お隣のお隣のおうちの傍の路肩から風に乗ってきました。ここで立派になりたいんです。どうしたら、あなたみたいにたくさん葉っぱをこしらえることができますか?」
「簡単なことさ。たくさんお天道様を浴びれるような場所に行ったら、それだけで嬉しくなって、ぐんぐん葉っぱは大きくなる」
「さっき、他の先輩も、太陽の光をたくさん浴びるといいって言ってました。でも、どれくらい浴びたらいいかまで、教えてくれませんでした。普通は、どのくらい太陽を浴びたらいいんでしょうか」
「好きなだけ。ぼくはとにかく日の光が好きだから、自分の喜びに沿っていたら、こうなったのさ」
「そうなんですか」
わたしはどきどきした。喜びのままに生きていたら立派になれるなんて、素敵なおはなしだと思った。それにこの先輩は優しそうだから、一緒にいたらたくさん良いことを教えてもらえそうだわ。
「じゃあ、わたし、ここで発芽してもいいですか? 先輩の隣で、同じくらい日光を浴びていたら、きっと先輩みたいに立派になれるわ」
我ながら名案だと思ったのだが、途端に先輩は声色を変えた。
「とんでもない。そんなことをしたら、僕の取り分が少なくなるかもしれないじゃないか。発芽するなら、離れた場所でやってくれ」
急に突っぱねられたので困ってしまった。冗談です、と慌てて訂正したのだけれど、優しかった先輩は懐疑的になってしまった。仕方ないので、わたしはお礼を伝えて、その場を離れた。
なんだかうまくいかなくて、ちょっとへこんだ。そんなわたしのことなんて知らん顔で、綿毛ちゃんは今もぐっすり眠ってる。綿毛ちゃんはいいなあ。綿毛ちゃんのお仕事は空を飛ぶことで、それが終わったらあとはのんびりするだけ、こんなに考えたり悩んだりしなくたっていいんだもの。
わたしたちにはきょうだいがたくさんいる。それは、立派になれるのは、ほんのひとにぎりだけだからだ。皆、発芽して、お花を咲かせて、子供を作ることを夢見て旅立つけれど、その夢が叶うのは限られたものだけという辛い現実がある。昔はどこもかしこも養分豊かで遮るものもない土ばかりでどこにいっても簡単に育つことができたらしいとお母さんは話していたけれど、今はそうもいかなくて、おうちだったり、アスファルトだったりで土がどんどん埋め立てられていくし、せっかく発芽したとしても、根こそぎにんげんに毟り取られたりする。植物界はなかなか世知辛いのだ。
だからこそ、立派になる夢を捨ててはならない。諦めたらだめ。
自分を奮い立たせ、わたしは綿毛ちゃんをずるずると引っ張って、場所を移した。
「もしもし、もしもし」
自信を失ってしまった私は、今までの方ほど堂々とはしていないけれど、可憐な花を咲かせた先輩におずおずと挨拶した。
はじめ、先輩は気付かなかったのか、何も返答してこなかった。もう一度大きな声を出すと、はっと先輩は反応した。
「なんでえなんでえ。こっちがうっとり日光浴してたところだったってのに」
可愛らしい見た目とは裏腹に、恐そうだった。私は怖じ気づきながらもなんとか踏ん張った。
「ごめんなさい。でも、ちょっとご挨拶したくて。わたし、お隣のお隣のおうちの傍の路肩から風に乗ってきました」
「ああん、新入りか? へえ。そりゃあご立派なこった。だが、残念だったな。ここは既に定員オーバーってやつだ。あんたが発芽できるような場所は残されていないぜ」
「ええっ」
わたしは思わず大きな声をあげた。確かにこの草原はたくさんの先輩方が身を寄せているが、それはつまり豊かな環境であるということだ。剥き出しの土はたくさんあるように見えるし、先輩が言うことは大袈裟なように思えた。もしかして、さっきの先輩みたいに、新入りが発芽して自分の生長を邪魔されるのが嫌だからそんなことを言うのかしら。
「どうしてそう思うんですか? だって、たくさん土がまだあるじゃないですか。皆さん立派に育っているから、ここにいたらわたしだってきっとたくさん葉っぱを伸ばせるし、素敵な花を咲かせられるわ」
「ああ、ダメダメ。分かってないね。あんたはママから大事なことを教わらなかったんだな」
馬鹿にされているようで、内心ちょっとだけ腹が立ったけれど、ぐっと我慢した。
「よく考えてみろ」先輩は低い声で続ける。「あんたの言う、立派なやつがたくさんいるっていうことは、確かにここは豊かってことだ。太陽はよく当たるし、水はけも良い。でも、その分、ライバルが多いってことを忘れちゃいけねえぜ。俺たちゃ、ちゃんと生きて、花を作って、受粉して、種をこさえなきゃなんねえ。それは分かってるか?」
「ええ、勿論」
「立派に育つってことは、他より強いってことだ。たくさんのやつらが風に乗ってここに辿り着くが、強いやつと弱いやつがいる。弱いやつがたとえ発芽したところで、強いやつは葉っぱをさっさと伸ばして影を作る。その下にいる弱いやつは結局太陽を受けられなくて枯れていく。土の中で頑張って根を伸ばしても、強いやつに栄養分なんてとられちまう。ここはきらきらして見えて、どろどろ生存競争の渦中だぜ。仮にあんたが元々いるやつより素質があるなら可能性はあるかもしれねえが、基本、既に強く育ってるやつなんかに、ガキンチョが勝てるはずないだろ。あんたは見るからに弱そうだし、絶対無理」
「無理かどうかは、分からないですよ」
と、わたしはしどろもどろに反論しながらも、さっきの先輩方の様子を思い出していた。最初の先輩は、この先輩の言うような「強いやつ」の筆頭なのだろう。誰よりも背を高く伸ばして、誰よりも日光をよく浴びる。二番目の先輩は、私が隣で発芽すると言ったら、全力で拒否してきた。それは、敵が増えるのを嫌がったからなのだ。
反抗を見せながらも、しょんぼりは滲んでしまう。
じゃあ、どうすればいいのだろう。わたしは他の先輩からみると、すごく弱くて、誰にも勝てっこなくて、明るい未来なんて無いんだろうか。わたしは立派な花を咲かせられないのだろうか。
「まあそんなに落ち込むな。ここを諦めればいいだけの話だ」
先輩は軽々と言ってのける。
「ええ?」
「当たり前だろ。ここはもうあんたの発芽できるような隙間は無いんだから。他にきっといい場所があるさ。俺は知らないけどな」
「でも、それで飛んでいって、それこそ発芽もできない場所ばっかりだったら、発芽する前に力尽きて死んじゃいます」
「んーじゃあ、この立派で豊かで競争相手も多いところに埋もれて死ぬか?」
あんまりな脅し文句にわたしは絶句した。
「そうすれば? どうせ俺には関係ない話だ。たとえば俺の隣で発芽してみろ。お前のママが、発芽のためにたくさん詰め込んでくれた栄養分ごと吸い込んで、俺の養分にしてやるよ。ああ、それは発芽できず野垂れ死ぬよりましなんじゃないか? 意外と悪くない」
「まっぴらごめんよ!」
思わず怒ってしまった。なんだか少し泣きそうだった。
「だったら、ここを離れるんだな」
「ええ、そうするわ」
「ついでにもう一つ警告しておいてやる。自分のうまく育つ場所なんて、そいつによって違うんだからな。俺みたいにほどほどで育つくらいが楽なもんだ。あとは、てめえで考えろ」
わたしは、今にも折れそうなか細い茎を風に揺らしながら、それでも可愛らしいオレンジの花を咲かせている先輩を見上げた。この先輩は、他の先輩に比べればずっと小さくて、正直なところ弱そうだった。建物の近くだから、時間によっては影ができて太陽の光がたくさん当たらなさそうだし、葉っぱだって少ないしとても細い。それでも花を咲かせている。
こんなふうになることも、わたしに出来るかどうか、定かでない。
「うんうん悩むより、さっさと離れた方が身のためだぜ。ここらには植物だけじゃなくて面倒臭え輩もたくさん通るからな」
「言われなくてもそうするわ」
意地を張ってつっけんどんに言いながらも、一応、礼儀として別れの挨拶をきちんとして、知らん顔で寝ている綿毛ちゃんを連れて先輩のもとを去った。
しかし、そうはいってもどうしたものか。綿毛ちゃんが起こしてどこかに行くべきか。売り文句を買って出ていっちゃったけれど、本当にここでは立派になれないのかしら。でも、あの先輩の言うことも一理ある。問題は、この立派な土地を離れるほどの価値がある場所に辿り着けるかどうか、なのだ。
「ねえ、綿毛ちゃん」
と、私はようやくくっついている綿毛ちゃんに声をかけた。全然起きないので、無理矢理揺らしてみた。
「ううん、むにゃむにゃ」
綿毛ちゃんは漸く目を覚ました。眠っている間にどれだけのことが起こったか知らずに、良いご身分だこと。不満を言ってやりたいところを抑えて、わたしは綿毛ちゃんに向き合う。
「綿毛ちゃん。わたし、もう一回飛びたいの。ね、風を掴んでどこか良いところに連れて行って」
「ええ-、せっかくお仕事終わったのにい。いいじゃない、こんなにたくさんお花が咲いてるところだったら将来安泰だよ」
「そういうわけにはいかないの」
綿毛ちゃんは明らかに不満げだけれど、それはこっちの気持ちだ。あ、大きなあくびまでしてる。
「いいから、ちゃんと起きて――」
「にゃーん」
「にゃ……」
わたしは急に聞こえた太い声につられて、空を仰いだ。
いつのまにか眩くてあたたかな太陽は遮られていて、真っ黒い影がのしかかっていた。
「にゃごおん」
ひくつくわたしにはその存在に見覚えがあった。遊び盛りの三毛の野良猫だ。まだ小さいとはいえ、当然わたしなんかよりずっと、何倍も、何百倍も大きい。それでいてなんにでも好奇心を示す。逆光を浴びつつ、鋭い眼光がちらついた。
無邪気で禍々しい肉球が、ぐんと伸びてきた。
「きゃああああああああああああ」
猫を前にしてもぼんやりしてる綿毛ちゃんを無理矢理引っ張って、私はころころ転がった。間一髪ならぬ、間一毛(綿毛ちゃんのことだ)、遠慮の無い猫パンチを躱した。誰かの、ぎゃあという悲鳴が聞こえた。恐らく、近くにいた生き物が肉球にぎゅむっと潰されたのだ。それが先輩なのかはたまたアリンコなのかもっと全然違うものなのかは分からない。
わたしは必死に猫から逃げながら、くらくらしてる綿毛ちゃんに声をかけ続けた。
「綿毛ちゃん! 綿毛ちゃん! 飛ぼう! じゃないと死んじゃう!」
「ううん、むにゃむにゃ、目、目が回る」
「目なんてないじゃん!」
元も子もないツッコミを入れて、わたしは夢の土地である草原を出てアスファルトに飛び出した。瞬間、猛烈な勢いでまた影が襲いかかってきた。肉球ではなかった。にんげんの靴の影だった。
「いやーーーーーーー!!」
もうなにがなんだか訳が分からないのだけれど、とにかくわたしは転がりまくって、辛うじて踏み潰されずに生き延びた。もう嫌! 確かにこんなところ、あたしには向いてない!
その時、一陣の風が皮の表面をするっと撫でた。
「あ」
呟いたのは、綿毛ちゃんだ。
「わっ綿毛ちゃん……!」
「ぷわわーん」
場違いなのんびり声をあげて、綿毛ちゃんは風を掴んだ。
ふわふわした白い毛先が繊細な風の動きを読み、あたしたちは一気に上昇し、にんげんも、猫も、先輩たちも届かない、青空へと飛んでいく。
あたしは綿毛ちゃんに連れられながら、どんどん遠くなっていく夢みたいな草原を見下ろした。随分上から眺めてみると、確かに緑がたくさん若々しく茂っているけれど、誰よりも背高な先輩も、瑞々しい葉っぱを茂らせた先輩も、口が悪くて腹立たしい先輩も、みんな同じ緑の中でいっしょくたになっていた。
これから、一体どうなっていくのだろう。飛び出したのはいいけれど、あたしは、どうしていったらいいんだろう。
そのとき、あの口の悪い先輩、それから他の先輩のことも思い出した。「普通」と言って太陽と雨水をたくさん吸って、その普通を教えてくれなかったけれど、自分で考えろといった先輩のこと。太陽が大好きで、たくさん日光を浴びられるように生きている先輩のこと。ここではないどこかに行けと、自分のうまく育つ場所なんてそれぞれで違うのだと言って、か細くもしっかりとあの土地に根ざしている先輩のこと。
あたしはどの先輩とも違っていて、先輩みたいに立派になれるかは分からないし、ここではないと思ったらどこにだっていける。まだ発芽していないからだ。結局、あたしが花を咲かせるのに最適な場所はあたしが見定めて決めなければならないし、立派な咲かせ方はあたしが探していくしかないんだ。
「綿毛ちゃん、綿毛ちゃん」
「あ、なあにー」
どんどん調子よく上昇する綿毛ちゃんは、「お隣のお隣のおうちの傍の路肩から風に乗ってきた」というレベルを超越して、どこか、少なくとも全然知らない土地へと向かおうとしている。その先は綿毛ちゃんにもあたしにも見えない。
「新しい街に行こう。あたし、綿毛ちゃんと一緒なら、どうにかなる気がしてきた」
「あれえ、急にどうしたの? あんなに気張ってたのに」
綿毛ちゃんはあたしの遭遇した数々の出来事を知らないから、不思議そうだ。
「ううん、なんでもないの」
あたしは気持ちの良い風と大好きな太陽を浴びて、気分を楽にしながら、にこにこと上向いた。
「どんどん飛んでいこうよ。できればさ、猫のいないところにいこう」
「そうだねえ」
風は気ままだ。場所を定めることはできないけれど、あたしはあたしでしかないから、あたしの居場所はあたしが探していく。
了
「旅人たちの休息」
三題噺お題:野良猫、飲み干す、新しい街
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