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小萩うみ / 海
2020年6月20日 23:10
聞こえる。鼓膜を微細にふるわせるかの音は、五月雨か。それとも今際の吐息か、あなたの心臓か。 枯れて老いた身体をうるおす、永久の音である。 悔いても戻らぬ時間は絶えず進み、いずれあなたを置き去りにする。 決して、あなたを一人のままにはしない。 わたしはやがて土に還り、微細に分解され、植物に与えられ、花を咲かせ、種子に宿り、空を飛び、あるいは虫に運ばれ、いずれどこかに着地し、再び芽吹き、いず
2020年6月18日 21:22
降りしきる雨が海にいくつもの波紋を生み出しては、白波に呑まれて飛沫があがる。 戦闘は激化し、真夜中も爆撃は絶えることなくこだまし、指先に迫り、またおのおのの身体を抉った。装甲を貫く徹甲弾が命中し、船は激しい揺れに見舞われ、闇夜にあざやかな炎があがった。炎の光に晒されて、ひとのあらゆる姿がしかばねとなって転がっている。辛うじて生き残ったひとが、血と弾薬の臭いに鼻を折られながら、必死に叫んでいる。
2020年6月16日 23:01
天気良好。感度良好。野外フェスは正午を過ぎても熱気が収まらない。 少し距離がはなれたメインステージからの、とどろきのようなものすごい歓声が聞こえてくる。 気温は四十度に迫る勢い。既に熱中症で運び出されたお客さんも見かける。水分補給をしっかりとるように運営は積極的に注意喚起しているけれど、追いつかないのだろう。気温もだけれど、アーティストのパフォーマンスに興奮して全体的に十度くらいは体感温度が
2020年6月13日 19:17
※この小説は、他の短編「偽物ラヴァーズ」を「彼」視点から書いたものです。 単品でも読めますが「偽物ラヴァーズ」を読んだ後だとより深く楽しめます。 自分が冴えない人間であることは、自分が一番よく理解している。 掃除の時間にさりげなく、放課後の呼び出しを受けた。聞き返す前に、彼女はそそくさと離れていって、友人との輪に戻っていった。自分の耳を信じ難かったが、馬鹿正直に校舎裏へと向かった。こんな
2020年6月11日 20:34
危ないから入っちゃいけないよ。山に囲われた村の婆は、いつも子供達にそう言い聞かせる。 村のはずれに取り残された廃工場は鉄格子で囲われ、入り口も硬く閉ざされているという。鍵をかけられたまま放置され続けている。人によっては、かの戦争において兵器を創っていた場所で不発弾が捨てられていて危険だともいうし、幽霊が出没するから怖ろしいともいうし、野犬の住処と化していて立ち入ればたちまち喰われてしまうともい
2020年6月9日 15:59
小学生の頃である。長いRPGを進めた先で、少年は子供心に大きな幻滅を経験した。 世界を脅かす悪の親玉、魔王を倒すために、村人Aであった主人公は旅をする。木の棒から始まったあまりに弱々しすぎる武器を片手に、雑魚敵を丁寧に倒しつつ、賛同する心強い仲間にも出逢いながら、各地に点在するボスを倒す。主人公は少しずつ強くなっていく。やがて強大な魔王にも太刀打ちできるほどの巨大な力を得て、ラストダンジョンへ
2020年6月6日 20:38
乾杯の音頭を取ってから一時間ほど。程良くアルコールが回り、集合した彼等の表情は火照っていく。 狭い居酒屋の座敷で五人は机を囲んでいる。中学時代の同期は成熟し、じきに大学を卒業するというタイミングでの集合である。といっても、全員が来月卒業というわけではない。高卒で就職した者もいれば、受験浪人の影響や留年して一年遅れの者もいる。現役で大学に合格してすんなりと卒業まで漕ぎ着いたのはこのうちの二人だけ
2020年6月4日 19:52
よ、いしょ、どっこい、しょー。 ふう。 この土管は毎度登るのに苦労する。 あ、どうも、おはようございまーす。日光燦々おはようさん。どもどうも。今日も朝から暑いですねえ。ご覧ください、あの爽やかな青い空。ふわふわのわたぐもが風でゆうっくり流れていって、良い天気です。 人も川のほとりを、すいすい歩いていきますね。 うさぎと亀っていう、おとぎ話、知ってます? 知らないか。いや、いいんですよ
2020年6月2日 19:47
「おかあさん、見て」 幼子は母の薄い裾を引き、丸みを帯びた指を空へ向けた。 指された先では黒い鳥がゆるやかに旋回している。細長い笛のような鳴き声が彼方からあたりに拡散し、豊かな草原を揺らすそよ風に乗っていく。「あれはなんのとり?」「鳶ね」 独特な鳴き声がかの鳥と知らしめる。あの声の正体を知ったのはそういえばいつのことだったろうとうすらぼんやりと記憶に目配せするが、明確な答えは浮かんではこ
2020年5月28日 20:39
その告白は罰ゲームだった。 超絶地味な昆虫類系男子、と区分していたその人に、明日の放課後告白することとなった。男女入り交じったカラオケで盛り上がっていて、一番点数が高かった人が低かった人に命令する、という王様ゲームのようなことをしていた。王様の命令は絶対で逆らってはならない。たかがゲームだがされどゲームで、破れば空気が読めない奴として認定されるのだった。 憂鬱でならなかった彼女は、しかし
2020年5月26日 20:29
月明かりを溶かした曹達水は、暗闇でやわらかく発光する。 とりわけ満月の光は味が良い。月が随分と大きく空に浮かんでいる深夜は、子供達は大人に黙ってこっそりと家の屋根に足を運んで、瓶に入った曹達水を月光にさらす。きらきらと透明な瓶が光を反射するのだが、その硝子の壁をゆっくりと通過して、月の成分が中に浸透していく。時間をかけて、月光と曹達水が一緒になって溶け合うのを待つのだ。それは秘密の時間だ。大人
2020年5月24日 21:01
密室に導かれたのは五名。互いに顔も名も知らぬ完全な赤の他人同士であった。性別としては男四名、女一名。アルファベットとしてAからEと順に振られた記号でそれぞれ区別されている。 彼等に共通する事項は、金を欲している点。そして人生に頓挫している点。 Aは一般的なサラリーマンであった。四年制大学を卒業した後出版業界に就職し淡々と安定を求めて生きてきたが、つい先日不況の煽りを受けリストラされた。四十半
2020年5月23日 20:10
瓦礫の重なる森のごく一端で、雪が降り始めていた。 褪せた緑の針葉樹の群衆が騒いでいるのを、私は耳で感じ取った。 亡き師匠から教わった魔法の決まりごとは一つ。相手を傷つけることを目的としない。 その規則に乗っ取って、師匠は私に魔術を教えた。則ち、万物に耳を傾けるということであった。無数の音と声を厳格に聞き分け、取捨し、ただひとつ語りかけるべきもののみに声をかけるように思考の欠片を渡す。魔力と
2020年5月21日 20:28
おとといの深夜のひとときが胸に過る。 胸に過る、とはどういう感覚だろう、と女は思考する。しかし、思い返した瞬間、脳というよりも胸を貫いたような感覚があった。胸には何の刺激も無いはずだ。いや。女は長く丸めた睫毛をまたたかせる。今まさに背後から摑まれているのだけれど、あまりにも表面的で情報としてきちんと処理されていない。 おとといの男は女と外観年齢が近かった。随分老いた人間を相手にすることもある