カムパネルラ

カムパネルラ、イタリア語で「鐘」という意味らしい。

除夜の鐘の「ゴーン」という音。

あの音を聞くと急かされる様な気持ちになる。物語の「シンデレラ」でいう魔法がそろそろ溶ける時間だよと言われてる様な、それに近い感覚。

私は子供の頃から「海の音」が好きだった。小学校の授業で豆を長いざるの上に乗せて「ザザー」「ザザー」とやって遊んでいた。海の擬似体験でも、妙に心地が良かった。トイザラスで貝殻が沢山入った袋を親にねだって買ってもらった。貝を耳に当てると音が少し聞こえて、色んな貝殻から聞こえる「海」の断片を頭の中でつなぎ合わせて大きな「海」を想像した。

前にもブログで書いた様に、お腹の中の記憶にある音が「海」そのもので。

私にとって海とは、「母」の様なもの。

よく本や映画でも海は「母なる海」と言われている。だけど私にとって「海」とは恐怖そのものなのだ。私の思う母は両手で子供を抱っこして包み込むイメージで、海は私を「孤独」にする。

同じ様な周期で波が地面を削って、土を海に持ち帰る。ザパンザパンという音は、外の世界での話。私たちは大地にいるから外側から海を眺めて綺麗だと感じるのかもしれない。

耳が慣れるまで時間はかかるけど、海に潜ってみると意外と静かなのだ。

そして地上にいるよりも、手にとる様に細部まで気が付く、そんな「孤独」がそこにはある。

地上にいる私が、海に飲み込まれたのだ。海は常に「何か」を欲していて、全てを飲み込もうと企んでいる。私は闇にすごく似ていると思った。

「くいしんぼうのあおむしくん」という絵本がある。

あれは青い虫の姿をした「海」で人やもの、世界を全てを飲み込んでお腹の中に飲み込まれた世界が存在し、飲み込まれた人々が生活をする話。

もちろん「海」じゃ無いかなと私が勝手に思っているだけだけど、それに少し近い様に思う。

あおむしに飲み込まれたくない、怖いという恐怖は最初だけで時期に「そこ」を居心地がいいと思う様な気がする。

朝の海は、空と海の縁(稜線)をしっかりと太陽が照らしてくれる。

夜になると、闇が空と海の境界線をぼかしてほんの少しの揺らめきで境目が見えているけど、ほぼ同じものになって大きな存在になる。

風が吹いて、波がゴーゴーと音を立てて私を呼んでる。

潮の匂いがして、少し肌寒くなって、私にある全ての五感という五感が海でいっぱいになって。

胸がはちきれそうになったから、大きく息を吸った。

胸に手を当ててみると不思議。

波の音と私の鼓動が一緒のリズムで刻まれてる。

世界は関わり合って共存している。別々に独立してる様に見えて、実は一緒。

そして一緒に見えて、実はまったく違うもの。

涙が出て、頬を伝って私の口の中に落ちた。

しょっぱい。

fin


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