wish ではなく
『みずたまのワルツ』をBGMで流していたら、息子が言った。
「かなしくて、なみだがでちゃう」
ちょうど、哀愁漂うフレーズが流れていた。
曲中に一度だけ出てくるメロディーがある。
それが哀愁漂うものだった。
私のいちばんのお気に入りの部分で、
叶うことのない未来、こぼれ落ちてしまいそうな未来に胸を焦がす、そんな気持ちを表している。
「お母さんがね、作った曲だよ」と言うと
「そうなの?」と目を丸くしてきた。
「かわいくて、なみだがでちゃうね」と感想を伝えてくれた。
ストレートな言葉に素直にありがとうと思った。
電気を消して抱っこをした。
「おかあさんは、○○くん(自分の名前)のみかた?」
その問いに
「いつだってどこにいたって味方だよ」
いつもの返事をした。
「てき(敵)がきたら、たおしてくれる?」
その問いには
「ううん、倒さないよ。倒さなくても守るから大丈夫」
思ってもない答えだったのだろう。
よくわからないという顔をして
「なんで?」と聞いてきた。
「倒さなくても守れる方法を、お母さんはいろんな人に教えてもらったから」
今まで出逢った人たちの顔が浮かび涙が出そうになった。
「そっか」
安心したのか布団に潜る息子。
二人で寝転びながら、今日あったことを思い出し、優しいピアノの音色に包まれて思った。
「幸せだなぁ」
私の独り言に息子が声を重ねてきた。
「しあわせって、きもちいいね。」
そう、なのだ。
私が在りたいのは、心地よさの中で生きるわたし。
耳に心地良い言葉を選びたい。
自然と笑っていられる場所を
泣いてもいいと思える自分を
諦めではなく怒りを丁寧に表現できる時間を
望んでいる。
そしてあわよくば
人の目を気にせずに夢中になったことが
誰かに響いてくれたなら。
もう、叶ってる。
私は今、在りたいところにいる。
それを教えてくれるのがいつも息子。
ふとした言葉の深さに気づかされ初心に戻してくれる。
がんばってきた。
一年以上。
いや、自分との対話はもう、何年もだ。
その中で大切にしたいことに気づいた。
我儘だと言う人もいるだろう。
私はそれを受け入れる。
でも、変わらない。
私が在りたいわたし は、変わらないよ。