百箇日
昨年の師走、家族が亡くなり、今日で100日目。
祖母の弟なので血縁関係ではあるけれど
法的には少し遠い存在の人。
けれど、祖父のいない私を
祖父がわりとして育ててくれ、
結婚するまで共に暮らしていた大切な人であった。
脳性麻痺により片手足に障がいがあった。
人工透析が必要で、何度も病院に通っていたけれど、障がいがあるという認識を与えないくらい、自分で何でもやってしまう人だった。
釣りが好きで
歌が上手で
碁や将棋がとても強かった。
仕事もバリバリこなしていたことを聞いている。
そのおじが、癌で亡くなった。
入院もしていたし、
元気の無さから
こういう日がくることを
前もって受け入れていたから
悲しみで溢れる、ということはなかった。
それよりも、
実家で眠るおじの顔を何度も触って
がんばったね、なんて感覚でいた。
葬儀会館に預けられる日。
優しい温もりのある部屋で
おじの顔を照らしていたろうそくの灯。
すっと立つ炎。
たまに揺れ動くとはっとした。
私はその頃、迷いがあった。
この先どのように生きていけばいいのか
答えのない気持ち悪さをよく感じていた。
ろうそくを見ながら
おじの死と
自分の生と
いったりきたり、
何を感じていいのかわからなかった。
そんなときに、『灯火』のメロディーが
ふと生まれた。
不謹慎なのかもしれない。
人の死を前にして
曲をつくるなど。
死を目の前にして何を感じればいいのか、
そんな気持ちに被さって
人生に彷徨う。
私は、公開にしていないけれど
『灯火』の副題として「まいご」と名付けた。
お彼岸。
墓石の前で手を合わせる。
あのときの彷徨いは、今は違った形の彷徨いに変わった。
人生に迷う、ことは無くなった。
扉を開けたから。
もちろん、行く先々、何が起こるかわからない不安はある。怖さも隣合わせ。
ただ、まいご、ではないなと感じている。
それを今日、報告してきた。
これからも見守っていてね。