幸運がほしいわけじゃなく
誰しもが(といったら言い過ぎやもしれないけど)やったことがあるだろう四つ葉のクローバー探し。
必死に探すことはなくても、ふと目を落としたときにクローバーに出会って
無いかな?なんて目を少し泳がしてみる、みたいなことないかな。
昔はよくクローバーのようなものに出会うと
視線を行ったり来たりさせたもの。
でも学生の頃だったかな、三つ葉に思いを込めるようになった。
当時、詩を書くのが好きで
全然人前に出せるものではないけれど
言葉を記していたことがあった。
恋をしていたときだったと思う。
その中に「クローバー」というものがあった。
手記帳はもう何処かに行ってしまったから
断片的にしか思い出せないんだけど
三つ葉のクローバーのことを書き連ねていた。
当時、私は自分を凡人だと思っていて(もちろん今も取り柄とかわからない)
周りの人たちが輝かしく見えていた。
それを打破したいとも思っていたけれど
面白くもないし目立つこともない私は自信が本当に無かった。
そんな自分とクローバーを重ねたんだと思う。
四つ葉のクローバーを探すときに
いつも三つ葉のクローバーはこう言われる。
「ちがったー」「これじゃなかったー」
残念がられる。
みんな同じ形の三つ葉。
どこにでもあって気にも留められない。
たくさんあるから有り難みもなく
スルーされる。
目立たない私みたいって。
目立ちたいわけじゃなかったし
大勢と戯れることも好きじゃなかったから
どうでもいいとも思ってた節もあるけれど
やっぱり何か価値を見出したかったんだと思う。
四つ葉のクローバーは幸運を運んでくるもの。
じゃ三つ葉は?
どこにでもある三つ葉は?
思った。
“希望”だって。
四つ葉のクローバーを探すとき
三つ葉のクローバーの中を探し回る。
「あるかな、ないかな?あったらいいな。」
三つ葉のクローバーの中にあるかもしれない、という期待を込めて探してる。
言うなれば
三つ葉のクローバーが”幸運”を隠してる状態。
大切なものをこっそりと包み込んでいる感じ。
そんな願い、”希望”を秘めている、
どこかに光がありそうな…それが三つ葉。
三つ葉☘の絵文字を使うのも、
幸運が舞い込んできますように
というよりも
すぐそばにあるものを
見落とさず気づけますように
そんな願いを込めたもの。
希望を含んだもの。
ただの拘りだけどね。
今の私もそう。
つい、幸運が降ってこないかと神頼みになりそうなんだけど
幸せは自分で掴むから。気づくから。
運任せにしたくない。
毎日のなんでもないものに
探し物はあるはずだから
自分を律して整えておきたい。
今の私にはそんな三つ葉が丁度いい。
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