“狭間”にいる人の痛み
具体的には書かないけれども
世の中の制度は公平であるように見えて「穴」がある。
それはわかっていたつもりだったけれども、
その「穴」から取りこぼされた人たちというのは本来その制度で救わなければならないはずの人たちだということを痛感した出来事があった。
制度の対象には確実に当てはまるのに
恩恵を得ることができない、または恩恵を得るまでにひと苦労しなければならない人。
現状を変えたくて、生きることを選択し、歩んだ道の先でなんと壁の多いことか。
生きたいと思っても
制度が生きづらくしていることも確かで。
同じような境遇のいる人と比べれば(比べるのは大変失礼なことともわかっているけれどあえて比べれば)、
私は大したことのないレベルなのだけれど
電話口で「窓口での手続きになります」と聞いたときは
さすがにがっくりしたものだった。
何故?
書類の確認と面談が必要なのはわかった。
けれども何故対面でなければならないのか。
時間はかかるかもしれないけれど郵送と電話面談でも良くないか、と。
何回か郵送でお願いしたいと言ったものの、基本的には窓口なので…と。
疑問を抱えたまま電話を切り上げ
その制度の対象ではあるのに使えない事実をまぁまぁ突きつけられて、諦めた。
その場に行くまで何かあったら。
その場で接触してしまったら。
もしも私が保菌者だったら。
その後を考えるとぞっとする。
最後の、私が保菌者だとして、対面で面談をした人にうつしてしまったらどうなるだろう。
その担当者を介して私と同じような境遇にいる人たちに感染させてしまったら?
今でさえ、生活に苦しむ方もいるだろう。
幼子を抱えている人だっているかもしれない。その制度を今にも必要としていてリスクを負ったとしても恩恵を受けたいとする人だっているはず。
そんな人たちに命の危機を渡したくなかった。
だから私は恩恵を受け取るのは諦めた。
きっといかようにもなるはずだからと。
カタチを変えれば
私の望みはきっと叶えられるから。
ただ、なんとなくむずむずする。
何故、生きようとしているのにいらぬリスクを背負ってまでしがみつかなければならないのだろう。
出かけていくことができない人もきっといるはずなのだ。
なので時間を置いて、
ダメ元でもう一度、郵送手続きに切り替えてもらえないか頼み込んだ。
幼子抱えて出歩くリスク。
風邪気味の人が面談を受けるリスク…
こんなことしちゃいけないのかもしれない。
ただ、こんなふうに行けない人もいるよって
伝えたかった。
そうして郵送をOKしてもらえた。
面倒な住民と思われたことだろう。
ただね、声を上げることもできなくて
泣き寝入りする人だってきっといる。
私だって諦めかけたんだもの。
私には郵送をOKしてくれたという事実。
公平性を保つのであれば
郵送の申し出を断る理由も無くなるだろう。
たぶんだけど。空想の話だ。
担当の方には申し訳なかった。
事務手続きもややこしくさせてしまったかもしれない。
本当にごめんなさい。
何が正解かなんてわからない。
ただね、命より大事なものってあるのかな。
大切な人を守りたいって思っちゃいけないのかな。
今回のことはきちんと覚えておきたいと思った。