雑葉
そういえば書きたいことないな、このままでは駄目かもな、と思ったので記事を書くことにした。
ここで語りたいということは要するに、身体の中の毒を吐き出すとか、自分を文章に起こして整理するとか、あるいはただ単に話を聞いてもらいたいということである。TwitterもといXには日記感覚で思い付きを置いているが、そこで吐き出すともうそれで終わりというものが多い。
やっぱり、人間はいつでも何か書けるくらいの熱を持っていた方がいいと思っている。それが憎悪や侮蔑であるのはいただけないけど、変な言い方をすれば病原菌が感染力を失えばそのまま消えてしまうように、私たちは何も語らなければそのまま消えてしまう存在だろうから。
なんとなくで生きてきたので、私は最近だいぶ周りから遅れているのだなと実感している。それは細かな所作にも現れている(髭のそり残しとか)。おい、いつからお前たちは毎日髭をそるようになったんだい。嫌味な言い方にはなるけれど、わりかし苦労なく今までやってこれてしまった。大学の授業とかも出席して「ふーん」と聞いているだけで単位は貰えた。それが痛い損失だったんだな、と気づくのはいつも事後。今はもっと目を据えて見ようとしている。未来を変えたいね。
インターネットの使い方下手だなぁ、と自分に対して思っている。寄りかかってぺろぺろ舐めてるみたいに使ってる。宝の持ち腐れである。脳みそのせいにはできないね。このスマホとかいうでかい長方形型の箱は極上の飴玉です。それは書籍にも楽器にも銃にだってなれるのに、娯楽ばかり。
二十歳を超えてしまった、という重み。これはこれからどんどん重さを増していくのだろう。
恋と性欲の違いが、まだ自分の中で上手いこと区分けされていない。きっとこれからもそうなのだろう。極端な話、この人の隣で死にたいだとか、この人を見送りたいとか思えれば、それはもう恋だろう。プラトニックたれ、ということではなくて、恋というものは所詮埋め合わせに過ぎないのかもしれない。性欲もまた一つの面ではそうであるように。
自分はものの評価をするとき、周囲の意見に引っ張られがちである。
ようやく、最善を探すのではなく今手に付けられる次善手、次々善手にさっさと着手しておくということを意識できるようになってきた。これまでは悩むばかりであったが、行動してみなければわからないこともあろう。
VRChatはそれ自体が弱弱しいような気がする。益荒男ではない。匿名性や身体を偽るアバターというものがそうさせるのだろう。大雑把な言い方をすれば、今はまだ陰キャ的なコンテンツなイメージがある。でも、もし全ての家でフルトラを実装出来たら、遠隔ブートキャンプとかできそう。
私たちはねぇ、有機体に宿った病原菌なんだよ! 熱が下がったら、それは死ぬときなんだよ!
小説を書きたい。書きたいなあ。『小説』と言えるものを書きたい。