セクシーパンツを履いて、私は自分に眠る力に気がついた

2021年が終わるまで、あと2週間ですね。
まだ2週間あると思うか、もう2週間しかないと思うかで、今日1日をどのように過ごすかが大きく変わる気がします。

ただ、まだ2週間と思ってしまう私は、大掃除も、年末年始を迎える準備も、全然できていませんが、とりあえずうみメモを書くことにいたします。

前回は「こころのパンツ」のお話をお届けいたしました。
書きながら思いだしたのですが、私には「パンツ」で思い出す出来事があります。

それは、私が大学院で研究をしていた頃の話です。当時、朝から晩まで研究をしては、その成果を国内外の学会で発表していました。

その年、教授から勧められてヨーロッパの国際学会に演題を出しました。無事、演題が採択されまして。
同じく演題が採択された同僚と2人、発表をしに行くことにになりました。

その学会の開催地は、オーストリアのとある地方都市でした。せっかく長い時間をかけてヨーロッパに行きますので、数日でもいいからどこか観光をしたり、見聞を広げたりしたいと思いました。

ふたりで話し合った結果、「スイス」を訪れることにしました。

スイスの滞在期間はせいぜい2日半。「地球の歩き方」をはじめとするガイド本を参考にして、プランを組みました。

国際機関が多くある街ジュネーブに午後到着。翌日は1日街をゆっくりと巡り、翌日はスイスが誇る観光列車「ゴールデンパスライン」に乗って、チューリッヒへ。そしてチューリッヒ空港からオーストリアへ。

詰め込みすぎず、かといって物足りないことのない、完璧なプランができあがりました。

インターネットでホテルも観光列車のチケットも取って。
学会用の発表も繰り返し準備して。
準備は万端でした。

そして、6月。私たちは日本を離れました。

十数時間の長旅を経て、ジュネーブ空港に着いた時、私たちはだいぶ疲れていました。その私たちをさらに疲れさせたことがあります。

私たちふたりのトランクが届かなかったのです。
初めてのロストバゲージ体験。

いやー、初めての土地でのアクシデントって堪えますね。

しかも、空港の係員から「荷物がどこにあるかわからない」「無くなっているかもしれない」とも言われました。
私、すっかり打ちのめされました。

その後、翌々日の午後には、パリ=シャルル・ド・ゴール空港に残っているのがわかって。さらにその翌日には、学会会場近くの宿泊予定のホテルに届けられたんですけれど。

トランクが届くまでの間は、やっぱり不安がありました。
「あるはずのものがない」ことによる不便もありました。

なんとか無い中での工夫を試みたんですが、どうにも難しかったものがありました。
剃刀、Tシャツ、パンツ、靴下です。

ちなみに、同僚は下着の替えをひと揃い手荷物に用意していて、何か新しく購入することもなく、トランクが届くまでの数日をのんびりと過ごしていました。
(女子という生き物が全てそうなのかは知りませんが、すごいなと思いました)

そんなわけで、ジュネーブに着いて私たちがまずしたことは、私の足りないもの探しでした。

二度と来ないかもしれないスイス・ジュネーブの時間。同僚をそんなもののために使わせるのはと思ったのですが、彼女はひとりで観光するのもと言って、つきあってくれました。いいヤツだなと思いました。

このうち、剃刀はすぐに手に入りました。欲しいものよりもかなり薄手ではありましたが、Tシャツも靴下もそれぞれ手に入りました。

しかし、パンツだけが。パンツだけがなかなか見つかりませんでした。

道行く人に尋ね、お店の方に尋ねて。1軒、2軒、3軒と回ったんですが、どこにも売っていませんでした。

「もう諦めたら? 私、日本に帰っても、あなたがヨーロッパでノーパンで過ごしたこと、内緒にしてあげるからさー。あははは」

同僚からの言葉に感謝と苛立ちを感じました。こんなことを大声で言う人間はなかなか信じられないとも思いました。

「ごめん。もう一軒だけ」

もうお昼が近くなっていました。ランチは俺がおごるからとお願いしつつ、もう一軒だけ回らせてもらうことにしました。

今度こそという気持ちで、お店に入りました。
そこは、日本でいうドラッグストアのようなお店でした。
雑貨以外に、様々な衛生用品も売っていました。

ここならひょっとすると……

探していると、男性ものの肌着(上)を見かけました。靴下も見つかりました。
この流れ。次にパンツが見つかる流れだなと思いました。

当時、私はトランクス派でした。
できればトランクスが良かったですが、もうブリーフでもなんでもいいと思いました。とにかく履ければなんでもいいと思いました。

そして、ついに見つけました。

ただ、ようやく見つけたパンツは、いずれも私が知っているものとはちょっと違っていました。生地が極端に薄く……向こう側が透けていたり、生地にたくさんの穴が空いていて……いわゆる網状だったり。大事な部分がどうにも隠れないような形状だったり、布というか、紐だったり。

いつの間にかアダルトコーナーにでも来てしまったのかと思いました。勇気を持って、店員さんに聞きましたが、お店にはここしか下着コーナーはないと言われました。

決断の時でした。

皆さんなら、どうしますか?

少し悩んだ結果、「履かない以外の選択肢を増やす」ため、購入しました。

スケスケだけれども、通常のパンツ程度の面積の生地を有するボクサーパンツを1枚。
お尻部分が網状の生地でできた、セックスアピールの強いブリーフを1枚。

吹き出しそうなのを堪えて、顔を赤くしている同僚が目に入りましたが、無視して会計を済ませました。

その後、荷物が届くまでの数日、これらセクシーパンツとの共同生活をいたしました。

「今日はどんなパンツ履いているの?」
そんなすけべおやじみたいな質問をされたら、縁を切ろうと思っていたのですが、そこはわきまえていたようです。

その質問をしないだけの常識を同僚が持っていたことに、本当に感謝しました。

しかし、トランクとの再会した夜。
夕食の時に、ついに彼女は訊いてきました。

「ねぇねぇ、あのパンツ。どうやったん?」

もうそろそろいいかなと思ったのか。
好奇心が自制心をうわ回ったのか。
夕食に赤ワインを飲みすぎたのか。
頼んだウインナー・シュニッツェルが、広がったパンツに似ていたためか。

理由は分かりませんが、彼女は私にセクシーパンツの体験談を聞かせろと迫ってきました。

断ってもまた訊かれそうだったので、答えました。

スケスケのパンツは、見た目通り薄手の生地であったこと。その分、少し頼りなく感じたこと。でも、生地がツルツルとしていて、これはこれで悪くない肌触りであったこと。
締め付けも強くなく、いつもより下半身から腰にかけて、フリー感が得られたこと。少し自由を手に入れられる気持ちになれる可能性についても論じました。

アミアミのブリーフは、少し伸縮性がある弾力性のある素材で作られていたこと。全体的に締め付け感があったおかげで、なんとなく緊張感を持って過ごしたことを伝えました。
アミアミの部分があるだけ、お尻についての緊張はその分弱く、他の部分より少しやさしく感じられたことを伝えました。

「すごいね。パンツのソムリエになれるかもね」
同僚は笑いながら、そう言いました。

確かに、と私も思いました。

……いえ、パンツソムリエという新しい職業に対して、私に適性がある可能性があることについて同意したのではありません。

その数日間、セクシーパンツとそれを履いている自分をなるべく見ないようにしつつも、パンツの違和感が気になっていた私。
いつの間にか普段以上に感覚を研ぎ澄ましていたようです。

同僚に訊かれてみて初めて、こんなにも自分がセクシーパンツの履き心地・肌触りを把握していたことに気がつきました。

また、こんなにも多くの感覚や感性を、普段使わずに過ごしていただろうことにも気がつきました。

そうです。
あんまり大きな声では言いにくいのですが、私はセクシーパンツを履いたおかげで、その体験について訊かれたおかげで、自分の中にある眠っている能力に気がついたのです。

振り返ってみますと、この気づき以降、洋服や靴について、見た目より着心地や履き心地を優先して選ぶようになりました。
また、視覚以外の感覚を頼ることも増えていったように思います。

思春期以降、私は人からどう思われるか、どう見られるかを気にしていたと思います。

しかし、いつしか自分の内面や感じ方を確認することが増えていきました。本来の自分が持っていた内向性を取り戻し、自分らしさや自分の感性を大切にするようになっていきました。
そのきっかけは……この体験での気づきだったように思います。

ちょっと大げさな表現をすれば、あのセクシーパンツたちは、私が私らしく生きていくきっかけを与えてくれたんだと思います。今の私があるのは、あのパンツ体験のおかげだったとも言えるのかもしれません。

今日のうみメモはここまでです。

なお、この記事を書くにあたり、スイスの下着事情について調べてみました。
スイスには、ヅィメリやハンロなどの、アンダーウェアメーカーとして100年を超える老舗ブランドもあるようですし、みんながあのようなセクシー下着を身につけているわけではないようでした。
時計や精密機器だけでなく、パンツも高品質なものがあるようですね。勉強になりました。

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