ご挨拶 〜パズルの1ピースとして〜
こんにちは。はじめまして。「うみ」です。
初めてなので、自己紹介します。40代、3児の父です。
そして……うっかり屋です。幼い頃から、忘れ物や落とし物が多かったです。
自分で言うのもなんですが、私、各種パラメーターのバランスが悪いです。最近、異世界転生ものが流行りですが、ステータスウインドウが可視化されるのは、今後も物語の中だけにしておいていただきたいものです。
幼い頃から、この自分という個性的な道具の扱いには悩んできました。ただ、人生も40年を超えたあたりから、徐々に自分使いにも慣れてきたように思います。
若い頃、私は、全てにおいて優秀な人間になりたいと思っていた時期があります。全てにおいて秀でたい、認められたいと思っていたんですね。ジグソーパズルのピースで言うなれば、「全て凸のピース」になりたかったんです。
でも、やがてわかってまいりました。私には得意なこと、人を手助けできることがあることがわかりました。幸いなことでした。ただ、一方で、どうにも苦手なこと、助けてもらうことが多いところがあることもわかりました。
人に助けてもらうって、ありがたいことです。でも、自分が弱いように感じられたり、だめな人間のような気がしたりして。助けてもらうたびに、ちょっと胸のあたりが少し苦しく感じていた時期もありました。
でも、今は苦しく感じることは少なくなりました。人間って、凹凸があるものだということに気がついたからです。
例えて言えば、私たちはジグソーパズルのピースです。自分の凸の部分は、誰かの凹にはまります。そう。自分の長所は誰かを助けることができます。
一方、自分の凹の部分は、誰かの凸の部分がはまります。そう、自分の足りないところ・弱いところは、誰かの長所を引き出すところになるんです。
若い頃、私は全てにおいて秀でている人を目指していました。しかし、それは全てが凸のピースになるということ。自分の周りの人に凹を押し付けるということにもほかなりません。
皆さん、自分が助けられっぱなしの方と一緒だとどう感じますか?
なんか気後れを感じませんか?
私は一緒にいてしんどい人ではなく、安らげる人になりたかったことに気がつきました。これに気がついてからは、自分自身に、凸だけでなく、凹があることもよかったと感じられるようになってきました。
全てにおいて優秀な人になろうとすることはやめました。その代わりに、私は自分の良さを愛しつつ、人から差し伸べられた手に感謝できる人間として生きていこうと思っています。
この「うみメモ」では、そんな私「うみ」が気づいたこと・感じたことをメモっていきたいと思います。
よろしければ、おつきあいくださいませ。