箱根駅伝で思い出す声援の意味
1月2日、3日の箱根駅伝が好きだ。
567で声が出せなかった昨年は箱根湯本駅前から選手たちに大きな拍手を送った。そして今年はテレビでの観戦。
今年も沢山のドラマがあった。
その箱根を走る誰もがスポーツエリート。「声援が力になりました」という選手は多い。いやほとんどの選手がそれを口にするだろう。
この言葉、決して嘘じゃないと思う。いやそれこそが真実だとも思う。
声援は力になることをわたしは高校の時に知った。
高2までは部活一色の日々だった。毎夏の合宿では倒れる寸前まで走り込みをした。箱根駅伝の学生の練習風景がテレビに映し出される度、学生時代のあの暑い日々を思いだす。
平日はまだよかった。
土日は他の部との関係で数時間コートが使えずトレーニング中心。校舎の廊下で腹筋背筋の後、繰り返し最上階まで階段を駆け上がる。その後、ただただ声をあげながら軍隊のように走らされた。
あまりに苦しすぎて、土曜のお弁当の途中、誰かがエスケープしようなんて言い出すと一気に話がまとまった。部活時間がやたらと長い土曜。誰もが土日の部活が嫌だった。だから先輩に見つからないよう忍足で校舎内を中腰のまま仲間と駆け抜けた。
無事校門を出られると笑いが止まらなかった。皆で転がるように笑い続けて帰路に着いた。けれど翌日は誰もが神妙な顔をして学校へ向かった。さらに大変な1日が待っていることを皆十分すぎるほど知っていたから。
その高校時代、大きな大会に出場することができた。敵は強豪校。こちらはかつての強豪校。それでもどんな対戦でもそこそこいける自信があったし期待もしてもらっていた。
ところが試合がはじまるとペースが崩れた。
対戦校の仲間がコートの周りに増えつづける。公式の場だというのにあっという間にその場がアウェイになった。周りは対戦校で埋め尽くされた。
まもなく彼らが声援を送りはじめた。
最初リードしていたのはわたし。
けれど、そこから聞こえはじめたコールにのみ込まれはじめた。「つ・ぶ・せ!つ・ぶ・せ!」と声の圧が飛んできた。
初めてのことだった。
完全に調子が狂った。
仲間だって視界に入ってはいたけれど、彼らの声は敵校の潰せコールにかき消された。
やる気が失せた。わたしの勝利を誰も望んでいないそんな気分になっていった。
そして試合があっけなく終わった。
あれほど毎日練習したというのに、彼らが望んだようにわたしはまんまと潰された。
ところがこれが後々大きな学びになった。
今ではスポーツには応援のルールがある。そんな声援を耳にすることはなくなった。
けれど人生では時にそんなことが起こる。人の喜びを喜ばない人と運悪く遭遇することがある。人生に公式のルールなんてない。誰もがその人のルールで生きている。
そんな時思えるのだ。
それはその人が望むこと。それは自分とは関係のないその人の望み。
そのことが今では区別できる。
その人と自分の望みを混同しなくてもいい。
スポーツで学んだことは多い。
潰せコールの後味を彼らはどんなふうに受け取ったのだろう。迷わずそれを口にした彼らはもう忘れてしまっただろうか。けれどたとえその時には感じていなくても、自分のやったことは巡り巡って自分へと返ってくるもの。彼らだってどこかでそんなことを学ぶ日がきたかもしれない。
なぜってあの日わたしは人を失望させることがどれほどたやすいことなのかを学んだのだから。
あれは大きな学びだったと今も思っている。
だからこそ声援がどれほど人を励ます力を持つのかを知ることができたと思っている。
長い人生に短期間に答えをくれるスポーツは実に沢山の学びをくれる。
そして何より実感していることは声援を送ると自分も幸せになれる!ということ。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。