
やっぱり量は力だと思う
ありがたいことに、わたしは講演会で緊張しない。実は大学でも大学院でも学会での発表でも緊張したことがない。
と言っても、そんな自慢がしたいわけではない。
緊張しないのには、やはり理由があると思っている。それは、人よりも少しだけ多く練習すること。
勿論、発表のための練習ではない。普通の人より少しだけ多く書き話す、その量が自分を支えてくれていると思っている。
49歳で大学に入る前、すでに10年程生徒に向かって授業をしていた。その頃、不器用だと笑われるほど、わたしは一コマの授業に相当の準備をするタイプだった。とにかくコスパが悪い。分からないものは持ち帰り、次回お会いする時にお伝えすることを心がけた。主婦のパートのような薄給にもかかわらず、手にした賃金の半分以上が自分の学びに消えた。まあ、無駄に真面目なのだ。こればかりは、どうしようもない。
ただその繰り返しが重なると、これでいいんだという安心感が育ち始める。
この時の経験は、貴重だったと今も思っている。
今はこうして毎日noteを書き音声配信をしている。どちらも500日が過ぎた。少なく見積もっても50万字は書いている笑。中身はともかく、数字に置き換えるとちょっと凄い。
ごくごく普通のことを繰り返すと、いったいどんないいことがあるのだろうと思って始めた2つのことだった。
変化が見えてきたのは、デイリーワークに組み込められた頃からだったろうか。歯を磨くように音声配信をして、夕食後noteを書く。朝夜、必ず2つを組み込むと、徐々にスピードが増した。
繰り返すことで、リズムが生まれ速くなる。
ここまでくると、それまで見えていなかったものが見えてくる。繋がり始めるとでもいえばいいのだろうか。観た映画や、読んだ本や、話した人の言葉などが肥しとなり、あらゆる経験が自分の中で消化されていく。
書くことも話すことも、短くなり、そして速くなる。
質が上がるのはきっとそこからなのだと思う。
たとえコスパが悪くても、量を重ねることは意味がある。
AIもひたすら人がインプットしたものを組み合わせて賢くなっていく。加えて人間は経験をすることが出来る。学びに経験を加えて書いて話すを繰り返すと、AIには無い自分なりのデータベースができる。そこから必要な情報を探し出す回路はAIにも劣らない。なにしろ、一度書いて話したものだ。自分の中で一旦加工され脳に収まっている。
だからわたしは書き続けたい。
量は強い。
量は自分を支えてくれる。
自分を変えるのは質ではなく、量で培ったベースなのだろうと今は思っている。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。