失ってわかった自分と為替とのキョリ。
ついに1ドル150円!
朝食中、深刻そうなアナウンサーの声が流れてきた。どの局でも今朝は同じテーマが語られていたのだろう。
でもいったい何が大変なの?
為替ってガラス越しに外を眺めるよう。外は雨でもわたしは濡れない。そんな感じ。
ただわたしは人生で2回、為替の雨に打たれたことがある。
初めて触れた為替
わたしがお金の価値に差があるということにはじめて触れたのは高校3年の時。卒業目前、わたしは10日間アメリカへ行った。
何年もお年玉を貯めて親を説得したのだ。アメリカに行きたいと。今から思うと、わたしの貯めたお小遣いは、恐らく東京往復の電車賃にも満たなかったはず。
それでも父は、まだ知り合いが誰も海外に行かない時代にパスポートを取りに奔走してくれた。あれ1970年代後半のこと。
記憶に残るのは、「ここでもなかった…」といいながら庁舎から出てくる父の姿。そしてその父を車の助手席で待っていた自分の両足。
情報がほとんどなかった。庁舎も点在していた。そんな中、父はパスポート申請に走り回ってくれた。
その時1ドルは凡そ220円。
実に平和な時代だった。
わたしが参加したのはパッケージツアー。田舎の女子高生が珍しかったのだろう。東京のお兄さんやお姉さまがかわいがってくれた。
帰国の飛行機で英字新聞を山ほど買い求めていたお兄さんがいた。まだ英字新聞が日本で売られていなかったのだろうか。そんなこともなかったはず…とは思うのだけど…。
大切なお金が激減
それから20代後半になったわたしは、もう一度アメリカにお世話になることにした。ちょうどOLの留学ブーム。
「そんな年で海外留学だなんて…」と心配と悲しみに沈んだ顔をした両親に申し訳なくて、この時はさすがに自分でお金を貯めた。4年程かかった。
わたしが選んだのはアメリカの東海岸。ニューイングランド地方といわれるちょっと北の寒い地域。冬は雪になるけれど美しい場所で、なにより学費が安かった。
手続きは自分で進めた。そうしたら380万円以上の残高証明が必要ということがわかった。
すると株に詳しい人が株購入を勧めてくれた。そこでわたしは大切な留学資金の一部で株を購入した。といっても日本の株ではなくアメリカの株。
面白いほど株価が上がった。わたしはワクワクと喜んでいたけれど、株を手放すとその大切な留学資金の一部は半分ほどに目減りした。
愚かだった。外貨だてだ。為替問題がからむことを考えていなかった。
この時、円は1ドル190円~120円代へ。
円高のはじまりだった。
ただ留学は無しにした。
留学直前わたしは夫と出会い、そして結婚した。
またもやお金が目減り
その結婚の翌年、夫が香港駐在を命じられ、わたしも帯同した。
その香港で、わたしは英語も分からないままCNNを流し聞きしていた。そこでたびたび目にしたのが日本車に飛び乗り大きな木のハンマーで車を叩き壊す若者の映像。
日本の貿易黒字に対する抗議の映像だった。
日本円は150円~80円代まで駆け上っていた。
そしてわたしたちは…。
帰国が決まると貯蓄が半分ほどに目減りした。
1990年代前半、香港ドルは米ドルとのベック制で固定相場。
どんどん高くなる円は内側にいればホクホク状態。ただ外にいる人が帰国を考えると逆の現象が起こる。
為替と輸出
日本の円が変動相場制になったのは1970年代前半。
それから数年後、高校生のわたしがアメリカ行った時の円は1ドル220円前後。
ならば今の1ドル150円はたいしたことはないように思える。もっと円安になったっていいじゃないかと。
だけれど、そんなことはない。
1ドル220円時代は平和だった。けれど、あの時と今では日本の形が違う。
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わたしはかつて勤めていたメーカーで半導体の輸出を担当していた。日本に大きな工場が幾つもあってオランダやアメリカに製品を輸出していた。
それは日本の円がどんどん強くなっていた1980年代のこと。
そして、わたしが香港で暮らした1990年代も日本円が強く貿易黒字時代だった。
あの頃、マンハッタンのビルや絵画などを日本人がバンバン買って、アメリカ人の誇りを傷つけていた。
けれど、今は大きな工場は海外に出てしまっている。
皮肉なもので強すぎる円が日本の工場を外に追いやった。日本で作っても円が強すぎてモノが高くなり過ぎたのだ。
為替と国力
だから今、日本には物を作る工場がすっかり少なくなってしまった。
そう、日本は輸入中心の国へと変化した。
かつては、円安になると景気が良くなり株が上がるなんていわれていたけれど、それは輸出の国だったから。
今ではどうしても外から買い続けなきゃならないものが多い。石油や資源。なのに円は安くなる一方。
日本がモノを買うたびに日本のお財布からどんどんドルがなくなっていく。
円とドルのバランスが悪すぎる。だからドルの入りより出が多くなる。
すると日本のお財布に外貨がなくなる。
これが貿易赤字。
つまり国力が弱くなったというのがこの赤。
おわりに
為替の乱高下は室内から窓越しに嵐を見るような気分。けれど、それを一度体感すると為替の変動に自分がまきこまれているのがよく分かる。
結局、わたしは留学直前、夫と出会い結婚を選んだ。が、留学断念の理由は為替じゃない笑。
けれど、いろいろと動いてみてわかったこともある。為替は世界の通知表のようなもの。国の今の力が数字で出る。
今朝はイギリスの首相辞任のニュースも飛び込んできた。わずか1カ月余りでの辞任。すべての国情がからむのも為替。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。よかったらお聴きくださいね✨