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思考の向きが変わる時。


何かに行き詰って進めなくなった時、ふいに扉が開くことがある。

それが昨日起こった。

☆  ☆  ☆


一月ほど前からわたしはまあまあの大きさの案件を抱えていた。もちろん何とかなると思っていた。一月もあるのだから。

ところがそれは手つかずのまま一ミリも進めなかった。

嫌な気分ばかりが続いた。どうにかなるだろうと思ってはみてもだめなのだ。

そこをむりやり着手したのがほんの一週間ほど前。これほど大変なことになるなんて思ってもみなかった。


ところが、その案件を今日手放せた。締め切りに間に合ったのだ。

考えれば考えるほど沼る思考に、これほど手こずったことはない。

それが不意に抜け出せた。

それはきっと一本の映画のお陰だった。それは、わたしの抱える案件とは何のかかわりもないボクサーの映画。

それを観たのは土曜日。

高田馬場のミニシアター、早稲田松竹に初めて足を踏み入れると、雰囲気がよすぎて帰りたくなかった。

とはいえ案件の締め切りは月曜。「いいの?そんなことしてて!」と内なる声が煩いけれど、迷った挙句、その映画を観た。

それがこちら。


家に帰りついたのは夜の8時過ぎ。

まだ早い時間だというのに、眠くてたまらない。

noteだけはと思うのだけれどすぐに寝落ちする。

フラフラだった。

それでもnoteはフラフラのまま根性で書いた笑。


そして、気になる案件には触ることさえできず、そのままベッドへ。

眠すぎた。

ただただ眠りたかった。横になりたかった。

すると朝、自分の思考に変化があった。そうだ、そんな方法があるじゃないと思えた。

とはいえ、その映画と案件とは共通点などない。それなのに案件への取り組みの方向が変えられた。

しかもそれまで少しも進まなかったというのに、猛スピードで動き出した。

そして今日、その案件が完成した。

☆  ☆  ☆


その間、幾度も頭をよぎったのがその映画だった。

会話が少なく、場面が急に変わり、説明らしき絵も文字も言葉もない。しかも実話だ。

生身のボクサーのどうしようもない人間臭さ。そして舞台のように場面が変わる。そこで見えてきたのがリアルな人。

そしてわたしは映画のあと寝落ちした。フラフラだった。

けれどあのフラフラには意味があったのだ。わたしの脳が、あの行間を全力で埋めようとしていたのだ。そうとしか思えない。

朝起きると映画の行間に解説がついている。おまけに、思考まで変わっていた。

抽象的な話で申し訳ないけれど、それは、頑なに何かを拒む人が、ふと気を許すそれと似ていた。

なんだ、いい人だったんじゃないとこちらが気づくように、わたしも、なんだ、この考えでいいんじゃないと思えた。

今後、難題を前にした時、わたしは行間だらけの映画を観るだろう。

脳がフル回転するほどの何かに向き合うと、凝り固まっていた自分の思考が緩む。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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