庭にブルーベリーを。
緑はほしい。けれど大木に育つものはもうやめておきたい。
たどり着いたのがブルーベリー。
鉢植えで
昨日、ブルベリーの苗木を2鉢買った。
ブルベリーに品種があるとは知らなかった。買ったのはラビットアイという品種。どうやら実が兎の目のようなピンク色から色づいていくらしい。だからラビットアイ。奇麗な名前だ。
母に頼まれて別な品種も求めた。近くに植えると実の付きがいいという。だから2鉢。
夕方、沢山の食料品と共に、2本の苗をぶら下げて帰った。もちろん、母は喜んだ。
そうしたら今度はピートモスを買ってきてという。
どんなフルーツだろうと思ったら、なんのことはない酸性の土だという。これまた美しい名前ではないか。
庭の木
20年以上暮らしていた家には沙羅の木を植えていた。陽当たりが良かったからかオリーブの木の幹もかなり太くなっていた。
けれど、この家にはもう大きな木は植えない。なにしろ手入れが大変だ。80歳を超えるまで田舎で暮らした母にはピントこないと思うが、剪定した枝や葉はゴミで出す。それが都会の日常だ。
敷地から少しでも枝が伸びると神経質なご近所さんの機嫌が悪かったっけ。だからお手入れはせっせとまめにしていた。
とはいえ沙羅の木は雑木林に生息する木。
そんなことも知らずに買ったわたしのことなどお構いなく沙羅はのびのびと育った。
春には枝が四方にぐるりと手を伸ばし、季語は夏だと聞くけれど、わたしは毎春、目に青葉と沙羅の木を眺めた。
秋には色づいた葉が重なるように落ち続けた。
それでも春の入学式の頃には、透きとおるような白いつばきのような花をひっそりと咲かせた。ヒラリと散らずボトリと地に落ちる花だった。
手放した家の持ち主から思い出の木でしょうか?との問い合わせが不動産屋経由であった。あの木々は邪魔だったのだろうか。
母の庭
生まれてから80代になるまで暮らしていた故郷を後にして東京の我が家に移り住んだ母は、それでもいつの間にやら静かに自分のポジションを獲得している。
母はおしゃべりではないけれど、おおよそご機嫌だ。
特に植物との相性は抜群だ。
季節ごとに故郷を懐かしむ母。
その母の口から出てくるほとんどが植物の話しなのだから笑っちゃう。
なんども聞かされるのが皇帝ひまわり。こちらはご近所ではちょっとした愉しみになっていたらしい。毎年沢山の人がわざわざ見に来ていたという。その花が咲くのは今頃だという。
そんな〜〜!ひまわりなら夏に決まってるでしょ、とググってみると、なるほど11月の頃の花ではないか。これまた知らなかった。
種がこぼれて、どんどん皇帝ひまわり園が広がったのだろう。そして人が集まりおしゃべりをした。それが母の一番の喜びだったのかもしれない。
イングリッシュガーデン
そういえばイチジクの大きな大きな木があって、よく縁側で甘くてちょっとトゲトゲしたイチジクを皮ごと頬張った。
マスカットのツルも伸びていて、これまた見事にぶら下がる葡萄をよくもいで食べていた。
他にも食べられる木の実が何本も植わっていた。わたしはそんな田舎で育った。
森のようだった。
なんのことはない。母は気ままなのだ。
日本庭園のようなきっちりした性格ではない。
いつかイギリスの家にホームステイした時、中庭を見せてもらった。ママがとても誇らしげにわざわざ連れて行ってくれた。
で、わたしの当時の心の中は、家の庭みたい、だった。口にはしなかったけれど。実に雑然と気ままに草っぽい植物が風に揺られていた。
あれがイングリッシュガーデンとは当時知らなかった。もっと褒めればよかったと何年も経ってから思ったことがあった。
仕事があるのは良い。これから母はまた土いじりができる。
おわりに
人は土を触ると元気になると聞く。それは安心するからなのだろうか。
娘が幼い頃、幼稚園で毎日土のお団子をこねていた。ピカピカのお団子たち。無心に小さな両手をクルクル回す娘の右横に同じ大きさの光る球状の泥団子がいくつも並んでいた。
土は幼き人を育て、年老いた人を慰めるのだろうか。
きっと母がわたしたちにいつか見事なブルーベリーをふるまってくれることだろう。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。良かったらお聞きくださいね✨