高速船 「シーホーク」
1962年 大阪は佐野安船渠にて建造された「あじさい丸」(厳密には貨客船としてデビュー)からおよそ10年の間に6隻の客船を相次いで整備して行った東海汽船が次に着手したのは伊豆大島への「速達性と利便性の向上」だった。
元来伊豆大島へのアクセスは東京・横浜・熱海・伊東・稲取、そして江ノ島・下田(こちらは共に1974年に航路廃止)からの船便が主で東京、横浜からの夜行便で約8時間、江ノ島や伊豆半島各港からは2時間程度掛かっていた。
これを従来の客船に比べ小型の高速船を使用しリードタイムの短縮、複数便の運航により更なる伊豆大島への来島客の利便性を目指し建造されたのが今回紹介する「シーホーク」である。
1977(昭52)年5月就航
全長 45.00m 総トン数 388.15t
速力 30.18kt(公試) 26.5kt(常用)
旅客定員 290名 乗組員 5名
本船は東海汽船が、熱海~伊豆大島間の高速旅客輸送、従来1時間40分を要しているところを1時間に短縮し、特に京浜地区より新幹線経由で大島日帰りというような新しい観光コースの開拓を目指して計画された高速艇型の旅客船である。
本船は、船舶整備公団(現 独立行政法人 鉄道·運輸機構)と東海汽船の共同発注により、軽合金製高速艇建造に多くの実績がある三菱重工業株式会社下関造船所にて建造され、昭和52年5月1日のゴールデンウィークより熱海~大島航路に就航した。
仕様要求としては熱海~大島間約46kmをほぼ1時間で航海出来る事、旅客定員は200〜250名程度、すべて椅子席、高速艇型である事などが挙げられた。
船体はJIS耐食アルミニウム合金を外板・甲板に使用。上甲板上には、船首と船尾にウエルタイプの客室を配し、中央部の客室部は2層になっていた(一般配置図参照)。
客室のシートは耐食アルミニウム合金製パイブ枠にウレタンフォームをクッション材として使用、背もたれは固定式、中間肘掛けははね上げ式となっており航行時間が1時間である事を考慮し幅420mm、前後間隔830mでほぼ当時の0系新幹線車輛の普通車並のシートピッチとしていた。
本船は当時国内では最大の軽合金船で、世界においても最大級であった。 旅客からの評判も上々で当初の予想を大幅に上回る輸送量をあげ、旅客積み残しのケースもあったという。本船で得られた知見を生かし就航からわずか三年後に更に大型の「シーホーク2」を建造しデビューさせた。
本船は就航から3年後の1980(昭55)年、二代目高速船としてデビューした「シーホーク2」と交代し早々に伊豆諸島航路から引退し鹿児島の甑島商船へ売船、東海汽船時代そのままの姿、船名で甑島列島航路に就航し10年活躍、その後はタイのシートランへ売却された。
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