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カポーン♨♨♨三湯目

苦手なおじいさんをなぜ苦手なのか。

原因はわかっている。距離が近すぎるのだ。

それまで勤務してきた場所にはいなかった年代で、こちらが慣れていないというのもあるが、ほかの人と比べても、人との距離をグッと詰めてくるタイプの人だろう。そして見た目が汚い感じがする。銭湯に来るくらいだから家がないわけではないのに、そこはかとなく家がない人の雰囲気を醸し出している。それも苦手な理由の一つだ。

でも、決定的だったのはあれだったかもしれない・・・

***

清子が番台の仕事をしている銭湯の近くには、船着き場がある。
山奥から海に向かって悠々と流れてくる大きな川のどん詰まり、川幅が広く、遠く対岸の工場地帯の景色がなければ海かと見まごうような場所だ。

河口近くなればなるほど底は深くなっており、少し上流の住宅地のエリアでは数年に一度、忘れたころに自殺者が現れニュースになることがある。

レジャーで釣りをする人向けの小さ目の漁船が多く、週末の午後になると朝出港した船が次々と帰ってくる。その風景はまるでどこか片田舎の海辺の町に来たようで、東京にいながら旅情気分が味わえる。
昔は漁師たちが漁の後、冷えた体を温めに銭湯に来ていたそうだ。

清子は出勤前の昼間、暖かな日差しを浴びて、この風景を見るのが大好きだった。

隣町に住んでいる清子だが、銭湯で働き始まるまでこの町に来たことはなかった。
清子の住む隣町には駅前に延々と続く商店街があり、野菜や魚、お総菜など、ほかに比べて安く手に入れることができる。銭湯のある町には特に大きなスーパーなどがあるわけではないので、これまであまり来る機会はなかった。ただ、小さな町で昔から住んでいる人たちが多く、村のようだという噂話だけは耳に入ってはいた。

船着き場の堤防に腰掛けて、ひとしきり何も考えずぼーっとした後、銭湯へ出勤した。

その日は釣り帰りに初めて立ち寄るというお客が多く、クーラーボックスやら釣り竿やら、預かった荷物でロビーがいっぱいになった。

初めてのお客さんが来ると、よく来る常連さんとは全く違う話ができるので、それはそれで楽しい。銭湯に入るのが初めての人がいる時は特に。

「これから釣った魚をさばいて食べさせる店に移動する」と、聞いてもないのに自ら教えてくるテンション高めの釣りグループの人たちは、銭湯自体が珍しかったようで、帰り際にのれんの前で記念撮影をしていった。

”釣りをして銭湯に入って・・・初めて尽くしな休日でいいな、あの人たちは”
楽しい気分をおすそ分けしてもらって、ウキウキが伝染した清子は、彼らが去った後のロビーを鼻歌を歌いながら片づけた。

「おっ!鼻歌なんか歌っちゃって、余裕しゃくしゃくだね~!」

背を向けた出入口の方から、聞き覚えのあるふがふがとした声が聞こえた。あのお爺さんだ。
清子は「ふぅ」とため息をつきたくなる気持ちを喉元で抑えて振り返った。

「こんばんは!今日は初めて銭湯へ来るお客さんが多くて。私も銭湯に初めて入った時の楽しさを思い出していたところなんです。」と、当たり障りなく答えた。

ロビーのソファに荷物を置きながら、
「ふーん。あ!そういえば昼間土手にいたでしょ⁈ 駅前から帰るときに自転車で通りがかって、どっかで見たことある後ろ姿だなーと思ったんだよねー。ね!いたでしょ⁈いたでしょ⁈」と、矢継ぎ早に話してきた。

”えっ!土手でぼんやりしていた姿を見られていたのか!よりによってこのお爺さんに‼”
清子は自分だけの秘密の大切な時間を汚されたように感じて、つい反抗して、「えー。いませんでしたよー。人違いですよぉ。」としらじらしく答えてしまった。

「あ。そーお⁈ じゃ、見間違いかな?」と首を傾げつつ、冷蔵ケースから牛乳を二本取り出し、一本を番台の上にわざとらしくどんと置いた。

「はい。一本どうぞ!」

他人からおごられたり、物をもらったりすることに慣れていない清子は、びっくりして、「えっ!いいですよぉ。いいですよぉ。」と、遠慮を繰り返したが、「いいから!よく動いて働いてくれてるから!気持ちだから!」と、結局、牛乳を押し付けるようにして脱衣所へ入って行ってしまった。

”あちゃ~”
食事に誘われて以来、お爺さんに対して警戒心が大きくなっていた清子は、おごられたことで借りを作ってしまったように感じた。これをダシに食事に持ち込まれてはたまらない。そう思うと、とたんに牛乳が恨めしく見えて、さっさと無くしたくなってくる。

お爺さんが服を脱いで浴場内でガラッと入っていったであろう頃を見計らい、ぐびぐびっと一気に飲み干した。






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