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お誕生日お祝いから深い気づきを得た話

「お誕生日のお祝いがしたい」
わたしがそう言ったのがはじまりでした。

講座を開いている友人が、
自分のお誕生日にも講座を開いてくれる。
人によっては、当然だろと思うかもしれません。
でも、たぶん、わたしだったらしないから、
正直すごいなと思いました。

最初は、当日ケーキを持参して、
参加者のみんなでお祝いしようという計画でした。

だけど、「お祝い」が「サプライズ」になり、
気づいたら、わたしが予期しないほど、
大袈裟なイベントになっていました。

最初は、みんながやりたいならいいかな、
むしろ、真剣に考えてくれてありがたいと思っていました。

「仕掛け人以外の人が置いてけぼりになる」

違和感を感じてくれたのは、
お祝いについて最初に相談した友人でした。

確かにわたしたちが考えていたのは、
フラッシュモブとかアカペラとか小芝居とか…
とにかく派手なものばかり。

お祝いのことを知らない人は、
思ってもいないショーが始まっても、
意味がわかりません。

自分の視野の狭さを実感しました。

結局、最初の計画通り、
ケーキだけ準備して、ささやかにお祝いすることにしました。
歌を歌うこともやめました。
その場にいる人たちが歌いたいと思ったら、
勝手に歌ははじまると思ったからです。

わたしが1番やりたかったのは、
その場にいる人たち全員でお祝いすること。

その1番大切にしたいことに気づかせてもらいました。

気づかせてくれた友人は、
そもそも、わたしがお誕生日に気がついたこと、
そしてお祝いをしたいと思ったことが素晴らしいのに、
目立ちたい人たちが目立ちたい場を作っていることをとても心配してくれていたのです。

もちろん、目立ちたい人たちにも、
お祝いしたい気持ちはありますが、
自分が目立ちたい気持ちが大きくなっていたようです。

わたしは、目立ちたいという気持ちがあまりないので、
その気持ちに気づきませんでした。
もしかしたら、本人たち自身も気づいていないかもしれません。

その講座は3年間続いてきた講座で、
毎年、主宰者が異なります。
最初の主宰者が、目立つ人だけが入れる場でなく、
発言しない人や来ることが精一杯の人たちもいることができる場づくりを大切にしている講座です。

あやうく、その想いを踏みにじるところでした…

今回のことで、
なんとなくでいいから、ゴールをイメージしておくこと。
そして、同じ講座を受けたからといって、
自分の前提と相手の前提が同じとは限らないこと。
年上の人だからといって、理解してくれているわけではないということ。

とにかく学びがたくさんありました。
これをきっかけに、普段あまり話をする機会がなかった人ともお話しました。

「お祝いしたい」という軽い気持ちで始めたのに、
とっても深く考えさせられました。

実は自分があまりやりたくなくて、人が集まる場を避けていたこと。
今まで何度も、想いを引継ぎ、伝える場面に立ち会うことが多いのです。
たぶん、これがミッションなのかなと思っています。

まだ具体的にはわからないけど、
少しずつ、自分の使命に近づいている予感がします。

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