人と人が繋がるとき
あなたには、繋がっていたい人はいますか?
友達?恋人?家族?同僚?
その人とはどんな関係性なんだろう?
関係性に、呼び名は必要なのかな?
カテゴライズする必要あるのかな?
わたしとあの人の関係は?
カテゴライズすることができない。
だって、この関係性に呼び名はついてないから。
人と人が繋がるとき、
そこには言葉のやりとりがあり、
意思疎通があり、
何かしらの感銘を受けて、
この人ともっとやりとりしたい!
という気持ちから、
その関係を続けていきたいと願う。
わたしはその相手が
めっちゃ年上でも、
めっちゃ年下でも、
男性でも、女性でも、
カテゴリーにとらわれることはない。
繋がっていたい人には積極的に、
繋がりたいと言われれば拒むことなく、
その関係を続けていく。
人と人が繋がるとき、
お互いに共鳴しているのだと感じる。
相手があるということは、
自分ひとりではないということだから、
そこにはお互いの気持ちが存在する。
だから、関係を続けるにあたって、
独りよがりはダメだな、って思う。
わたしはこう思うけど、あなたはどうですか?
わたしの意見も言うけど、相手の意見も聞きたい。
ひとりでぐるぐる考えていても、
答えがでることはないから。
人に投げかけてみる。
信頼のおける人たちに。
わたしと繋がってくれている人たちは、
いつも誠意を持って応えてくれる。
本当に素晴らしい人ばかりだ。
共感し、同調してもらえる時には
これでいいんだ、と安心する。
違う意見を貰えた時、
この人と繋がっていて良かった!と
繋がれていたことに心から感謝する。
わたしに新しい世界を見せてくれる、貴重な存在。
わたしはこの関係を結ぶにおいて、
心の声を大切にしている。
繋がりたい、と思う人の言葉は、
わたしの心にスッと入ってくる。
それは、信頼しているからこそなんだと思う。
だから、口先だけでガチャガチャ言う人とは
そもそも繋がろうと思わない。
その人から放たれる言葉の裏にある、
その人のバックグラウンド、
経験、考察、おもいやり、
全てがブレンドされているからこそ、
説得力のある言葉となる。
繋がっている人から受け取った素敵な言葉たちは、
いつまでもわたしの中で輝いている。
わたしはそれを何度も紐解いて、反芻し、吸収して、
やがて自分のものとしていく。
自分のものになるには、時間がかかる。
それでもこの作業が好きだ。
その人がこの言葉に込めた意味を、気持ちを、
考えながら、受け取り、その人を想う。
わたしと繋がってくれている人たちも、
同じ想いだったらいいなー。
人と人が繋がるとき、
そこには何の契約もない。
そこにあるのは単にお互いの信頼関係だけであり、
やりとりをしましょう、なんて約束もしていない。
やりとりは、自由。
つい忘れてしまいそうなそんなことも、
わたしは繋がっているその人から教えて貰うのだ。
必死で繋がろうとしたり、
繋がることに重きを置いていたり、
何か言わなきゃ!と焦ったり、
答えを強要したり、
この関係性に名前をつけようとしたり、
カテゴライズしようとしたり、、、
そんなことに意味はなく。
関わる、関わらない、
すべてにおいて自由。
無理をして応えなくていいし、
繋ぎ止める、っていうのも変だ。
人と繋がるって、そういうこと。
人に期待しない。多くを求めない。
自分は自分。
その意識を持ってこそ、
ちゃんと人と繋がることができる。
そういう大切なことをまた教えてもらっちゃった。
だから、やっぱり繋がっていたいんだ。
この関係性に、名前はなくとも。