知的障害の伯父が亡くなった話|自閉症の息子の将来と、幸せについて考えてみた
2022年10月、伯父が亡くなった。66歳だった。
伯父には知的障害がある。体の変化を感じることやそれを周りに伝えることが上手くできず、入院してわずか5日で息を引き取った。
そんな伯父の死について思うこと、考えさせられたこと、いまの気持ちを忘れないためにも、ここに残しておく。
伯父は3兄妹の長男
伯父の死についてふれる前に、少しだけ伯父のことを話しておく。
伯父は3兄妹の一番上で、真ん中に伯母、末っ子に私の母がいる。
母から聞いた話だと、伯父は小さいころに高熱をだし、脳にダメージを負って知的障害が残ってしまったそうだ。
学生のころは周りから心ないことを言われたらしい。母も伯母も、そして祖母も大変だっただろう。
大人になり、伯父はグループホームへ入所。
グループホームに入所したといっても、通院や役所へ提出する書類ごとなどは家族が行わねばならず、祖母が年老いてからは私の母がすべてお世話をしていた。(伯母は他県に嫁いだため)
私に子どもが生まれてから実家に帰ると、たまに伯父がいることもあった。
息子とも仲良くしてくれた。
姪っ子の私が「よっ!」と言っても塩対応なのに、息子が「アキちゃん!(伯父の愛称:仮名)」と声をかけると、すごくいい笑顔を返していたのが……いまでも記憶に残っている。
あとから母に聞いた話だと「うみは元気か?息子くんは?」と、会うたびに言っていたらしい。
(でも私に会うと塩対応なのはなぜだったんだろう?)
今日は仕事に行けない
そんな日常があっけなく壊れてしまうのは一瞬だった。
伯父が少しだけ調子を崩し、夕食後に戻してしまったらしい。
次の日、伯父が「今日は仕事に行けない」と言った。真面目な伯父がそんなことを言うのはめずらしい。
伯父が病院に行くと、いますぐ処置をしなければ腸が明日にも破裂する状態だといわれ、母から大慌てで電話がかかってきた。
長時間の処置に耐え、とりあえず落ち着いたのもつかの間……。
「腸全体にガンが飛び散っています。レベル4の大腸ガンです」
医師からの言葉に、母はひっくり返りそうになるほど驚いた。とりあえず、処置後の容体が安定してからくわしい検査をする予定だったが……。
もう起きてもいいよ
次の日の朝、見回りの看護師さんが心肺停止状態の伯父を見つける。
必死に蘇生をしてくれたものの、5分以上心臓が止まっていたらしく、どれくらい脳が損傷してしまったのかもわからない。
伯父に意識はなく、人工心肺装置につながれている。医師からは「いつどうなってもおかしくない」と。
そんな伯父に、母はずっと話しかけていた。
「もう起きてもいいよ」
「みんな待ってる」
「散髪に行くって言ってたでしょ」
その姿を見て、涙がでそうになった。母はいつも伯父に「順番は守って」と何度も言っていたのに……。
私が「アキちゃん!」と声をかけると、懸命に体を動かしてなにかを伝えようとしてくれた。
まだ大丈夫、まだ頑張ってる。祖母だって、死の淵から一度はかえってきたのだから。
しかし、そんな願いもむなしく、伯父は入院してから5日で逝ってしまった。
迷わずいくんやで
他県にいる伯母や従兄弟もかけつけ、通夜と葬儀が執り行われた。
伯父はとても穏やかな顔をしていて、本当にただ眠っているような……そんな気さえする。
葬儀の最後にお花をたくさん、祖父や祖母の写真も顔の横に。
葬儀屋さんの「最後のお別れにお声をかけてください」のひと言で、母と伯母が泣きながら声をかける。
「ツラかったね、もう苦しくないし痛くもないよ」
「もっと早く言ってくれれば、なんでもできたのに」
「ちゃんとお父ちゃんとお母ちゃんとこ、いくんやで。迷わずちゃんといくんやで」
伯母の最後の言葉がとても印象に残った。伯父は迷わず祖父母のもとへたどり着けるのだろうか……。
そんな心配をしていたが、焼き場に到着し最後のお別れをしていると、母が驚いたように声をあげた。
「アキちゃんの顔の横!お父ちゃんの写真のところ……なんか動いてる!」
よくよく見てみると、祖父の写真の上にイモムシがくねくねと動いていた。どうやら、お花にまぎれ込んでいたらしい。
みんな「どうしよう!」とアタフタしたものの、開けるわけにはいかないし、申し訳ないがこのままで……ということになった。
「たぶん、ばあちゃんとこまで連れて行ってくれるよ!」
なんとなくそんな気がしたので、母にそう伝えた。最後は笑いながらのお別れになったのは、伯父らしいなって思う。
伯父は幸せだったのか?
葬儀を終え、帰宅。夫と会話をしていると、彼がふと口にした。
「伯父さんは、幸せだったのかな?」
その質問の答えを、伯父が危篤になってから私もずっと考えていた。
ギリギリまで、限界まで苦しいと言い出せず、亡くなってしまった伯父。そんな伯父が、自閉症の息子の将来と重なってみえてしまう。
息子は体調の変化や体の状態を上手く周りに伝えられない。ケガをしても、なぜそうなったのかを説明できない。
もしかしたら息子も伯父のように、最後まで苦しいと誰にも伝えられず、急に亡くなってしまうかもしれない……そんな未来を想像してしまう。
でも、だからといって幸せな人生を送れないとは思わない。周りに愛される息子は、誰よりも幸せになれる気がする。
それに私は、人生の幸せを他人がはかるなんて、非常におこがましいことだと思う。
周りからみてどうだったか、ではなくて、本人がどう感じていたかが大切なのではないか。
いまとなってはわからないけれど、伯父の人生の幸せをはかれるのは伯父だけ。
最後にみた伯父の顔は、とても穏やかな顔をしていた。それがきっと、答えなんだと思う。
母にかけた言葉
後日、実家に顔をだすと、リビングには伯父の遺骨がまつられていた。少しだけ会話を交わした後に、母がぽつりぽつりと語りだす。
「なぜ気づいてあげられなかったのか。もっと早くわかっていればこんなことにはならなかった。急に亡くなるなんて……1人でいると涙がでてくる」
姉である伯母にも同じようなことを話したら「そんなに責任を感じなくていい、ツラくなって泣かないで」と言われたらしい。
伯父が亡くなったのは母の責任ではないし、気づかなかったことも仕方がないと思う。
母のせいではないよと伝えたうえで、
「悲しいと思うなら泣けばいいじゃん。感情はだしたほうがいいよ。無理して前向きになる必要はない」
そういうと、母は少しだけ納得したような顔でうなずいた。
私にできることは、母を1人にしないように寄り添うことでも、いっしょになって泣くことでもない。
実家のリビングにいる伯父にむけて「チーーーン!」と思い切りおりんを鳴らし、おどけてみせる。
お作法は……おいといて……(すみませんマネしないでください)
「アキちゃん、補聴器置いてったから……思い切り鳴らさんと聞こえんやろ?」
そんな風に私が笑うと、母も少しだけ笑ってくれる。
もちろん、息子も実家に行けばおりんを鳴らす。
「あぁ、またやかましいのが来たぞ」
そんな風に、空の上の伯父も思っていることだろう。
人には必ず寿命がある。それがいつなのかは誰にもわからない。でも、最後を迎えるその一瞬まで「幸せだ」と思える人生を歩んでいきたい。
そして自分のそばにいる大切な人を、少しでも幸せにできたのなら……私の人生は「幸せだった」と胸を張って言えるだろう。
あなたの幸せとは?少し立ち止まって考えてみてほしい。
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